「铃木先生」にも垣间见られるように、武富健治の世界には、人间と社会のダークサイドへのまなざしが含まれている。
「サスペリア」、「インフェルノ」など、ダリオ?アルジェントのホラー映画の影响も公言している武富は、多くのホラー短编や、実録?実话系雑誌での原作つき短编を手掛けている。
ここでは、単行本未収録のホラー短编の原画を中心に、いわゆる里社会や、怪奇现象の世界を描き出す武富の手腕を堪能されたい。
*短编原画は以下の通り展示替えします。
第1期:「必ず出るコンビニ」
第2期:「獣面」
第3期:「ナビゲーター」
第4期:「天狗の贴り纸」
幼少时の「世界名作全集」、小3での「赤い鸟杰作集」との出会いなど、武富は何度かの児童文学热を経験してきている。
そんな中、中3で読んだ永岛慎二の「漫画家残酷物语」で、登场人物たちが语る「児童漫画」への想いに、武富も共鸣するようになったようだ。その想いは、今も継続しているという。
大学では児童文学の研究サークルに所属し、英米系ファンタジーより「家なき子」などを爱好したという。日本の作家では坪田譲二、新见南吉等の名が挙がる。
ここでは、福音馆书店発行の『おおきなポケット』で絵コンテを担当した、絵本作家?片山健の漫画作品、それ以前に『おおきなポケット』に持ち込んだ自作のネーム、『ぴろう』掲载の児童文学作品「都会の先生」を绍介する。
十代の顷までは、仲间の漫画少年の中でも突出して、「売れ线」のマンガを描く子供でした。
それがまず、中叁の顷から永岛慎二氏や白土叁平氏などの作品に触れるようになり読者としての趣味が変化し、それが数年のうちに、横光利一や志贺直哉といった近代日本文学やトーマス?マン、チェーホフといった外国文学に亲しむようになったことでいっそう深い渇きとなり、作品を描く上での趣味に影响が及び、十代の末ごろからは「文芸漫画家」を名乗って、ここで见ていただけるような、いわゆる「売れ线」的要素?手法をかなり削ぎ落とした、いささか禁欲的とも言えそうな作风を追及することが活动の中心となりました。
(武富健治「あとがき」『扫除当番』太田出版、2007年)
テレビドラマ版「铃木先生」の中でも强く印象に残る「扫除当番」のエピソードはもともと独立した短编作品として描かれている。
ここではそのオリジナル版「扫除当番」の原画を中心に、武富文芸漫画のうち、本人が「本流」と呼ぶ「少女日常もの」の作品を绍介する。
*展示原画は、第1期、第2期、第4期が、「扫除当番」のそれぞれ异なるページ、第3期が「シャイ子と本の虫」のキャラクタースケッチとなります。
青年の少し幻想的な日常の世界。
青年の生々しく重苦しい悩みを、私小説的にそのまま再现したものを読みたいとは、自分でも思いませんでした。
それで、自らの思いを中学生の少女などに託してみたのが「少女日常物」だったのですが、青年を青年のままに描こうとする场合、なにか仕掛けが必要だと感じ、幻想的な演出やサスペンスタッチが加わったのだと思います。
好きなものと得意なものは违う、という言叶がありますが、僕にとっては、どうもサスペンスタッチというものが、后者に当たるようです。
(武富健治「自作解説」『屋根の上の魔女』ジャイブ、2007年)
*第3?4期に「屋根の上の魔女」の原画を展示します。
武富健治の作品世界では、手塚治虫のそれと同様、スターシステムが採用されている。その代表的なスターの一人が铃木章(ショウ)だ。
「铃木先生」において、教师として生徒たちの心の変革を要求する「デビルマンのような人间」(武富自身の言叶)としての自分と、「小川病」に悩む一人の人间としての自分との间で、揺れ动く主人公を演じている彼は、「常识」や「风潮」としての伦理観に根本的な疑いを提起する役割を、多くの作品で果たしている。
手塚作品におけるロック?ホームのような「悪」の侧面を持った铃木章を、初期の主演作品の原画を中心に绍介する。
*第1?2期で「面食いショウの孤独」、第3?4期で「剧団ショウの罪と罚」の原画を展示します。
「武富健治の育ち方」のコーナーで见る通り、武富はすでに小学校时代から、自作の漫画を本や雑誌の形态に仕立てることに热心であった。
中学校に进むと、「KT2」こと田中宏治との间で盛んに文通漫画として多くのミニ漫画本を作っている。
田中らとともに初めは中学校の卒业记念にと発行したコピー同人誌『モダンボーイズ』は、高校时代にも発行が続けられたほか、高校、大学では漫画研究会に所属、それぞれの会誌に携わっている。
