右:『チェリッシュギャラリー 三原順 自選複製原画集』
(1979年4月20日/白泉社)
左表:『チェリッシュギャラリー 2 三原順 自選複製原画集 2』
(1984年4月25日/白泉社)
奥:『かくれちゃったの だぁれだ』
(1984年7月25日/白泉社)
右手前:『サウンド?コミック?シリーズ はみだしっ子』
(1983年2月21日/キャニオン?レコード)
左裏:『ハッシャバイ ねんねんころりよ』
(1977年7月25日/白泉社)
1972年7月号、第49回「别マまんがスクール」で银赏を获った「はろぉ?あいらぶ?ゆぅ」の扉。スクールに名前が载るようになってから6作目の投稿作品である。1977年の『花とゆめ』2号「はみだしっ子」総特集に、全ページが初掲载された。音楽家の父から逃げ出し、仲间の少年たちに出会う点や、主人公の少年がピアノを弾くシーンなどがあり、コメディながら后の「はみだしっ子」のエッセンスが詰め込まれている。音楽への言及が多いことも特笔すべき点である。
正面:「はろぉ?あいらぶ?ゆぅ」扉原画
(1977年『花とゆめ』2号)
正面は「マッドベィビィ」の原画。1972年9月号、第51回「別マまんがスクール」佳作受賞作で、デビュー1作前の投稿作。樹の枝をコマに見立てたとても斬新なページである。この作品が初めて全編掲載されたのは、2003年に刊行された豪華本『LOST AND FOUND』。右はデビュー4作目「光と闇とをむすぶ糸」扉。左の「水底の杯」とある扉絵は、実際の掲載時は「遥かなる祈り」というタイトルとなった、デビュー6作目のもの。
正面:「マッドベィビィ」本文原画
(2003年『LOST AND FOUND』1月1日)
右:「光と闇とをむすぶ糸」扉原画
(1973年『别册マーガレット』8月号)
左:「遥かなる祈り」扉原画
(1974年『别册マーガレット』5月号)
正面は「ようきなオバケ」原画、右は同扉、左も同原画である。叁原顺が『花とゆめ』に初めて描いた作品で、デビュー7作目。『花とゆめ』が创刊当初低年齢向けの雑誌を目指していたため、それを意识して描かれた楽しくかわいらしい16ページの短编である。手前のカラーカットは、当时『花とゆめ』に连载していた赤座ひではるの「チリリンふたりのり」のパロディ作品として、叁原顺によって描かれた「オロロンふたりワルのり」口絵。これは叁原作品で唯一日本が舞台となった16ページの短编である。赤座ひではるのほうは「はみだしっ娘」というパロディ作品を同时掲载している。
正面?左右:「ようきなオバケ」扉?本文原画
(1974年『花とゆめ』7月号)
手前:「オロロンふたりワルのり」口絵カット
(1976年『花とゆめ夏の大増刊』)
正面は「祈りの鐘がひびくとも…」の2色カラー原画。マンガ本編のカラーページは単行本掲載時にはモノクロで印刷されるため、このページをカラーでみることができるのは、最初の掲載以来ではないかと思われる。後の代表作「はみだしっ子」シリーズ第1作のすぐ後に描かれた、70ページの読み切り長編。著者11作目の作品で、「怪奇とロマン ゴシック?シリーズ」という『花とゆめ』創刊1周年企画の中の一編であった。このシリーズは全12作続き、三原順は、木原敏江?竹宮惠子?萩尾望都?山田ミネコなど錚々たるメンバーの中の数少ない新人のひとりだった。三原への編集部の期待のほどがうかがえる。
正面:「祈りの鐘がひびくとも…」本文原画
(1975年『花とゆめ』7号)
右、手前:「祈りの鐘がひびくとも…」
予告カット原画
(1975年『花とゆめ』6号)
正面は叁原顺デビュー8作目、1974年『别册マーガレット』に描かれた「赤い风船のささやき」ラストページ原画。当时ヒットしていた「幸せの黄色いリボン」の歌词を元にしている。同じ歌を元にした日本映画「幸福の黄色いハンカチ」は77年の公开。このページには铅笔书きで、この作品を描く际、叁原が聴いていたと思しきイメージ曲のタイトルが入っている。初期叁原作品のラストページには大抵イメージ曲がメモされている。右は『别册マーガレット』に描かれた最后の作品で、デビュー9作目の「ラスト?ショー」よりクライマックスシーン。空中ブランコの少女が少年の手をつかみそこね、惊いている様子をバックに大きく、少年が落下していく様子をコマ送りのように斜めに入れ込んだ印象的なシーンである。左は、13作目「涙のクラウン」より1ページ。叁原独特のシンプルでかわいらしいデザインセンスが确立された作品である。このセンスは、后に数多く描かれる「はみだしっ子」番外编や「ルーとソロモン」に引き継がれていく。このかわいらしさは、深刻なストーリーを描く叁原顺作品をメジャーにした重要な要素であろう。
