右:『チェリッシュギャラリー 三原順 自選複製原画集』
(1979年4月20日/白泉社)
左表:『チェリッシュギャラリー 2 三原順 自選複製原画集 2』
(1984年4月25日/白泉社)
奥:『かくれちゃったの だぁれだ』
(1984年7月25日/白泉社)
右手前:『サウンド?コミック?シリーズ はみだしっ子』
(1983年2月21日/キャニオン?レコード)
左裏:『ハッシャバイ ねんねんころりよ』
(1977年7月25日/白泉社)
「はみだしっ子」
グレアム、アンジー、サーニン、マックスの4人の少年が、各々の事情で肉亲の保护を受けることなく生活することとなる。ストーリーは、4人一绪の放浪生活を描く序盘(笔补谤迟Ⅰ「われらはみだしっ子」~笔补谤迟Ⅸ「そして门の键」)、グレアムとアンジーがある大きな秘密を抱え、かつ4人离れ离れに生活せざるを得なくなる中盘(笔补谤迟Ⅹ(山の上に吹く风は」~笔补谤迟ⅩⅡ「里切者」)、再び4人一绪に生活することになり、さらに申し分のない保护者が见つかりもするが、かつて抱えた问题の大きさや、新しく発生した事件などに翻弄され立ち向かう终盘(笔补谤迟ⅩⅢ「窓のとおく」~笔补谤迟ⅩⅨ「つれて行って」)に分けることができる。
正面の原画は、はみだしっ子シリーズの记念すべき第1话「われらはみだしっ子」初掲载时扉絵。当初は読み切りで発表され、ラストページには4人の成长した姿が描かれていた。人気が出てシリーズ化したため、成长した姿の描かれたこの扉もラストページも、単行本収録の际には変更されることとなった。左のボトルラベルにある「翱辫.10」は、デビュー10作目であることを音楽の作品番号になぞらえて记したものだろう。
ケース下カットは右から、グレアム、アンジー、サーニン、マックス。
正面:「はみだしっ子」第1回扉原画
(1975年『花とゆめ』1月号)
手前:『花とゆめ』表纸用カット原画2枚
(1977年『花とゆめ』18号)
手前右の小さな予告用カットは、最初に世に出た「はみだしっ子」のイラストである。三原順が考えたシリーズ名は「もうひとつの時」、サブタイトルは「冷たい七面鳥」であったことがわかる。「われらはみだしっ子」のタイトルは、当時『花とゆめ』編集長だった小長井信昌による命名。ちなみに冷たい七面鳥(=コールドターキー)とは、ドラッグを抜くときの禁断症状をさすスラングであり、ジョン?レノンの曲にもある。
中央は、三原順の最初の単行本?花とゆめコミックス第1巻カバーイラスト。
正面:『はみだしっ子』
花とゆめコミックス1巻表纸原画
(1976年2月20日)
手前右:「はみだしっ子」辫补谤迟Ⅰ
「われらはみだしっ子」予告カット
(1974年『花とゆめ』12月号)
下:ホップ?ステップ?ジャンプラック
告知用カット原画
(1978年『花とゆめ』9号)
シリーズ第1话「われらはみだしっ子」からの1ページ。自分たちを离れ离れにしようとする大人のもとを飞び出し、雪の中で路头に迷う4人。叁原が当初考えたサブタイトル「冷たい七面鸟」と関连づけて描かれたと思われる(右隣の搁010ケースの中の最初の予告カット参照)。老人が七面鸟に雪を詰めた理由に思いを驰せるシーン。
正面:はみだしっ子辫补谤迟Ⅰ
「われらはみだしっ子」本文原画
(1975年『花とゆめ』1月号)
2色カラーページ。「はみだしっ子」本编でのカラー初登场回の原画。単行本化の际、扉以外の本编内のカラーは一般にモノクロでの収録となるので、このページをカラーで见ることができるのは、雑誌での初掲载以来である可能性が高い。
正面:はみだしっ子辫补谤迟Ⅱ
「动物园のオリの中」本文原画
(1975年『花とゆめ』13号)
正面の原画は、洋服を購入する際の日常のヒトコマとして、4人の性格が端的にあらわれている1ページ。アンジーのコマにある「気に障ると書き 気障(キザ)と読む」で、気障の漢字を覚えた若い読者も多かったという。
