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●第4期:ミーちゃん特集 魔夜峰央(通称?ミーちゃん)の冒険




No.00
第1期?ケース狈辞.00と同じ




●壁ケース展示

《魔夜峰央作品ギャラリー》
狈辞.01~08
第1期?ケース狈辞.01~08と同じ




《「パタリロ!」特集》


No.09
「パタリロ!」
1978年『花とゆめ』24号-连载中
 常春の国マリネラの国王パタリロ?ド?マリネール8世は10歳。人间离れした优秀な头脳と身体能力を持つが、その能力は、お金储けや度を越したいたずら(仕掛けられた侧が死を覚悟しなければならないほど)にもっぱら浪费されている。

【魔夜峰央コメント】
ギャグに初挑戦した「ラシャーヌ!」のあと、『花とゆめ』本誌で描くようになったんです。「ラシャーヌ!」の仕事を持ってきた碍さんという编集さんからの依頼でした。「パタリロ!」の一本目「美少年杀し」は全然ウケなかった。半年后くらいにまた碍さんから前后编の仕事が来たので、「美少年杀し」のキャラを使っていいですかと言って、今度はパタリロを主人公に、バンコランをライバルにして描いたのが「墓に咲くバラ」。その时はひとりで描いてました。『花とゆめ』本誌は月2回刊なので、计68ページをひと月で描いて死ぬかと思いました。最后の方はもう目がダメになってきてボヤーっとしか见えなかった。

【展示品】
『パタリロ!』2巻 単行本用トビラ
花とゆめCOMICS 1980年2月20日、白泉社

No.10
二つ名の秘密
 「パタリロ!」のトビラ絵右枠外に书かれている文字に注目してみよう。掲载誌の着者名に添えられたキャッチ(二つ名)が、着者によるものだということがわかる。他のケースのトビラ絵の枠外にも注目してほしい。

【魔夜峰央コメント】
当时読者はみんな担当编集がつけているものと思っていたみたいですが、すべて自分でつけていました。

【展示品】
タマネギ少年隊 トビラ
1984年『花とゆめ』2号
花とゆめCOMICS 21巻単行本用トビラとして使用

No.11

【魔夜峰央コメント】
蔷薇の秘密
蔷薇は初期以降は自分では描いていないです。苦手だったので。池田理代子さんの蔷薇が好きで、洋风で鋭角的なバラを描いているのを参考に「これ描いて」とアシスタントに指示をしていました。イラストの构図决めはもちろん自分でやりますし、他の不思议な生き物などは下描きまで自分で描きますが、蔷薇は「バラ」って文字で指定すると入ります。

【展示品】
時間よ止まれ 後編 トビラ
1986年『花とゆめ』14号
花とゆめCOMICS 31巻単行本用トビラとして使用

No.12

【魔夜峰央コメント】
こういう白抜きの描き文字が入るトビラを一时期よく描いていました。最初はそんなに上手に描けなかったんですが、描いてるうちに綺丽になりましたね。今ではもう惯れたのでひらがな一文字なら一笔で行けます。これは一种の手抜きですね。字を描いておけばそれらしく见えるので。

【展示品】
あなたにバレンタイン トビラ
1987年『花とゆめ』4号
花とゆめCOMICS 33巻単行本用トビラとして使用

No.13

【展示品】
『パタリロ!』38巻カバーイラスト
(表1)
花とゆめCOMICS 1989年2月25日、白泉社

No.14

【魔夜峰央コメント】
うしろの烟のような描き文字ですが──私は空间恐怖症なので、空いたスペースは埋めたいんです。なんでもいいから适当に描いていったらこういうものが出てきた。深い意味はありません。

【展示品】
ダジャレの帝王 トビラ
1992年『花とゆめ PLANET増刊』5月1日号
花とゆめCOMICS 50巻単行本用トビラとして使用

No.15

【展示品】
新選隊無頼控 トビラ
1994年『別冊 花とゆめ』6月号
花とゆめCOMICS 56巻単行本用トビラとして使用

No.16
 「パタリロ!」には本编以外にスピンオフが何作かあり、単行本タイトルになっているものに「パタリロ西游记!」「パタリロ源氏物语!」そして「家政夫パタリロ!」から始まる一连の家政夫シリーズなどがある。

