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アーカイブ 現代マンガ図書館資料から生まれた書籍たち展

《ごあいさつ》
着者、编集者をはじめとして、たくさんの人が协力し生み出してきた、さまざまな书籍たち──。

それらのなかに、「現代マンガ図書館」所蔵の膨大な資料を利用して作られた書籍があります。本展示では、主要な1 1 例を選び、「生まれた本」とその誕生にかかわった資料を紹介します。

図版资料の撮影协力から、復刻?再録?マンガ作品制作のための资料调査、着者作品リスト作成への贡献まで。それらは、図书馆としてのレファレンスや閲覧提供などに加えて、「日本初のマンガ専门図书馆」として文化を支えてきた足跡です。

执笔活动も行っている初代馆长?内记稔夫氏の文章と添えられる図版からは、この施设に、いかに贵重な资料が多く长く保存されてきたかがダイレクトに伝わってきます。

その他、现代マンガ図书馆発行の册子『漫狂(まんきち)』创刊号の贵重な生原稿などを展示した「『漫狂』コーナー」や、「手塚治虫と内记稔夫」コーナーなどを设けています。




《壁ケース展示》

●壁ケース エリアMAP

No.01
『ぼくは剧画の仕掛人だった』 1978年
 「剧画」は、第二次世界大戦后、児童マンガを中心に発展した「ストーリーマンガ」の中から、青年を中心読者とし贷本屋を苗床として展开。60年代后半には出版界全体に広まりました。本书は「剧画」の语を考案した辰巳ヨシヒロの兄で、自身も「剧画」の诞生に深く関わった桜井昌一による「剧画」に関する重要な基础文献です。
 现代マンガ図书馆より発行された『漫狂(まんきち)』*2号(1979年秋)の「本図书馆を利用して作られた本と记事」リストにその书名があります。この册子に长文の书评や大きな広告が掲载されている点から、同馆がその刊行を积极的に支持していたことが伝わってきます。

*『漫狂』に関しては正面壁を参照

【展示品】
桜井昌一『ぼくは剧画の仕掛人だった』
(エイプリル?ミュージック/1978年)




No.02
『ぼくは剧画の仕掛人だった』 関连
 この本の诞生に使われた资料の具体的な记録はみつかっていません。そのため、同书に図版が掲载されている作品の中から、馆所蔵の资料を一部选び展示します。
 「血だるま剣法」は、差别问题による强い抗议のため刊行后1か月で回収?廃弃処分になったことが、伝説的に语り継がれてきました。评论家の呉智英监修により、2004年まで復刊されることのなかった作品の原本です。

【展示品】
平田弘史『魔像别册 血だるま剣法』
(日の丸文库/1962年)

永岛慎二『花いちもんめ』
(青林堂/1977年)

つげ义春『红い花 异色杰作集2』
(小学馆/1976年)




No.03
小学館 復刻
 现代マンガ図书馆には、マンガ本復刻の协力をしてきた歴史があります。资料をよりよい状态で保存するため、本そのものの復刻への提供は多くなかったようですが、復刻実现の可否を决める内容确认のために使われることは度々あったとのことです。

【展示品】
上田としこ『フイチンさん 復刻愛蔵版』上
(小学馆/2015年)

上田としこ『フイチンさん 復刻愛蔵版』下
(小学馆/2015年)

白土叁平『甲贺武芸帐』6巻
(小学馆クリエイティブ/2011年)

白土叁平『甲贺武芸帐』完(8)巻
(小学馆クリエイティブ/2011年)

白土叁平『仇讨无惨帐』
(小学馆クリエイティブ/2009年)




No.04
小学館 復刻  関連
 小学馆や小学馆クリエイティブの復刻活动に长年携わってきた山田英生氏は、现代マンガ図书馆资料について次のように述べます。
 「鲜明に覚えているものでは、小学馆刊行の『フイチンさん』。讲谈社から础5判上製で出た最初のものが状态良く所蔵されていて、上製のため开きがよく、美丽なカラーページが再现できて、「フイチン再见!」の着者?村上もとか先生をはじめ评価をいただいた记忆があります。その他、贵馆所蔵の白土叁平先生『仇讨无残帐』、『甲贺武芸帐』の先生の手元に无かった本の何册か、楳図かずお先生の初期贷本短编、石?森章太郎先生の『火の鸟风太郎』などもスキャンの原本として活用させていただいたかと。『忍者武芸帐』など原本の劣化で文字や絵が欠けていて部分的に参照した本も何册もあったと思います。」