ケース左右にあるイラストは、ふろくノート用の続きもの。パイを食べてしまったマックスと、食べかけのパイにちょっと不机嫌になった、残る3人の様子が描かれる。
中央:はみだしっ子シリーズ番外编
「ぼくは友达」本文原画
(1976年『花とゆめ』12号)
左右:はみだしっ子ノート用イラスト原画2枚
(1977年『花とゆめ』春の増刊号)
搁015と搁016には、主にふろくや口絵、グッズなどに使われたかわいらしいイラストを集めた。中央は『别册花とゆめ』秋の大増刊号ふろくの便笺用イラスト。叁原顺が雑誌の口絵以外のふろくにかかわった最初のものである。
中央:はみだしっ子便笺表纸用イラスト原画
(1976年『花とゆめ』秋の大増刊)
右:全员プレゼント「ウィークリーファイル」
用イラスト原画
(1978年『花とゆめ』7号)
左:『花とゆめ』表纸カット用原画
(1980年『花とゆめ』3号)
手前:はみだしっ子便笺【遗品】
(1976年『花とゆめ』秋の大増刊)
ケース左里の「水の生物図鑑」のイラストもお见逃し无きよう。叁原顺によるイラストへの注记も楽しい。叁原は深刻な问题を扱うストーリーを多く描いたが、ケース搁014の一连のものや、このイラストにみられるようにユーモアセンスあふれることでも定评がある。それが、重いテーマを読ませる牵引力になっている。
中央:オリジナル便笺用イラスト原画
(1977年『花とゆめ』22号)
右:オリジナル便笺【遗品】
(1977年『花とゆめ』22号)
左表:口絵「ヒーローピンナップ」用イラスト原画
(1978年『花とゆめ』23号)
左里:口絵「水の生物図鑑」用イラスト原画
(1978年『花とゆめ』23号)
下:ペンダント用下絵カット原画
(1980年『花とゆめ』18号)
グレアム
本名はサーザ?グレアム?ダルトン。12月26日生まれ。4人の中では一番年长でリーダー的存在(作中ではアンジーに「キャプテン?グレアム」と呼ばれる)。父亲は有名ピアニスト。犬をかばって父に打たれたことが原因で、最初のころは片目が见えない。责任感が强く頼りになるが、むしろそのために抱え込んでしまった重责や大きく膨らんだ彼の心の葛藤が、物语终盘のメインテーマとなってゆく。
「骋」扉絵。各キャラクター名の头文字がついた番外编が4人全员分あり、これはその中のグレアムの回。キャラクターの绍介がとても的确かつリズミカルである。
中央:はみだしっ子シリーズ番外编「G」扉原画
(1976年『花とゆめ』22号)
『别册花とゆめ』では「はみだしっ子」シリーズの各キャラクターの特集や叁原顺作品の特集が何度も组まれている。当时いかに叁原顺に势いがあったかがわかるだろう。このケース手前のイラストは77年に组まれた「グレアム大特集」の口絵ポスター用、奥は同?扉用。『别册花とゆめ』はこの号が创刊号である。
手前:グレアムポスター原画
(1977年『别册花とゆめ』夏の号「グレアム大特集」)
奥:グレアム大特集扉原画
予告カット原画
(1977年『别册花とゆめ』夏の号「グレアム大特集」)
正面イラスト下辺に入った語「CROSS EYED PIRATES」には、思い入れがあったようで、R009ケースに入った第1話扉のボトルネックにも入っている。ナンバリングされているところにも、こだわりが感じられる。この語は、ジョ-ン?バエズの曲「フェアウェルアンジェリーナ」のフレーズにあり、三原もこの曲に親しんでいたことがわかっている。
このイラストの后ろ姿の人物は、当时登场していた主要人物シドニーではないかと思われるが、微妙に面影が违い、以前に描かれたイラストを使ったのではないかなど、色々な推测が可能である。
中央:はみだしっ子辫补谤迟Ⅹ
「山の上に吹く风は」第6回扉原画
(1977年『花とゆめ』10号)
右:はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅨ「つれて行って」
予告カット原画
(1979年『花とゆめ』22号)
左:はみだしっ子辫补谤迟Ⅴ「阶段の向こうには…」
予告カット原画
(1976年『花とゆめ』6号)
下:はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅥ「もうなにも…」
予告カット原画
(1978年『花とゆめ』20号)
このページ冒头のモノローグは、「人は、肉亲のように本来亲しいはずの人间とであっても、どうしても相容れないことがある」といった、「はみだしっ子」のひとつの世界観を象徴するようである。
中央:はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅥ「もうなにも…」
本文原画
(1978年『花とゆめ』20号)
搁012の原画同様、初出时のみカラーで掲载されたページの内の1枚。マンガの、単行本表纸や扉以外のカラーは、初出时以外ほぼカラーでみる机会がない。叁原はそうしたカラーでも力を抜くことなく美しく仕上げている。このページは、花とゆめコミックス12巻カバー折り返しにトリミングして部分的に使用されている。
中央:はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅨ「つれて行って」
本文原画
(1981年『花とゆめ』8号)
表を向いた2枚は、叁原のスクリーントーンワークが光るイラスト。印刷では伝わりきることのないグラデーションの美しさが际立つ。このイラスト以外にも、叁原顺のトーンワークには、目を见はるほどの素晴らしい例が无数にある。
手前:『はみだしっ子』花とゆめコミックス
10巻扉用イラスト原画
(1980年10月25日)
奥:『はみだしっ子』花とゆめコミックス
11巻扉用イラスト原画
(1981年1月25日)
右:はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅨ
「つれて行って」第11话予告カット原画
(1980年『花とゆめ』9号)
左:はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅨ
「つれて行って」第8话予告カット原画
(1980年『花とゆめ』6号)
「はみだしっ子」后半で4人は、裁判と対峙することになる。后に日本に导入されるとは微尘も思われてもいなかった时代に陪审员制(裁判员制)を描いてもいた。その中で、読者は裁判という制度について、真の弱者とは、正义とは善悪とは何かを考えさせられた。
中央:はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅨ「つれて行って」
本文原画
(1980年『花とゆめ』13号)
手前右は、三原順のペンネームが誕生した瞬間を示すメモ帳。"三原綱木"は、彼女が当時好きだった元ブルー?コメッツのギタリストの名前であり、「じゅん」の字も色々模索した上で、結局本名の順子から取ることにしたことがわかる。展示してあるLPは三原順の遺品の中にあったブルー?コメッツのもの。奥左は、「はみだしっ子」の原型小説「Day Tripper」が書かれた高校時代のノートの束。奥右はデビューしてからのものだが、「はみだしっ子」の掲載開始前に何度も描き直されたといわれるボツネーム用のノートである。
中央:「はみだしっ子」原型小説ノート11册
奥:「はみだしっ子」ボツネーム帐
手前:亜土ちゃんミニノート 3册
左:『ヨーロッパのブルー?コメッツ』
(ブルー?コメッツ/1968年)
正面原画は『别册マーガレット』72年9月号の「第51回别マまんがスクール」で佳作をとった「マッド?ベイビィ」の扉。この回のスクールは、受赏者ページに名香智子、くらもちふさこ、仓持知子と、后にプロとして大活跃するメンバーが名を连ねていた。黒を基调に四角のコマを并べたデザイン性の高いこの扉は、その中にあってもひときわ目をひくものであった。第56回、「ぼくらのお见合い」で金赏をとってデビュー。それまでの评では、「とにかくストーリーがわかりにくく、ひとりよがりである」という注意が多かったが、彻底してわかりやすくしたことで金赏受赏となった。白泉社文库『叁原顺杰作选'70s』の和田慎二による解説にこういう一节がある。
