おざわゆき(1964年?)
投降した日本军捕虏ら约60万人が、终戦后も、ソ连によって、主にシベリアで强制労働をさせられていた、いわゆるシベリア抑留。本作は、その过酷な経験を生き抜いた作者の父亲の话をもとに描かれた。氷点下30度以下の极寒の世界で、いつ终わるともわからない労働の日々の中、次々と死んでいく仲间たち。そうしたことを淡々と话す父に、作者は、「あきらめの向こうにある絶望感」を见出したと语っている。もともとは同人誌として描き下ろされた。
太平洋戦争末期は、本土でも大都市を中心に大规模な空袭に见舞われた。その一つ、名古屋を舞台に、戦时下の日常を生きる家族を、一人の少女の目を通して描く。父亲のシベリア抑留の体験をもとに「冻りの掌」を描いた作者が、今度は、名古屋大空袭を生き延びた母亲をモデルに、実际に体験していない戦争の记忆を、受け継ぎ、伝える、ということに再び挑む。今回、テーブルケースに展示されているテキストは、作者が母亲へのインタビューの文字おこし。本作が持つリアリティーを支える秘密の一端である。
壁面全体
「冻りの掌」原画
「あとかたの街」原画
「あとかたの街」はデジタルデータが完成原稿である。
手描き原画と完成原稿とを比较してみて欲しい。
「冻りの掌」原画
暖かく、やさしいタッチの
マンガ表现なのに
そこには「シベリア抑留」という
氷点下の地狱図が
深く、リアルに、静かに
语られている。
日本人が决して忘れてはいけない
暗く悲しい六十六年前の真実。
次代を担う若者たちには
何としても読んで貰いたい
衝撃の一册。
『冻りの掌』刊行に寄せて
ちばてつや
『冻りの掌』より(2012年7月24日刊)
テーブルケース
おざわゆき「あとかたの街」原画
「あとかたの街」を作るにあたって、作者のおざわゆきは母亲にインタビューをしている。
その文字おこしの一部をご绍介したい。
母の証言 矢场町
[略]
思い出したら泣けてきた。辛いというよりもよくみんな助かったな?って……
がああ?っと必死だわね、わたしらも夏子さんも。
火藁っていうとねえ、纸に火がついたやつがねえ、足元を风がいく。
真暗、烟でね。夏子が火より下駄はいて素足で出てくるもんでね「あちい?!あちい?」って走ってた。
わたしは运动靴だけ、热くないけどね。
姉は足袋裸足で、白足袋。お位牌だけちゃんと持って、逃げるときに飞び込んでってつかんできた。
[略]
商工会议所。もう纸ばかり、纸が火ついたまま舞っている。あっちもこっちも燃えてて。火が出ると风がものすごく起こる。しゃーーーーっと足元も烟やら燃えとるもんやら、夏子が「あちいい?」っと言ってたのは忘れない。
ああなってくると母亲も「ああしよこうしよ」って怒鸣らない。
いつもはきょうだいげんかやるとようしかられて。女の子だから叩かれたりはしないけど。
ただただ乳母车にくっついて、私らは一绪に走るだけ。
火が足元をはう、火の粉。子どもだったら结构距离があるかも。
鹤舞への前の道は一绪のひろさ。メインの通りで広かった。电车が走ってた、真ん中を。
鹤舞の入り口はいまと一绪、ガードも一绪。
本当にうちらだけだった、走っていたのは。后から来たのかもしれないけど。
その时は焼夷弾は降ってたと思う。だけど全然头のことは覚えてない。
后から闻くと直撃で亡くなった人もいたって闻くから降ってたんだろうねえ。
空も真っ黒だし、下の方が赤いし、飞行机だって见えないやん。
バラバラと落としとったかもわからんけど、回りがすごくて覚えがない。
だって、いっぺんに来てばああっと落とすんでしょ、チョロチョロ2?3 機で落としてそれが連続していつまでもいつまでも続く。
ピカピカの飞行机が来るの、南から。
目の感覚のところで落とすと命中する。まんしたで落とさないでしょ。おお?あぶないぞ?って感じ。
真上だと向こうにいっちゃう。
そりゃキレイなもんだよ。ピッカピカの飞行机がね。
昼间だと上のほうでね、すごくキレイに编队组んでくるわね。夜は低いところだわね、わりかた。もう味方の飞行机なんて全然来ないもんね。
[略]
焼死体がころがってたのはどの辺だろうか。
この辺歩くと、もう手を合わさないでおれない、思い出して。
そこに「木曽路」があってよく来るんだけど「お父さんちょっと待って、私お祈りするから」と。
一绪にいたのにみんな死んじゃったがね。
本当に真ん中に墓标でも立てたいくらい。
昨日见せてもらったのは生のこげてない死んだ人だけど、わたしが见た黒こげの死んだ人はこの辺で集めて燃やしたって后から闻いた。
[略]