【展示品】
白土叁平『仇讨无惨帐』
(东邦漫画出版社/1959年か)

白土叁平『甲贺武芸帐』6巻
(日本漫画社/1958-60年)

白土叁平『甲贺武芸帐』完(8)巻
(日本漫画社/1958-60年)

上田としこ『フイチンさん』1巻
(讲谈社/1958年)

上田としこ『フイチンさん』2巻
(讲谈社/1958年)




No.05
『ショート?ピース』 1979年
 「剧画」以降、日本マンガの表现におそらく最も大きな影响を与えた大友克洋の、初単行本です。こちらも『漫狂』2号(1979年秋)の「本図书馆を利用して作られた本と记事」リストに名前がみられる本のうちの一册。
 大友克洋研究の第一人者である铃木淳也氏によると「原画は先生がきれいに保管しているので、雑誌が収録作品の印刷に使われたということはありません。同时に収録されている作品リストを作るために図书馆资料が活用されたのでは」とのこと。
 大友のリストは『ぱふ』1979年1月号(清彗社/1978年12月発売)に最初に発表され、この1979年3月刊の奇想天外社版『ショート?ピース』掲载のもので大幅に补足されました。现在ある大友克洋の作品リストで、本书掲载のものを间接的にであっても参照していないリストはありません。
 同书の大友克洋自らのあとがきには「奇想天外社の小口さん、稚拙な私の作品を立派なリストにしていただき、どーもゴクローサマです。」とあります。

【展示品】
大友克洋『ショート?ピース』
(奇想天外社/1979年)




No.06
『ショート?ピース』 関连
 ここでは、大友克洋のデビュー作「銃声」掲載誌と、『ショート?ピース』収録作の初出誌を2冊選びました。「'ROUND ABOUT MIDNIGHT」の載った『漫画アクション増刊』1977年4月5日号は、『ショート?ピース』掲載作品の初出誌中、最も入手困難な資料。前出の鈴木氏によると「20年、古書店やオークションをみはっていてもほぼ出てこず、未だに自分も持っていない」とのこと。
 また、「大麻境」の初出誌は、『ヤングコミック増刊』であることを理由に選びました。この雑誌は、戸田利吉郎?現少年画報社社長より寄贈された、38冊の同増刊のうちの一冊です。『現代マンガ図書館30周年 記念メッセージ集』(2008年11月1日)に寄せられた戸田氏のメッセージに、32歳の頃自分で担当していた同誌が休刊となり、館のオープン時に持参して寄贈した、とあります。『ヤングコミック増刊』は、大友克洋のほか、石井隆、宮谷一彦、平田弘史など、当時注目の先鋭的作家を起用していたことで知られる雑誌です。

【展示品】
『漫画アクション増刊』
(双叶社/1973年8月4日号)

『漫画アクション増刊』
(双叶社/1977年4月5日号)

『ヤングコミック増刊』
(少年画报社/1978年9月20日号)




No.07
『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界Ⅱ 昭和三十五年-六十四年』 1996年
 别册太阳の子どもの昭和史シリーズには、资料撮影协力によく现代マンガ図书馆の名が入っています。シリーズの多くは米沢嘉博氏が监修しており、现代マンガ図书馆と米沢氏が协力することでできた资料でもあります。こうした図版の多いムックや、雑誌のマンガ特集などにおける现代マンガ図书馆の贡献は计り知れません。现物を所蔵している强みといえるでしょう。当时、このムックシリーズの制作に协力していた当馆スタッフ中嶋敦によると、図版に使用しているマンガ资料の多くが同馆所蔵ものだったが、特に贷本はほぼ全部同馆のものであった、ということです。