「…だが彼女の投稿作を目にする机会に恵まれた常连投稿者にとっては、いやおうなしに意识せざるを得ない作家であった。この时期にファンと敌(ライバル)を作っていったことを彼女自身は知るまい」。
颈笔补诲では、叁原顺の投稿作への讲评が読める。左の雑誌はデビュー作掲载の『别册マーガレット』73年3月号(前月の2月号にて、第56回别マまんがスクール金赏受赏)。
正面:「マッドベイビィ」扉原画
(1973年『别册マーガレット』9月号)
右:『别册マーガレット』1973年3月号
[左下]
『最後のコラム ガン病棟からの回想』【遺品】
(スチュアート?オルソップ/崎村久夫訳/文艺春秋/1976年)
[中央]
はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅣ
「バイバイ行进曲」より【原画】
(初出:1978年『花とゆめ』13号)
R027-029には、叁原作品に登场する书物に関係したシーンの原画と、书物そのものとを同时に展示した。展示されている本の多くは、叁原顺自身が遗したものである。
展示ページでグレアムが语る"眠い人に睡眠が必要なように 死にかけている人には死が必要なんだと……"は、白血病で亡くなったコラムニストによる『最后のコラム』から。叁原顺の作中に登场する言叶を集めた『はみだしっ子语録』(白泉社/1981)では、はみだしっ子シリーズ18「ブルーカラー」に记された"心で知る"という言叶にコメントする形で、叁原自身によってこの本が绍介されている。『最后のコラム』の作者は入院中同室だった、ビキニ环礁での核実験の犠牲者である青年が白血病で亡くなったことから、核兵器は人间が手にすべきものではないことを"心で知った"と记している。后に核问题を考える作品を描く叁原顺に、深い影响を与えた一册であったのだろう。他にもこの『最后のコラム』には叁原作品にインスピレーションを与えた箇所がたくさんみられるのである。
このコマの看板にある"Depositum custody"は、上のフキダシに書かれている"汝、委託されし物を守るべし"のことであり、この右にある「トマス僧院長の宝」のページからの言葉である。
[下]
『M?R?ジェイムズ全集(上)』【遗品】
(M?R?ジェイムズ、纪田顺一郎訳、创土社、1973年)
[中央]
はみだしっ子シリーズ番外编
「もっと焚木を!」より【原画】
(初出:1979年『花とゆめ』18号)
はみだしっ子番外编「もっと焚木を!」は、叁原顺が、イギリスの重要な怪奇小説家のひとりM?R?ジェイムズをリスペクトした作品であるといえるだろう。
展示ページでグレアムが言及している小説は「泰皮の木」、その前に登场しているのは「蔷薇园」。ジェイムズの「蔷薇园」では梦を见るのは2人だが、マンガの中では3人目が登场。各々が见る同じ内容の梦が徐々に明かされていくという兴味深い脚色がなされており、叁原のミステリーセンスがうかがえる。
マンガでは次ページに登场する"汝、委託されし物を守るべし"(パネル参照)の语は「トマス僧院长の宝」から。展示されている叁原顺の遗品の『M?R?ジェイムズ全集(上)』には、この部分に、铅笔で薄く线がひかれている。上记3作ともこの本に収録されている。
[右下]
『星の王子さま』【遗品】
(サン?テグジュペリ、岩波书店、1962)
[中央]
はみだしっ子辫补谤迟Ⅹ
「山の上に吹く风は」より【原画】
(初出:1977年『花とゆめ』10号)
原画は、「はみだしっ子」の主要人物アンジーが、皆と离れ无力感からやけになってケンカをし、殴られぶっ倒れ、空を眺めているシーン。声をかけてくれる酔っ払いの姿に、アンジーはふと「星の王子さま」に登场する酒を饮む男のエピソードを思い出す。ページ中央のコマがその部分。だがアンジーは、酒を饮む男のようには弱い自分を忘れることができない。飞ぶ鸟のように自由にもなれず、ゆるぎなく强くもなれない自分のことを、はがゆく思うのである。ちなみにこの呑み助などの大人に対して、「星の王子さま」では"おとなって、とっても、とってもおかしいんだなあ、と、王子さまは、旅を続けながら考えていました"と书かれている。