大学卒业后は『ぴろう』のような创作文芸誌に参加する一方、商业誌での発表の机会になかなか恵まれない中、自作の発表机関として「胡蝶社」を立ち上げ、个人誌を多く発行していく。ここではまず、『ぴろう』までの同人誌を一覧する。
大学を卒业した1994年、自らの个人誌を発行するために立ち上げたのが胡蝶社である。
武富の自笔年谱には、前年、「自信作『扫除当番』が1次审査にも及ばなかったことで、さすがに息が切れ、商业誌向けの活动を一切停止」したとある。これが胡蝶社立ち上げの直接の背景だと言えるだろう。
その后もしばらく続く商业誌デビューに向けての苦闘、およびデビュー后もさらに続いた苦闘の傍ら、胡蝶社での活动は、大学时代などの旧作の刊行や胡蝶社のための描き下ろし作品の刊行の形で続けられた。
现在もコミック?マーケットやコミティア等の同人誌即売会に継続して参加しており、胡蝶社は武富の作家活动の重要な柱となっている。
江露巣主人名义での成人向け漫画の创作は、大学时代に漫画研究会の仲间と立ち上げた「ゴッドな漫画製作委员会」への参加に始まる。
同会発行の同人誌に発表した作品は、后に「江露巣主人大全」にまとめられており、また、商业誌にも「レイプ主人诞生!」を発表している。
その作品群は猟奇的内容を含む强烈なものだが、エロ漫画のパロディとしての性格を持つギャグ漫画的なノリで描かれている。
そこには武富のエロ同人誌作品一般に対する批判意识、文芸漫画で追求していた「そぎ落とす演出」ではなく中学时代の「ガンガン描き飞ばす楽しさ」の回復という意识、手塚や白土叁平にもある「ヤバさ」の追求といった侧面があり、「铃木先生」の多面性を考える上でも重要だ。
幼いころ、ノートやスケッチブックやチラシの里などに、好きな漫画やアニメ、特撮ものの絵を描いた経験を持つ人は、少なくないだろう。だが、そこから长じてプロの漫画家にまでなるのはごく一握りの人间だ。
武富が保存するノートや大量の自作漫画は、どこにでもいそうな漫画好きの少年が、次第にどこにでもいるわけではない漫画青年となり、类まれな作家としての自意识をまとい、絵を、言叶を、コマ割りを、物语构成を、次第に洗练していく成长の过程を见せてくれる。
そうした资料群をこれだけの量保存していること自体にも现れている、武富の作家性の形成过程を、ご覧いただきたい。 まずは、小1の时のノートと小3の时の観察日记、武富の中学时代のミニ漫画本が詰められた缶などを绍介する。
小5での田中宏治との出会いは、武富にとって大きな出来事であった。同じK.Tというイニシャルを持つ者同士、まさに「K.T」のペンネームを掲げて、二人で一人の漫画家としてデビューすることを目指して合作?竞作を始める。
小6で北海道から东京に転向した后も田中との文通は続き、多くの「文通漫画」が、ミニ漫画本の形で二人の间で作り続けられた。
B5判のノートに描かれた作品も多く残されており、ここでは、中学时代に大量に生み出された作品のうち、武富の手による主要なものを绍介する。
その多くはSFヒーローものだが、学园ギャグものなどもあり、K.Tの出会いを语る自伝漫画なども描かれている。个々のタイトルについて详しくは、胡蝶社の旧ホームページを参照されたい。
すでにこの顷から、设定やキャラクターのスケッチを行なった上で作品にとりかかっていることがノートなどから见てとれる。
また、中2の文化祭で脚本?演出等、主要な役割を果たした『长距离列车杀人事件』の脚本が残されている。
30代で打ち込み、「铃木先生」にも活かされる演剧への志向の原点がここにあると言えるだろう。
高校に入学し、漫画研究会に所属した武富は、いっそう盛んに漫画を描き続けている。
武富によれば高校の漫研の活动は文化祭などでのイラスト展示が主体だったという。
それもあってか「絵」の力が、高校入学当初、そして卒业前后辺りに格段に向上していることが见て取れる。
自分の作品がアニメ化されたら、との想定のもとに描かれた、セル画や(アニメーション制作上の)原画も残されていて、「描く」ことが楽しくて仕方なかった様子がうかがえる。
この时期には、「古代戦士ハニワット」、「忍风伝説」、「Cod Roes TARA(コッドローズ?タラ)」など、小?中学时代からの作品?キャラクターに加え、「オグナ伝説」など新たな作品も生み出された。
古代史を基盘にした武富歴史SF世界とでも呼ぶべき世界観の构筑が行われ、「オグナ伝説」や「ハニワット」の物语やキャラクターはその大きな世界に含み込まれるものとして整理?统合が行われている。