【展示品】
『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界Ⅱ 昭和三十五年-六十四年』
(平凡社/1996年)




No.08
『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界Ⅱ 昭和三十五年-六十四年』 関連
 ここでは、『少年マンガの世界Ⅱ』掲載の資料から、「ゴルゴ1 3 」などで知られるさいとう?たかをの貸本時代の代表作「台風五郎シリーズ」の一冊などをはじめ、5点を選んで展示しました。

【展示品】
さいとう?たかを『台风五郎』2巻
(兎月书房/1958-60年)

ありかわ栄一『丧服绅士録』
(东京トップ社/1962年)

南波健二『若い巨人』前编
(ひばり书房/1965年以降)

『黒のマガジン』2号
(东考社/1962-3年)

水木しげる『墓場鬼太郎2 ボクは新入生』
(佐藤まさあきプロダクション/1964年)




No.09
『SFファンタジア6 マンガ編』 1979年
 『厂贵ファンタジア』は厂贵を特集したシリーズで、その6册目の本书は「厂贵マンガ」の巻。
 表纸から3ページ目に列记されている「取材协力」の中に、「现代マンガ図书馆──内记コレクション」とあります。のちにマンガに関する资料本を丸ごと监修するようになる、20代の若き米沢嘉博氏が制作者の一人として名を连ねており、现代マンガ図书馆と米沢氏が协力して生まれたごく初期の资料のひとつです。

【展示品】
『厂贵ファンタジア6 マンガ编』
(学习研究社/1979年)




No.10
『SFファンタジア6 マンガ編』 関連
 ここでは、掲載資料から、国会図書館でもほとんど収蔵していない貴重なマンガ雑誌のふろくを3冊 ─ 手塚治虫『鉄腕アトム』、横山光輝『鉄人28号』および、藤子不二雄のSF作品。そして貸本時代のSF作品から一冊を展示しています。

【展示品】
手塚治虫「鉄腕アトム なぞの冷冻人の巻」『少年』ふろく
(光文社/1955年7月号)

藤子不二雄「宇宙冒険児」『漫画王』ふろく
(秋田书店/1958年3月号)

横山光辉「鉄人28号」『少年』ふろく
(光文社/1960年9月号)

関一彦『オーム伝 : 21世紀の日本』2集
(日の丸文库?光伸书房/1967年)




No.11
『限定版 つげ義春選集』第7巻 1979年
 つげ義春は「ねじ式」「無能の人」などで知られ、昨2 0 2 0 年、ヨーロッパ最大規模のマンガの祭典、フランスの「第47回アングレーム国際漫画祭」にて、特別栄誉賞を受賞したことでも注目されました。
 『限定版 つげ義春選集』全10巻は、1977年から1981年に刊行されました。現在、つげ作品を読むとき最も代表的な筑摩書房の文庫シリーズ「つげ義春コレクション」全9冊(2008-09年刊)にも収録の無い作品が多数含まれている選集です。最初は1000部限定だったのが、あまりに人気だったため200部ほど増刷されたようです。

【展示品】
つげ義春『限定版 つげ義春選集』第7巻
(北冬书房/1979年)




No.12
『限定版 つげ義春選集』第7巻 関連
 『限定版 つげ義春選集』第7巻の初出一覧には「「幕末風雲伝」資料提供=現代マンガ図書館?内記稔夫」とあります。復刻の際に、同館所蔵単行本『幕末風雲伝』が使われたのでしょう。この若木書房の傑作漫画全集シリーズに含まれるつげ作品は、初代館長?内記稔夫がよく話題にする、同館が誇る蔵書の一例です。本展示では、ケースNo.23に展示している『白面夜叉』も同シリーズ内のつげ作品になります。

【展示品】
つげ义春『幕末风云伝』
(若木书房/1958年)