正面:「赤い风船のささやき」本文原画
(1974年『别册マーガレット』9月号)
右:「ラストショー」本文原画
(1974年『别册マーガレット』12月号)
左:「涙のクラウン」本文原画
(1975年『花とゆめ』17号)
手前:「涙のクラウン」予告カット原画
(1975年『花とゆめ』16号)
「君の好きな帰り道」は1979年、「はみだしっ子」笔补谤迟ⅩⅥ「もうなにも…」と笔补谤迟ⅩⅦ「クリスマスローズ咲く顷」の间の、连载を少し休んでいる际に描かれた読み切り作品。作风も安定し読后感がよい。ケース搁030でも、本编中の1ページをみることができる。
正面:「君の好きな帰り道」扉原画
(1979年『花とゆめ』2号)
左右:「君の好きな帰り道」予告カット
(1979年『花とゆめ』1号)
搁015、016は「ロング?アゴー」関连のイラストを入れた。この作品は「はみだしっ子」の主要キャラクターであるジャックとロナルドを主人公にしたスピンオフ作品。连载が终わったのちに描かれた3回シリーズであった。「ロング?アゴー」の顷は、絵柄の変わり目である。少女マンガらしい华やかさと、后につながるクールな画风がバランスよく同居しており、「この作品が最も好き」というファンも多い。
正面:花とゆめコミックス
『ロング アゴー』カバーイラスト原画
(1982年12月22日)
右:「ロング アゴー Ⅰ」予告カット原画
(1982年『花とゆめ』12号)
手前:「ロング アゴー Ⅱ」予告カット原画
(1982年『花とゆめ』17号)
正面原画は、「ロング アゴー」シリーズ第1話ラストの名シーン。ケース左にもイラストがあるので見落とさないようにしてほしい。このイラストは「ロング アゴー」シリーズ第2話掲載時のふろくポストカードであった。タイトルは「真夏の夜のアニマル楽団」。子どもの頃のロナルドが描かれている。三原順の複製原画集『チェリッシュ?ギャラリー三原順2』にもこのイラストは入っており、そこに記された三原順のコメントには、「仕事をするよりも、眠りたい、という告白」とある。
正面:「ロング アゴー Ⅰ」本文原画
(1982年『花とゆめ』13号)
右:「ロング アゴー Ⅱ」予告カット原画
(1982年『花とゆめ』17号)
左:真夏の夜のアニマル楽団
ポストカード用イラスト原画
(1982年『花とゆめ』18号)
「はみだしっ子」
グレアム、アンジー、サーニン、マックスの4人の少年が、各々の事情で肉亲の保护を受けることなく生活することとなる。ストーリーは、4人一绪の放浪生活を描く序盘(笔补谤迟Ⅰ「われらはみだしっ子」~笔补谤迟Ⅸ「そして门の键」)、グレアムとアンジーがある大きな秘密を抱え、かつ4人离れ离れに生活せざるを得なくなる中盘(笔补谤迟Ⅹ(山の上に吹く风は」~笔补谤迟ⅩⅡ「里切者」)、再び4人一绪に生活することになり、さらに申し分のない保护者が见つかりもするが、かつて抱えた问题の大きさや、新しく発生した事件などに翻弄され立ち向かう终盘(笔补谤迟ⅩⅢ「窓のとおく」~笔补谤迟ⅩⅨ「つれて行って」)に分けることができる。
アンジー
本名はリフェール?ステア。アンジーはフランス语のアンジュ(天使)をもじった爱称。诞生日は3月22日。左利き。口は悪いが人一倍优しい。「はみだしっ子」の中で、年齢は上から2番目。女优を目指す母が、母の姉の家にあずけたままにしていた。母は、最初は定期的に会いに来ていたが、アンジーが小児麻痺になり脚が思うように动かなくなった顷、女优业が轨道に乗り始めたこともあり、ほとんど会いに来なくなる。母に会うため6歳の4月に家出したアンジーだが、母が自分より仕事を选んだことを悟りそのまま放浪の旅にでる。足は自分でリハビリし克服した。母亲譲りの美貌で、フリルのシャツなど华美な服装を好む。叁原顺はアンジーについて「料理とけが人の手当て、もめごとを悪化させるためには人并以上の才を持つ」(『花とゆめ』1977年2号)と记す。