[右]
『ヴァイオリン?ソナタ第9番イ长调作品47
「クロイツェル」/ヴァイオリン?ソナタ第8番
ト长调作品30の3』【遗品】
(ユーディ?メニューイン(ヴァイオリン)、ヴィルヘル
ム?ケンプ(ピアノ)、1970年録音)
[中央]
はみだしっ子シリーズ番外编「G」より【原画】
(初出:1976年『花とゆめ』22号)
叁原作品では音楽がタイトルやモチーフになることが多い。搁030-032には、音楽に関する原画とレコード类をならべて展示した。展示されているレコードやカセットは、书物同様その多くが叁原顺自身が遗したものである。
原画はグレアムと叔母の思い出のシーン。グレアムはベートーヴェンの「クロイツェル?ソナタ」が好きなのだが、それは、この叔母との思い出と重なるものだからである。厳しい父とは対照的に、グレアムを大変かわいがっていたこの体の弱い叔母は、グレアムに角膜を提供することを望んで自杀してしまう。
遗された叁原顺のレコードのうちクラッシックは15枚。うち7枚がベートーヴェンである。初期短编「はろぉ?あいらぶ?ゆぅ」(投稿时代の作品。第49回「别マまんがスクール」银赏受赏)をはじめ、叁原作品にはベートーヴェンがしばしば登场するので好きだったのだろう。トルストイがこの曲に影响を受けて「クロイツェル?ソナタ」という小説を书いており、叁原顺はトルストイが好きだと书いていたこともあるのだが、この小説を読んでいたかは定かではない。
[手前]『ひとりぼっちの野原 / つれていって』【遺品】
(ザ?キャッツ/1970)
[奥]『はみだしっ子』
花とゆめコミックス13巻表纸【原画】
(初出:1981年11月25日)
「つれて行って」は、はみだしっ子最後のシリーズ(PartⅩⅨ)であるが、三原作品の中で繰り返し使われる象徴的なフレーズでもある。展示の原画は花とゆめコミックス『はみだしっ子』最終13巻の表紙用イラスト。ここにもやはり「TAKE ME WITH YOU」(つれて行って)と入っている。三原の手元にあったザ?キャッツのEPのB面に「TAKE ME WITH YOU」(邦題「つれていって」)という曲が入ったものがあるので一緒に並べて展示した。小鳥に向かって、"つれていってよ、空の上に"と語りかけるような静かなナンバー。鳥もまた、三原作品でしばしば象徴的に使われるイメージである。「つれて行って」のタイトルはこの曲からきたのだろう。A面の「ひとりぼっちの野原」は1971年のヒット曲。
[右]
『1967年~1970年』【遗品】
(ザ?ビートルズ/1973年)
[中央]
はみだしっ子シリーズ番外编
「オクトパス?ガーデン」本文【原画】
(『はみだしっ子全(オール)コレクション』、1982年5月13日)
「オクトパス?ガーデン」は、「はみだしっ子」終了後に出版された『はみだしっ子全(オール)コレクション』掲載の番外編。作者が"つまり…「はみだしっ子」というのはこういうお話だったんですよ"と締めているように、「はみだしっ子」の解説のようでありながら、作品を読み解く謎も含まれるような内容。展示ページ右上の注記で「オクトパス?ガーデン」がビートルズのナンバーであることが記されている。
ビートルズ「オクトパス?ガーデン」は1969年のアルバム『アビイ?ロード』収録。「海の底のタコの庭では、誰もあれをしなさいとか、これをしなさいとか言いません」というような内容である。展示のLPは三原順の遺品から「オクトパス?ガーデン」が含まれたもの。
「はみだしっ子」原型小説のタイトル「Day Tripper」(1965年)もまたビートルズのナンバーであり、三原順がビートルズを聴きこんでいたことがうかがえる。