No.13
『マンガの昭和史 昭和20年~55年』 2008年
 1945年~80年(昭和20年~55年)のマンガを総覧できる本書表紙には「現代マンガ図書館(内記コレクション)を中心に京都国際マンガミュージアム 大阪国際児童文学館の図版を多数掲載」とあります。本書の監修者の一人であり当館スタッフリーダーである斎藤宣彦によると「もともと現代マンガ図書館蔵書のカタログを目指して制作されたムックで、図版のほとんどは同館の蔵書を利用しています」とのことです。
 狈辞.14词16のケースには、本书掲载の大量の资料の中から、少女?女性ものをここでは多めに并べました。また、その后のマンガ市场を担った新书版「コミックス」の诞生を绍介するコーナーからも6册选び展示しています。

【展示品】
『マンガの昭和史 昭和20年~55年』
(ランダムハウス讲谈社/2008年)




No.14
『マンガの昭和史 昭和20年~55年』 関连1

【展示品】
石森章太郎『水色のリボン』
(わかば书房/1959年)

横山光辉『红ばら黒ばら』后编
(东光堂/1960年)

牧美也子『母恋ワルツ』
(东光堂/1957年)

わたなべまさこ『天使のひとみ』第1集
(若木书房/1958年)

高桥真琴『さくら并木』
(児童文化研究会/1957年)




No.15
『マンガの昭和史 昭和20年~55年』 関连2
 『マンガの昭和史』の、贷本少女マンガの恋爱ものを绍介しているコーナーより5册抜粋し绍介します。贷本でも少女マンガはたくさん刊行されていますが、ここで注目すべきは、大手出版社のハイティーン向け女性雑誌『週刊セブンティーン』などより早い时期である、1960年代前半に、贷本ではハイティーン女性向けの作品がすでに展开されていることです。また、当时は女性が社会に出る年齢が今より若かったため、対象年齢は同じでも、贷本では働く女性向けのマンガが描かれていたことも重要でしょう。10代前半の少女向けマンガ誌を卒业したのち、マンガを読み続ける女性の多くは、男性向けの青年誌に移行する场合が多かったのですが、贷本には60年代の半ばにはその受け皿が存在していたということは、特笔に値します。

【展示品】
浅丘ルリ『野性の青春』
(东京ロマン社/1967年)

森由岐子『男ぎらい女ぎらい』
(东京漫画出版社/1964年)

河合秀和『メガネと女の子』
(东京漫画出版社/1965年顷)

川崎叁枝子『カッコイイ少年达』
(佐藤まさあきプロダクション/1965年顷)

三田みのる ほか『すばらしい十代』
(きんらん社/1960年)




No.16
『マンガの昭和史 昭和20年~55年』 関连3
 『ロック冒険记』第一部は、来るべき新书版単行本流通システム确立の先阵を切った出版社コダマプレスの単行本レーベル?ダイヤモンドコミックスから最初に配本された単行本中の一册です。このレーベルと小学馆のゴールデンコミックスが1966年に刊行され始めコミックスの新书判ブームがおこり、それが、ほぼすべての新作が単行本化されるマンガ単行本刊行システムの定着につながってゆきます。ケース内にはダイヤモンドコミックス创刊年の単行本3册と、やはり初期に创刊されたレーベル秋田书店サンデーコミックスから、第1弾の『サイボーグ009』を含めた3册を抜粋しました。

【展示品】
◆初期のダイヤモンドコミックス
手塚治虫『ロック冒険记』1巻
(コダマプレス/1966年)

水木しげる『忍法屁話 : 珠玉短編集』
(コダマプレス/1966年)

富永一朗『せっかちネエヤ』
(コダマプレス/1966年)

◆初期のサンデーコミックス
石森章太郎『サイボーグ009 』1巻
(秋田书店/1966年)

小沢さとる『サブマリン707 』1巻
(秋田书店/1967年)

贝塚ひろし『ゼロ戦レッド』1巻
(秋田书店/1967年)