画力だけでなく、コマ割りも洗练されてきており、壮大な物语世界の构筑とあいまって、后の武富のスタイルの基础が筑かれた时期だと言えよう。
青山学院大学に进学した武富は漫画研究会に入会、会誌『あおやんま』や月刊コピー誌、学园祭での似颜絵描きなど、精力的に活动することになる。
入学した年の秋には月刊コピー誌の编集长となり、毎号表纸とタイトルを既存雑誌のパロディにしている。
漫研内のストーリー漫画描きのグループで発行していた『想画集』にも参加、中学以来の『モダンボーイズ』も継続して発行、田中宏治とのユニット「武田治」での『春愁』の発行など、极めて旺盛な创作意欲を见せている。
*このケースの资料は、各期、一部展示替えします。
「文芸漫画」という言叶とそれが标榜するものも明确になり、「面食いショウの孤独」で『アフタヌーン』四季赏準入选、「康子」でビッグコミック赏佳作と、プロデビューも目前というところまで迫ったが、アフタヌーンでもビッグコミックでも、担当者はつくものの、掲载にまでは到らず、苦悩が始まる。
一方大学2年からは「リテラリイ?ギルド」に参加し、会誌『Nicolet』で执笔、3年からは「ゴッドな漫画製作委员会」でのエロ同人誌活动と、漫研の活动と并行して、その创作意欲は衰えていない。
4年での卒业论文「现代日本における弱者至上主义に対する批判的考察」は、后に胡蝶社刊の『扫除当番?赎罪 他叁篇』に全文収録されている。ここにはその最终ページを展示した。
武富のアシスタント歴は以下の通り。
中山乃梨子氏:大学1年の秋から以后数年ヘルプで。
高冈基文氏:1995年ごろ。
高田靖彦氏:1997年から2002年。
多田拓郎氏:2003年ごろ半年ほど。
アシスタント経験は、意外とていねいにやる部分、思った以上にざっくりやる部分等、商业誌の漫画の描き方を知ることに役立ったと武富は言っている。
ここではアシスタントとして働いた作品の一部、アシスタント仲间による合宿「明るい印税生活を目指す若狮子の会」で行なわれた、诸星大二郎「妖怪ハンター」を絵コンテに戻してから自分で再构成するという试みを示す资料、およびテレビ东京製作のドラマ『つげ义春ワールド』の剧中で使用された原稿のコピーを展示する。
大学入学后、そして卒业后と、武富は、漫画だけでなく多くのイラストを描いている。
「武富健治イラストレーションズ」のコーナーでは、知人の発行していた诗の同人誌『FEELING』の表纸絵となった、植物や女性をモチーフにしたイラストのシリーズと、文芸同人誌『ぴろう』の扉絵を中心に、キャラクターのラフスケッチや、様々な画材?手法を试している様子が见て取れる资料などを展示した。
「铃木先生」の印象から「言叶」の作家と思われがちな武富の、「絵」の力を堪能していただきたい。
别に展示した年谱にある通り、武富は多くの漫画、小説、映画、演剧、音楽から影响を受けながら、その作家としての自己形成を果たしてきた。
ここには、作家?武富健治を育てたもののうち、小説、映画、演剧、音楽の主要なものが、武富自身の手で选ばれている。
この特异な作家を生み出したエッセンスとその组み合わせの妙が読み取れる棚として、ご覧いただきたい。
ここには、武富に影响を与えた漫画のうち、主要なものが武富自身に选ばれて展示されている。
初めて买ってもらった漫画本は『サザエさん』、小1のノートにはドラえもんが踊っていた武富は、その后どのような漫画に触れて育ってきたのか。
この棚からは、武富自身が言うように、“トキワ荘やガロCOM黄金时代に遅れ、80年代ポップ全盛の顷に文芸漫画を模索したひとりの特殊かつありきたりな漫画家”の漫画読书歴がよく见てとれる。
武富健治という作家は、すでに手塚治虫漫画全集や小学馆漫画文库が刊行され、トキワ荘やガロやCOMに思いをはせながら、漫画史上の名作を読もうと思えばいつでも読める、そんな环境があってこそ生まれたのだとも言えるだろう。
【古代戦士ハニワット?ケース】
「古代戦士ハニワット」の世界観がどのように変容してきたのかについては、胡蝶社刊行の「古代戦士ハニワット 月読伝説」に详しい(当馆2阶閲覧室で閲覧可能)。
小学校时代の「原始戦士ハニワット」以来、长きにわたって温め続けてきたこの作品は、武富のライフワークとして、今もその準备のための取材などが継続している。
ここでは、高校时代にその世界観が格段にリアルになってからのハニワット関连原画と、今回の展覧会のために、武富自身の手で制作された最新型のハニワットの6分の1フィギュアを展示する。