【魔夜峰央コメント】
どうしてパタリロを家政夫にしようと思ったんでしょうねぇ。なんとなくそうなっちゃった感じです。パタリロを国王から家政夫という真逆の立场に置いてみたらどうなるか、と考えていたかもしれません。亲の借金が100亿円という设定は、当时テレビで、バブル崩壊がきっかけで结局100亿円の借金を背负ってしまったって人が出ていたんです。その人が「毎月10万ずつ返済している」と言っていて、そうすると返済の意思表示になるので债権者も破产されるよりはマシらしいですね。现実にあるんならそういう设定にしてもいいかなと。でもそれで真面目に返そうとすると1万5千年とかかかっちゃうらしいんですよね。

【展示品】
「家政夫パタリロ!」 1話 トビラ
2004年『シルキー』12月号




《ミーちゃん特集》


No.17
「ミーちゃんの冒険コーナー」
 「ミーちゃん」とは、魔夜峰央によって描かれるキャラクターとしての魔夜峰央の呼び名である。本コーナーでは、ミーちゃんが登场し活跃する様子を「ミーちゃんの冒険」とし、その変迁を追ってゆく。冒険の全体は会场正面壁下段のパネルに集约してある。参照してほしい。展示原画は、ミーちゃんにとって重要なシーンや、楽しいシーンなどを选んだ。
 ミーちゃんの冒険は、似颜絵としては1972年、デビュー时の颜がベタのものからはじまり、1976年には、オールバックでサングラスのシリアスな剧画风バージョンがすでに登场している。さらにセサミストリートのオスカーに扮したものと併用される时期を経て、ひし形口のデフォルメしたキャラクターが、シリアス调と併用される形で登场するようになる。1981年顷には「ミーちゃん」と自称するようになり、デフォルメ系のミーちゃんが魔夜作品の重要なバイプレイヤーとして定着する。
 ケース内の原画はマンガ内に登场し、动いて话すもっとも初期のころのミーちゃん。

【魔夜峰央コメント】
ミーちゃんという呼び名は、もともとは家族や亲戚にそう呼ばれていたところからきています。ミーちゃんは自分にとってアバターという感じです。登场させるのに踌躇はありませんでした。完全にキャラクターとして考えていましたので。つまり私をもとにしてはいるけれど别の存在です。自分が监督ミーちゃんが役者というか。実际の私と同じではない。だけど、置かれている立场は一番近いでしょうね。私もミーちゃんも国王ではないし、ド贫民でもない。ミーちゃんはマンガ家として登场することが多いですしね。

【展示品】
「パタリロ!」
プライベート?タイム 本文原稿
1979年『別冊 花とゆめ』夏の号

No.18
 「パタリロ!」本编に、おそらく初登场のミーちゃん。シリアス颜とギャグ颜を併用し、絶妙なギャグに仕立てている。シリアス颜とギャグ颜の併用は、1980年の「横须贺ロビン」の予告マンガですでに登场しており、バリエーションがある。

【展示品】
「パタリロ!」
恋の旅路 本文原稿
1980年『花とゆめ』23号

No.19
 左下のコマが「パタリロ!」本編で「ミーちゃん」と自称した、おそらく最初の瞬間(1981年)。たびたび登場しみんなの記憶に残るセリフ「ミーちゃん28歳」の、おそらく初登場回でもある。翌1982年の「ミーちゃん28歳 最後のあがき」(壁展示)において、ミーちゃんは永遠の28歳となる。

【展示品】
「パタリロ!」
ニャンコはニャンコ 本文原稿
1981年『花とゆめ』16号

No.20
 唐突に登场し话の补足説明をするミーちゃんの例。
 このころになるとミーちゃんは、ボケ役、场つなぎ、补足役(话の冒头や最后に弁士が口上を述べるような形で登场したりする)、通行人など、たくさんの役割をこなすようになる。

【展示品】
「パタリロ!」
あぶないプララ 本文原稿
1982年『花とゆめ』17号

No.21
 ミーちゃんが分裂し、たくさんのミーちゃんがワイワイ騒いでいてかわいい。ミーちゃんが场つなぎをするギャグのバリエーション。

【魔夜峰央コメント】
当时は、ミーちゃんみたいなデフォルメキャラは、小さいコマでも见やすく目立つんじゃないかと思って使っていましたね。美形キャラを小さいコマで描くときはアップじゃないと目立たないから。そういった意味では絵もストーリーもわかりやすいように単纯化して描くことを心がけていたんでしょうね。だんだんそんなコンセプトも忘れちゃいましたけど。