No.17
『金魚屋古書店出納帳』 1巻 2003年
 「金魚屋古書店出納帳」および「金魚屋古書店」は、毎回マンガにまつわるエピソードをマンガで紹介する作品。まず「出納帳」が少年画報社の『OURs girl』および『OURs LITE』に発表されました。その後「金魚屋古書店」が小学館の『IKKI』で長期連載され、昨2020年、最終17巻が描きおろしで完結しました。現代マンガ図書館は、最初に出版された「出納帳」の少年画報社版1巻から協力として名を連ねており、「金魚屋古書店」となっても、ほとんどの巻の最終ページにその名が記されています。
 着者の芳崎せいむ氏は、2006年狈贬碍-叠厂「マンガノゲンバ」にて、同馆を访ね绍介する人として登场していました(2006年10月31日、11月3日放映)。

【展示品】
芳崎せいむ『金鱼屋古书店出纳帐』1巻
(少年画报社/2003年)




No.18
『金魚屋古書店出納帳』 1巻 関連
 「金鱼屋古书店出纳帐」第3话には『リリカ』创刊号が登场します。『リリカ』はキティちゃんなどで有名なサンリオが1976年から79年まで、全29号出版した少女マンガ誌です。
芳崎氏は次のように述べます。「『リリカ』に関しては、作画中に登场する本は私の手持ちの本を使用しましたが、ネーム*を切るにあたっては、现代マンガ図书馆に行って、最终号まで全号目を通しました」。

* ネーム= マンガを原稿用紙に描く前の設計図のようなもの。ラフにコマを割ってセリフが入っているものから、人物の配置まで丁寧に入っているものまで様々なネームがある。

【展示品】
『リリカ』创刊号
(サンリオ/1976年11月号)

『リリカ』29号?终刊号
(サンリオ/1979年3月号)




No.19
『金魚屋古書店出納帳』 2巻 2003年
 単行本『金鱼屋古书店出纳帐』カバーイラストに描かれている本棚は、现代マンガ図书馆の本棚を参考にして描かれました。展示のパネルは芳崎せいむ氏が同馆に取材した际の写真です。
 芳崎氏によると「棚の本の顺番は当时のアシスタントさんに写真をお见せして、文字など见えやすいもの、描きやすいもの、最近のマンガ単行本とはまた违ったグラフィックのおもしろさがあるものでお任せしました。着彩は写真とつき合わせて私が行いました」とのこと。
 さらに、マンガのことなら何でもござれな主要人物?斯波が、ここで手にしているマンガを白く発光しているように描いたのは、「キャラクターが选んでいる本を特定のものにしたくなかった」のだそうです。『金鱼屋古书店』7巻(小学馆)に収録されているエピソード、第45话「白い漫画本」をほうふつとさせます。
 写真と比较すると、イラストが、棚をそのまま描いているわけではなく、「金鱼屋古书店」ならではのオリジナル棚だったことがわかります。

【展示品】
芳崎せいむ『金鱼屋古书店出纳帐』2巻
(少年画报社版/2003年)





No.20
『金魚屋古書店出納帳』 2巻 関連
 少年画报社版『金鱼屋古书店出纳帐』2巻カバーに描かれている棚の1段目を、现代マンガ図书馆所蔵の贷本资料によって再现してみました。イラストの中にしかなかった棚が、実物によって実体化しています。ちなみにこの棚は、2004年に再刊された小学馆版のリニューアルカバーにも使われています。

【展示品】
◆右から
黒田和夫『血まみれの青春』
(东京トップ社/1961年)

中沢しげお『新免ムサシ』3巻
(东邦図书出版社/1962-63年顷)

园田光庆『血だまり』
(东京トップ社/1965年)

贞安达明『すてきな相棒』
(东京日の丸文库/1964年顷)

矢代まさこ『ころころコロッケ』
(若木书房/1965年)

黒田和夫『宿命の冷血児』
(宏文堂出版/1963?-64年顷)

大石まどか『君と友情いつまでも』
(ひばり书房/1965?-67年顷)

峯岸ひろみ ほか『学园』苍辞.24
(第一プロダクション/1965?-67年顷)

池川伸治『白娘』
(东京トップ社/1965年)

下元克巳『栄光へのハイウェイ 三田明のすべて』
(第一プロダクション/1966年)

社领系明『のるかそるか』
(ひばり书房/1964年顷)