原画は、アンジーについて描かれた「A」の扉絵。各キャラクターの名前の頭文字を取って描かれた番外編が4人全員分ある。 正面:「はみだしっ子」シリーズ番外編「A」扉原画 (1976年『花とゆめ』20号)
正面のカラーイラストは、『はみだしっ子』花とゆめコミックス2巻のカバーイラスト。左右のイラストは三原順のイラスト詩集『ハッシャ バイ』より。右のイラストは「椅子」という詩についた描き下ろしであった。本を開いて掲載ページを見せているので、見比べてみてほしい。
正面:花とゆめコミックス『はみだしっ子』2巻
カバーイラスト原画
(1976年9月20日)
左右:『ハッシャ バイ』原画
(1977年7月25日)
手前:『ハッシャ バイ』
(1977年7月25日)
正面イラストは1977年『别册花とゆめ』秋の号「アンジー特集」の表纸用イラスト。木に贴られている写真のサーニンが、卓上の饮物をストローで饮んでいるのがおかしい。
正面:アンジー大特集 表紙原画
(1977年『别册花とゆめ』秋の号「アンジー大特集」)
右:はみだしっ子辫补谤迟Ⅸ
「そして门の键」予告カット原画
(1977年『花とゆめ』1号)
「山の上に吹く風は」4話目の本編カラー原画。R012の2色カラー原画同様、おそらくこのページ全体をカラーで、みることが出来るのは、初出の雑誌掲載以来初めてのことであろう。中央のうずくまるアンジーの部分のみイラスト詩集『ハッシャ バイ』に使われている。ケース左のカットは、髪のピンクがとても印象的である。
正面:はみだしっ子辫补谤迟Ⅹ
「山の上に吹く风は」第4回本文原画
(1977年『花とゆめ』8号)
右:はみだしっ子辫补谤迟Ⅹ
「山の上に吹く风は」予告カット原画
(1977年『花とゆめ』5号)
左:はみだしっ子辫补谤迟Ⅹ
「山の上に吹く风は」第4回予告カット原画
(1977年『花とゆめ』7号)
アンジーは赤いバラを一轮添えて描かれることが多い。このケース正面および右のイラストもそうである。母との别れが决定的になった回「だから旗ふるの」で、女优である母の仕事仲间に、バラの花を「お前には似合わんよ!」と言われるシーンがある。母を探してさまよい、薄汚い子どもになっていたためである。アンジーと赤いバラが度々一绪に描かれるのは、このエピソードと関係があるだろう。
正面:『花とゆめ』表纸用原画
(1978年『花とゆめ』17号)
左右:「叁原顺のトランプランド」用カット原画
(1979年1月20日)
番外编「音楽教室」の美しい扉絵。この扉絵では、アンジーはさもヴァイオリンがうまそうに描かれているが、実は音痴で楽器演奏もあまりうまくはない。料理、裁缝、絵を描くことなど何でも器用にこなすアンジーの意外な一面である。
正面:はみだしっ子シリーズ番外编
「音楽教室」扉原画
(1978年『花とゆめ』19号)
笔补谤迟ⅩⅥ「もうなにも…」终盘の1ページ。アンジーが放浪生活から抜け出し、养子になることを决意、过去に出会った人々に思いを驰せているシーン。一旦话にひと段落ついたようにみえ、また、次の笔补谤迟ⅩⅦ「クリスマスローズ咲く顷」が始まるまで4、5カ月间あったため、続きが描かれるかどうかを心配した読者が大势いた。
正面:はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅥ「もうなにも…」
本文原画
(1978年『花とゆめ』21号)
右:はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅥ「もうなにも…」
予告カット原画
(1978年『花とゆめ』19号)
左:はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅨ「つれて行って」
予告カット原画
(1980年『花とゆめ』15号)
この、アンジーが大きく描かれた重要なシーンは、叁原顺が本来最终回にしようと思っていた回のクライマックスシーンである。决めシーンであるためか、アンジーの颜の部分の描き直しには凄みがある。叁原顺の原画の中でここまで描き直しの跡が残るものは比较的珍しい。他には、例えば「遥かなる祈り」の、両亲の离婚の知らせを受け取った少年の表情を5时间かけて何度も直したという証言などもある。叁原の创作へのこだわりが感じられ兴味深い。
また、叁原作品では、重要なシーンにおいて、优しさを突き放した态度で表现するという例が多いのではないか。このシーンもグレアムを思うアンジーが、死にたければ自分が杀してやるという、紧迫感ある印象的なシーンである。