【展示品】
「パタリロ!」
あぶないプララ 本文原稿
1982年『花とゆめ』17号

No.22
 ミーちゃんは売れっ子になり、「パタリロ!」本编のトビラにもちょくちょく登场するようになる。大概は上段のケース10(1984年)やケース11(1986年)、12(1987年)のように妙に目立つ端役としての出演なのだが、この「ある惨剧」のトビラ(1987年)では、ついにバーンと大きく描かれる。この回は本编内でも主役といえる。この话でもマンガ家の役どころで登场しているが、このころになると、执笔中の后ろ姿で登场し、内容にちょっとつっこみを入れるといった例がしばしばみられる。

【展示品】
「パタリロ!」
ある惨劇 トビラ
1987年『花とゆめ』18号

No.23
 ミーちゃんは、1989年ごろから「パタリロ!」への登场がだんだん减ってゆき、1990年代になるとまったく出ない回も増えてゆく。1990年代后半(60巻台)以降はさらに本格的に登场しなくなってゆく。
 ところが、ウェブに引越した2016年5月(97巻収録)以降登场回数が飞跃的に増え、99-100巻では、ファンタジー大作の主役として活跃するに至るのである。
 また、颜の造形が少しづつ変化してゆく。ひし形の口が大きくなり颜からはみ出したり、展示原画(1995年)の右下コマの例のように、轮郭のない颜で出る场合も増える。そして2016年の「わがはいは猫ミーちゃん」(98巻収録)のように、2010年代にはびっくりすると颜が崩れるという颜面崩壊ネタが登场する。

【魔夜峰央コメント】
ミーちゃんの造形の変化などは、まったく计算していませんね。たまたまです。后ろ姿が増えてゆくのも、颜が崩れてくのも、そっちのほうが描くのが楽だからですね。デフォルメのミーちゃんでも、まともに描こうとすると结构时间がかかるんですよ。头の丸い线など、曲线の多いデフォルメキャラは、実は他のキャラクターを描くのと同じくらい时间がかかる。崩すと半分の时间で描けるので。バランスよく綺丽に描くのは难しいんです。

【展示品】
「パタリロ!」
美しきエレーヌ 本文原稿
1995年『别册花とゆめ』4月号

No.24
 ミーちゃんは、「パタリロ!」でのミーちゃんの登场が减っていた1996年(『パタリロ!』60巻台)以降、実はエッセイマンガの主人公として本格的に活跃しはじめている。他の作品のバイプレイヤーとしてではなく、新境地の看板役者としての冒険を始めたのである。エッセイなので、おそらくもっとも监督としての魔夜峰央と役者としてのミーちゃんの距离が近いのではないだろうか。
 エッセイマンガは、2001年刊行の『亲バカ日誌』を皮切りに、『亲バカの壁』(2005年刊)、『亲バカ轮舞』(2006年刊)、『本日も异常ナシ』(2016年刊)と単行本が刊行されている。

【魔夜峰央コメント】
エッセイマンガでは、あったことをありのままに描くことを心掛けています。「なにか描け」って言われていたころ、高冈凡太郎さんの「ムスメ日记」を読んでいたんですよね。それが「亲バカ日誌」を描き始めたきっかけかもしれない。「自分の子供とのかかわりをこう描くと面白いんだな」と参考にさせてもらいました。
「亲バカ日誌」に描くために、子供たちがこんなことをしたっていう日常を全部日记としてメモにとっていた。ほおっておくと忘れてしまうから。家族のことを记録に残しておこうと意识したわけではないけれど、结果的に、全部记録として残せているんですよね。
※冒険コーナーのコメントはケース32に続きます。

【展示品】
正面:『亲バカ日誌』カバーイラスト(表1)
左:同上 総トビラ
左裏:同上 総トビラ色指定
2001年 8月1日、白泉社




《掲载誌など》


No.25,26
第1期?ケース狈辞.25,26と同じ

No.27
魔夜ファミリー①
 魔夜峰央夫妻が、结婚35周年を迎えた今も大変仲がよいことは有名である。妻の芳実はマンガが好きで、とあるファンクラブを通して魔夜と出会い魔夜が芳実を见初めたという。
 展示品は二人の结婚式の时の引き出物。人形メーカーとして有名な久月によって、限定200体制作されたものであるとのこと。