阿木二郎『黒い涙』
(曙出版/1964年顷)
(白い漫画本)

秋好馨『竹野しんぞう君』13巻
(文阳社/1961年か)

阿木二郎『クモ少女』
(宏文堂出版/1963?-64年か)

赤松セツ子『まり子のねがい』
(东邦漫画出版社/1961年)

石川フミヤス『青春日记』2巻
(さいとうプロダクション/1964年か)

池川伸治『血とバラ』
(ひばり书房/1963?-64年か)


No.21
『戦後漫画のトップランナー 横井福次郎』 2007年
 清水勲氏より『现代マンガ図书馆30周年记念メッセージ集』(2008年11月1日)に寄せられたメッセージには、次にようにあります。

 私は昨年、横井福次郎の本を执笔するに际し、どうしても『ヤングジャンプ』の昭和54年から55年のものを见る必要に迫られた。まず、国立国会図书馆を利用したが、创刊から10号分しかなかった。そこで内记氏にお愿いして现代マンガ図书馆の所蔵号を见ることができた。复数の施设があることの有难みを実感した。

※国会図书馆には现在『ヤングジャンプ』昭和54年(1979)から昭和55年(1980)分がすべて所蔵されています。

【展示品】
清水勲『戦後漫画のトップランナー ――横井福次郎――
手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の轨跡』
(临川书店/2008年1月)




清水勲氏が2021年3月12日、81歳で永眠されました。
长年にわたる多大なマンガ研究への功绩に敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

※本展の开催準备期间中に逝去された清水勲氏への追悼文をパネルに印刷し、氏の着书とともに展示しました。(ケース中央?縦书きパネル)



No.22
『戦後漫画のトップランナー 横井福次郎』 関連
 清水氏が现代マンガ図书馆资料にて确认したのは、手塚治虫の「どついたれ」第2部に横井福次郎が登场する『ヤングジャンプ』1980年7月3日号。
 『戦後漫画のトップランナー 横井福次郎』巻末年表の「昭和55年(一九八〇)」の項目に、「手塚治虫「どついたれ」第二部(『ヤングジャンプ』6月19日号~11月20日号掲載)に、横井との出会いと『新宝島』批評が描かれる」とある。

【展示品】
『ヤングジャンプ』
(集英社/1980年7月3日号)




No.23
『マンガの教科书』 2008年
 『マンガの教科書』の「第2章 赤本?貸本の時代を生きて」は、内記稔夫氏が、第二次大戦後の1945年頃から、新書版単行本ブームが起こる1960年代中ごろまでのマンガの歴史を、自身の体験を踏まえて記録したものです。掲載されている図版とともに、現代マンガ図書館の大切さがもっとも端的に伝わる貴重な記録といえます。
 内记氏は次のように记しています。

 「マンガが世界に冠たる日本の文化というならば、国家的な机関でのマンガ资料の収集?保存を整えるべきです。マンガ研究の重要性がより认识?理解されることを愿ってやみません」(辫.62)

【展示品】
吉村和真編 清水勲 内記稔夫 秋田孝宏『マンガの教科書』
(临川书店/2008年)




No.24
『マンガの教科书』 関连
 赤本単行本『新寳岛』は、当时の発行部数が40万部とも80万部ともいわれる大ヒット作であり、手塚治虫の出世作。「全国のマンガ少年たちを、マンガ道へ歩ませた」(内记辫.68)作品です。その大ヒットぶりを証明するように海贼版も出まわりました。それが『ピート君漂流记』です。両方を并べてみることが出来る场所はそうはありません。
 『赤胴鈴之助』『あんみつ姫』『リボンの騎士』など、当時の雑誌掲載のヒット作の単行本、つげ義春(柘植義春)のデビュー作『白面夜叉』、 楳図かずお(ウメズカズヲ)のデビュー作『別世界』、1959年の『週刊少年サンデー』创刊号、貸本劇画誌『刑事』創刊号など、みなもうすでに貴重な歴史資料です。

【展示品】
手塚治虫/原案:酒井七马『新寳岛』
(育英出版/1940年代)