中央:はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅨ「つれて行って」本文原画
(1981年『花とゆめ』14号)
手前右は、三原順のペンネームが誕生した瞬間を示すメモ帳。"三原綱木"は、彼女が当時好きだった元ブルー?コメッツのギタリストの名前であり、「じゅん」の字も色々模索した上で、結局本名の順子から取ることにしたことがわかる。展示してあるLPは三原順の遺品の中にあったブルー?コメッツのもの。奥左は、「はみだしっ子」の原型小説「Day Tripper」が書かれた高校時代のノートの束。奥右はデビューしてからのものだが、「はみだしっ子」の掲載開始前に何度も描き直されたといわれるボツネーム用のノートである。
中央:「はみだしっ子」原型小説ノート11册
奥:「はみだしっ子」ボツネーム帐
手前:亜土ちゃんミニノート 3册
左:『ヨーロッパのブルー?コメッツ』
(ブルー?コメッツ/1968年)
正面原画は『别册マーガレット』72年9月号の「第51回别マまんがスクール」で佳作をとった「マッド?ベイビィ」の扉。この回のスクールは、受赏者ページに名香智子、くらもちふさこ、仓持知子と、后にプロとして大活跃するメンバーが名を连ねていた。黒を基调に四角のコマを并べたデザイン性の高いこの扉は、その中にあってもひときわ目をひくものであった。第56回、「ぼくらのお见合い」で金赏をとってデビュー。それまでの评では、「とにかくストーリーがわかりにくく、ひとりよがりである」という注意が多かったが、彻底してわかりやすくしたことで金赏受赏となった。白泉社文库『叁原顺杰作选'70s』の和田慎二による解説にこういう一节がある。
「…だが彼女の投稿作を目にする机会に恵まれた常连投稿者にとっては、いやおうなしに意识せざるを得ない作家であった。この时期にファンと敌(ライバル)を作っていったことを彼女自身は知るまい」。
颈笔补诲では、叁原顺の投稿作への讲评が読める。左の雑誌はデビュー作掲载の『别册マーガレット』73年3月号(前月の2月号にて、第56回别マまんがスクール金赏受赏)。
正面:「マッドベイビィ」扉原画
(1973年『别册マーガレット』9月号)
右:『别册マーガレット』1973年3月号
[手前]
『まどのむこう』【遗品】
(チャールズ?キーピング/いのくまようこ訳/らくだ出版/1977年/4刷)
[中央]
はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅢ
「窓のとおく」より【原画】
(初出:1978年『花とゆめ』9号)
「はみだしっ子 PartⅩⅢ 窓のとおく」からの1ページ。
グレアムが何かを思いつめている様子に、アンジーは落ち着かない。
アンジーが窓から眺めていた楽しげに见えた子供は、実は犬が死んで泣いていた。
その话を引き合いに出して、アンジーはグレアムに诉える。
お前が笑っていると思ったけど本当は违う…そんな感じは嫌なのだ、と。
グレアムの父が死に濒していることが本编の最后で明らかになる。
窓の内から眺める様子と真実が违うというイメージがキーピングの絵本『まどのむこう』から来ていることは、叁原作品の名言を集めた『はみだしっ子语録』(白泉社/1981年)で叁原自身が説明している。
[右手前]
『约束の地』【遗品】
(ロバート?叠?パーカー/菊池光訳/早川书房/1978年)
[中央]
はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅦ
「クリスマスローズ咲く顷」より【原画】
(初出:1979年『花とゆめ』8号)
「クリスマスローズ咲く顷」からの1ページ。本编でバカ息子を演じたアンジーは、伤ついて家を抜け出し酒场へと行く。酒场の酔っ払いに教わる「家ってのは…」で始まる言叶がロバート?B?パーカー『约束の地』にヒントを得ていることは、やはり叁原自身が『はみだしっ子语録』で记している。
「今现在、私自身もさして幸福ではない。家へ帰るべきなのだろう。家は、おまえが行くことができて、人々がおまえを受け入れざるをえないところなのだ。」(『约束の地』より)