【展示品】
パタリロぬいぐるみ
魔夜夫妻結婚式 写真パネル
同披露宴 写真パネル
(すべて1983年)

No.28
魔夜ファミリー②
 妻の山田芳実は现在バレエダンサーである。バレエ教室を运営しており、生徒たちの指导、年一回の発表会準备など多忙な日々を送る。発表会用に演目をアレンジした脚本を书いたりすることもあるとのこと。魔夜夫妻は、长女(マリエ)、长男(眞央)の二人の子どもに恵まれる。2人とも幼いころからバレエを习っており、眞央は现在东京バレエ団でプロのバレエダンサーとして活动している。魔夜自身も40歳を超えてからバレエを习い始めた。
 魔夜のエッセイマンガに登场する、読者にはおなじみの人々である。

【展示品】
ケース中央下:
オマーンの砂漠でクックロビン音頭のポーズをとる眞央さん 写真パネル
ケース右侧:
魔夜家七五三 写真パネル

【书影】
『亲バカ日誌』
2002年5月15日
白泉社



【展示品】
ケース左侧面:
『親バカの品格』より パネル
(2008年)


【展示品】
ケース中央上:
「親バカ日誌」vol.26より パネル
(「シルキー」2000年12月号)

No.29
魔夜ファミリー③
 魔夜夫妻の长女?山田マリエは、昨2018年11月14日に初単行本が刊行されたマンガ家である。同年同月に亲のマンガ単行本の100巻が刊行され、子供の初単行本が刊行されるのは、世界初のことなのではないだろうか…。マリエはマンガ家以外にも、母?芳実のバレエ教室を指导者として手伝い、父?魔夜峰央のマネージャー业をこなすなどマルチな才能を持つ。

【展示品】
ケース左上:
山田マリエ作 イラスト原画
(2001年)

ケース右侧面:
山田マリエ作、マンガ原画
(1995-6年ごろ)

ケース中央:
山田マリエ作 マンガ パネル
(1995-6年ごろ)
※内容は、上记のマンガ原画と同じ。见やすいようプリントパネルを作成?展示した。


【书影】
『魔夜の娘はお腐り申しあげて』
2018年11月19日
小学馆クリエイティブ

狈辞.30~32
第1期?ケース狈辞.30~32と同じ




●壁展示

《ミーちゃん特集》

壁01词06
(ページ顺に壁の右→左に展示)

【魔夜峰央コメント】
本作は作者がミーちゃんというキャラクターに手応えを感じ、ミーちゃんが永远の28歳として生きることが决まった、ミーちゃん史上最も重要な出世作といえる。

【展示品】
「ミーちゃん28歳 最後のあがき」 本文原稿
1982年『别册花とゆめ』春の号

壁01


壁02

壁03

壁04

壁05

壁07

ミーちゃんの冒険(1973词)
※ミーちゃんの変迁を1枚のパネルにまとめ展示した

壁06


叠壁01词06
(ページ顺に壁の右→左に展示)

【展示品】
「パタリロ秘话」本文原稿
2002年『増刊パタリロ!』
别册花とゆめ増刊3月25日号

叠壁02


叠壁01


叠壁04


叠壁03


叠壁06


叠壁05





●覗き込みケース展示

《パタリロ!特集》

(右から顺に罢01~03)

T01
第3期?罢01と同じ

T02

【魔夜峰央コメント】
感动ものについて
「パタリロ!」10巻前后の顷は、読者を泣かせてやろうと思っていた时期ですね。以前、土田よしこさんの「つる姫じゃ~っ!」に、日本流のお涙ちょうだい的な话があって、それが印象に残っていて。长い连载の味付けとしてこういったものもあっていいだろう、と描いてみた。やってみたらまあ难しい。泣かせる、感动させるという话をどうやったらいいか分からなかった。何本も何十本もストーリーを作って、自分で少しうるっとくる话だけを残した。ものすごい数の话を考えて、组み立てては崩しを繰り返して一本一本ができた。ストーリーを考えるだけで3日くらいかかりました。普段はネームも切らないのに、このあたりの话はネームを描きましたね。この顷のネームはずっと保管しています。それだけ思い入れがあるんですね。

【展示品】
「忠誠の木」 ネーム
未発表

T03

【展示品】
「パタリロ!」シール用カット原画
同上 指定用紙
『花とゆめ』1980年2号

T04

【展示品】
ラフイラスト
未発表




●映像

第1期?映像と同じ