山川惣治『少年王者』6集
(集英社/1950年)

仓金章介『あんみつ姫』
(光文社/1951年)

手塚治虫『ピート君漂流记』
(中部出版社/1954年)

福井英一『イガグリくん』2巻
(秋田书店/1954年)

つげ义春『白面夜叉』
(若木书房/1955年)

楳図かずお『别世界』
(トモブック社/1955年)

武内つなよし『赤胴铃之助』1巻
(少年画报社/1956年)

手塚治虫『リボンの骑士』3巻
(讲谈社/1958年)

板井れんたろう『くろがねの0戦』
(曙出版/1958年)

『週刊少年サンデー』创刊号
(小学馆/1959年4月5日号)

『刑事』苍辞.1创刊号
(东京トップ社/1960年)

加藤芳郎『オンボロ人生』
(コダマプレス/1966年)


狈辞.25~32
その他の资料たち
 ケース狈辞.25-32までには、现代マンガ図书馆がその制作に协力した本の中で、绍介しきれなかったものの一部を并べました。
 マンガジャンルを网罗的に広く绍介する出版物の多くに、同馆が协力してきたことがわかります。それらが、いかに多くのマンガについて何か知ろうとするものを支えたか。きっと他にも同馆资料を利用することで生み出された资料が、まだたくさんあることでしょう。

No.25

【展示品】
『别册一亿人の昭和史 昭和マンガ史』
(毎日新闻社/1977年)

*开馆前の刊行物であるが、内记稔夫の名が记されている。おそらくマンガ図书馆の开馆準备をしていたころに资料提供やアドバイス等を行ったのだろう




No.26

【展示品】
『1979年版 劇画マンガ家オール名鑑』
(徳间书店/1979年)
*『漫狂』2号に记载有

『别册新评 叁流(エロ)剧画の世界(全特集)』
(新评社/1979年)
*『漫狂』2号に记载有。米沢嘉博氏が執筆等で参加。米沢氏が現代マンガ図書館と協力して制作した初期の仕事




No.27

【展示品】
『游』
(工作舎/1979年)
*『漫狂』2号に记载有。「怒りの観創術」コーナーに協力

『高1コース』
(学研/1979年5月号)
*『漫狂』2号に记载有。「漫画?劇画スーパー百科」部分に協力




No.28

【展示品】
『スーパーコミック79年1月増刊 SFアニメ、マンガ、フェスティバル』
(1979年)
*『漫狂』2号に记载有。「マンガから劇画?コミックスへのショートヒストリー」部分に協力

酒井征勇『まんが家入门大百科』
(劲文社/1979年)
*『漫狂』2号に记载有




No.29

【展示品】
『漫画の手帖』0号~12号
(漫画の手帖社/1980-83年)
*奥付に协力现代マンガ図书馆とあり




No.30

【展示品】
『別冊太陽 子どもの昭和史 少女マンガの世界Ⅰ 昭和二十年―三十七年』
(平凡社/1991年)

『別冊太陽 子どもの昭和史 少女マンガの世界Ⅱ 昭和三十八年―六十四年』
(平凡社/1991年)

*両誌ともに资料撮影协力




No.31

【展示品】
『别册太阳 子どもの昭和史 少年マンガの世界Ⅰ 昭和二十年―叁十五年』
(平凡社/1996年)

『别册太阳 子どもの昭和史 手塚治虫マンガ大全』
(平凡社/1997年)

*両誌ともに资料撮影协力




No.32

【展示品】
『現代漫画博物館 1945-2005』
(小学馆/2006年)
*资料协力







《正面壁展示》

●『漫狂(まんきち)』コーナー
『漫狂』は现代マンガ図书馆による刊行物です。
 1978年秋に0号が刊行され、创刊号(1979年春)、2号(1979年秋)と3册続きました。内容は馆の活动报告などの记事が中心です。この3册の『漫狂』のあとは、しばらく间をおいて1998年の新年から、発行され始めました。
 『漫狂』が発行されていないあいだは、『マンガ即売展』という印刷物が、まずリーフレット的なものとして刷られ、カタログ册子になっていきました。このカタログは1997年70号、手塚治虫文化赏受赏の报を知らせる号まで続いています。
 第2期『漫狂』は号数を『マンガ即売会』から引き継ぎ、71号から始まっています。『マンガ即売会』カタログを记事部分を増やした形でリニューアルし誌名変更したものといえ、2001年2月3日発行の77号まで6册分続きました。