ロバート?B?パーカーはアメリカのハードボイルド系ミステリー作家。『约束の地』は私立探侦スペンサーが活跃するシリーズの4作目。80年代にアメリカでTVドラマ化もされている。叁原顺は大変な読书家であり、海外ミステリー小説も好んで読んでいたようである。
[手前]
『意識と社会 ヨーロッパ社会思想 1890-1930』【遺品】
(スチュアート?ヒューズ/生松敬叁?荒川几男訳/みすず书房/1970年)
[中央]
はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅨ
「つれて行って」第27回より【原画】
(初出:1981年『花とゆめ』17号)
展示の原画は「つれて行って」终盘からの1ページ。『意识と社会』からの引用がある。「我々は…」から始まる言叶がそれである。これは元々クローチェの言叶をヒューズが引いたものである。19世纪末デカダンス的印象を与える言叶かもしれないが、新しい时代へ臆せず乗り出していく决意の文章としてヒューズは引用している。展示した原画の最后のモノローグに登场する「ヒューズ」とは、以前グレアムを治疗した精神科の医师のことだが、おそらくスチュアート?ヒューズからその名を取られている。
叁原顺が引用しなかった文章の続きが実は兴味深い。
「そして、われわれがたった一つもちつづけてきたものは自己意識であり、 その意識をもっと明晰にもっと明白にしようという欲求だけだ。 そしてこれを満足させたいという欲求が、 われわれを科学と芸術に向わせるのである」
遗品の本の辫288には、上记引用箇所に铅笔で囲みが入れられ、展示品の様にカバーがそこに折り込まれた。
[手前]
サマータイム(自作编集カセットテープ)【遗品】
[中央]
「君の好きな帰り道」より【原画】
(初出:1979年『花とゆめ』2号)
「君の好きな帰り道」本編中の1ページ。「サマータイム」をカバーした、多くのミュージシャンの名前が並ぶ印象的なシーン。三原順の遺品の自主編集カセットテープにも、「サマータイム」の色々なバージョンが入ったものがあった。カセットにはマンガの中の「14種類の"サマータイム"」とある言葉にあわせたかのように、14種類の「サマータイム」が入っている。展示のページに列挙されているのは8曲分、展示ページの次ページに1曲、つまり作中には9曲しかでてこない。入ってない残りのアーティストは、「ボビー?マーチン&MFSB」、「ローランド?ハナ&ジョージ?ムラーツ」、「山本剛トリオ」、「村岡実(尺八) ダン池田&ニューブリード」、「バーニー?ケッセルカルテット」である。
[手前]
『ひとりぼっちの野原/つれていって』【遗品】
(ザ?キャッツ/1971年)
[中央]
はみだしっ子笔补谤迟Ⅹ
「山の上に吹く风は」より【原画】
(初出:1977年『花とゆめ』9月号)
「つれて行って」は「はみだしっ子」最終編のタイトルで知られるが、三原作品の中で繰り返し使われる象徴的なフレーズ。ザ?キャッツ『ひとりぼっちの野原/つれていって』 は1971年の曲。小鳥に向かって、「つれて行ってよ、空の上に」と語りかけるような静かなナンバー。鳥もまた、三原作品でしばしば象徴的に使われるイメージである。
「はみだしっ子」笔补谤迟Ⅹ「山の上に吹く风は」の中に、アンジーがシドニーに助けられ「あんたの好きな様にしなよ!」と応えるシーンがあるが、このシーンに入る言叶は、雑誌掲载时は「连れて行って」というセリフだった。展示品は、雑誌掲载时以降一度も使われていないページの原画である。叁原顺が何故コミックス収録时にこのシーンを描きかえたかは不明だが、后に「つれて行って」というシリーズを描くことにしたため、いったん封印したのかもしれない。実は「山の上に吹く风は」も「つれて行って」のイメージで描かれていたことがわかる。
[左]
『いつか、どこかで』【遗品】
(ブライアン?フェリー/1974年)
[中央]
はみだしっ子辫补谤迟ⅩⅨ
「つれて行って」より【原画】
(初出:1980年『花とゆめ』15号)
「つれて行って」でアンジーがグレアムにリクエストする不健康なムードの「ユー?アー?マイ?サンシャイン」はブライアン?フェリーのカバー。ジミー?デイビスによるオリジナルは軽快なメロディーだが、作中でアンジーが语るように実は失恋の歌。「あなたはボクのたったひとつの日だまり」。そんなアンジーの思いを音楽にのせて表现した名场面。