【展示品】
馆长?内记稔夫「マンガ図书馆ができるまで」
『漫狂』1978年 秋 0号 辫.7




【展示品】
馆长?内记稔夫「まず始めに」および「目次」
『漫狂』1979年 春 创刊号 辫.1




【展示品】
「本図书馆を利用して作られた本と记事」
『漫狂』 1979年 秋 第2号 辫辫.32-33


【展示品】
馆长?内记稔夫「まず始めに(まず初めに)」
『漫狂』1979年 春 创刊号 辫.1 生原稿3枚


【展示品】
「现代マンガ図书馆」利用案内
『漫狂』1979年 春 創刊号 p.1 生原稿2枚




《别壁?ケース展示》

【展示品】
(写真?右から)
『漫狂』(現代マンガ図書館/1978年 秋 第0 号)
『漫狂』(现代マンガ図书馆/1979年 春 创刊号)
『漫狂』(現代マンガ図書館/1979年 秋 第2 号)




《覗き込みケース展示》

●手塚治虫と内记稔夫
 内記稔夫氏は、小学5年生の時、手塚治虫のマンガ『ロストワールド』に出会いとりこになりました。「ウサギ人間のミイちゃんの長靴だけが残っているシーン、強烈でした。このナンバー1は今も不動ですね」とのちに語っています。 大好きな手塚が現代マンガ図書館に訪れた時が、内記にとって人生最良の一瞬でした。手塚は温かい手で握手をし、「やあ、内記さん、よくやりましたネ。準備の間も高田馬場の手塚プロと出版社との行き帰りに見て、知っていました」とねぎらいの言葉をかけました。開館三日目の1978年11月3日、手塚の誕生日のことです。
 展示の単行本『ロストワールド』は、1958年の狩野川台风で水害にあって表纸を无くした后も、大切に保存されていた内记氏の蔵书。色纸は来馆当日に手塚が描いたもの。その日の日誌には「手塚治虫先生来馆!」の文字が跃っています。

【展示品】
左:
摆上段右闭
手塚治虫「太平洋X點」『 冒険王』 ふろく
(秋田书店/1953年1月号)
*水害本。无くなった表纸を内记稔夫が模写し修復したもの

摆上段左闭
手塚治虫『メトロポリス』
(キング出版社/1951年)
*水害本。无くなった表纸を内记稔夫が模写し修復したもの

摆下段闭
手塚治虫『ロスト?ワールド』
(鹤书房/1953年)
*水害本

中央:
開館三日目の手塚治虫による色紙 2枚
(1978年11月3日)

右:
『日誌 53年11月1日―11月30日』
『日誌 53年12月1日―12月31日』
『日誌 54年1月1日―1月31日』
(现代マンガ図书馆/1978、1979年)





《カウンター横?ケース展示》

 1997年6月3日、「现代マンガ図书馆の设立と运営に対して」第1回手塚治虫文化赏特别赏が赠赏されました。手塚ファンのマンガ少年だった内记稔夫が、あこがれの手塚の名を冠した赏を得るに至った瞬间でした。

【展示品】
第1回手塚治虫文化赏特别赏
トロフィー 、盾
(1997年/个人蔵)




《みなさま》
现代マンガ図书馆を再びご利用いただけるようになりました。この再开を期に、ますます図书馆资料をご活用くださいますように。

その蔵书が、未来に託すべき文化史资料として永く保存活用されるよう、窓口がひとつとなった米沢嘉博记念図书馆とともに努めてまいります。

今后とも両馆を见守り、応援していただけますよう、心よりお愿い申し上げます。


2021年3月19日

明治大学 現代マンガ図書館
明治大学 米沢嘉博記念図書館