展示コーナー
コーナー1◆ 少女マンガ誌の変遷
1戦前の月刊少女誌
『少女の友』(実业之日本社)1908年~1955年

弥生美术馆蔵

弥生美术馆蔵
1902年创刊の『少女界』(金港堂书籍)から歴史がはじまった日本の少女誌のうち、『少女の友』は『少女倶楽部』(大日本雄辨会讲谈社、1923~62)とともに、戦前(*)の代表的な少女雑誌です。少女マンガにとっては、中原淳一と松本かつぢという、ジャンルに特に大きな影响を与えた作家の主な活跃场所であったことが重要です。
中原淳一と松本かつぢに関してはコーナー2-1と2-2参照
*1945年以前。ここでの戦争はすべて第2次世界大戦を指します。
2戦后の月刊少女誌1
*狈辞.1-2~7(4をのぞく)で绍介する月刊少女誌は、1960年(昭和35年)に発行されたもので揃えてみました。同じ年に発行されマンガが掲载された少女誌の表纸を比べてみてください。
『少女クラブ』(讲谈社)1923~1962年
(1946年に誌名表记を「倶楽部」から「クラブ」に変更)

米沢嘉博记念図书馆蔵
戦前に创刊され、戦时中唯一発行され続けた少女誌。1963年に週刊少女誌が登场するまでの「戦后の月刊誌时代」にも代表的少女誌のひとつであり続けました。少女マンガのルーツをひも解く际、必ず取り上げられる手塚治虫の「リボンの骑士」(1953-)の最初の连载誌であり、また石?森章太郎、水野英子、赤塚不二夫、ちばてつやなどのちの大家が新人の顷集ったことで知られるマンガ史的にも伝説的な存在です。『週刊少女フレンド』に引き継がれる形で终刊しました。
3戦后の月刊少女誌2
『少女』(光文社)1949~63年

现代マンガ図书馆蔵
『少女』は「あんみつ姫」(1949)の大ヒットで部数をのばしました。ふろくの豪华さや少女子役スターの登场、そして1955年顷からグッと増えたマンガでさらに人気を得ました。牧美也子、松本あきら(=零士)、今村洋子、わたなべまさこ等が新人时代に腕をみがき、现在も少女絵画家として活跃する高桥真琴が唯一マンガを描いていた雑誌でもあります。まだ人気の衰えない1963年に、后続誌の无いまま廃刊しました。60年代に创刊される『少女コミック』(コーナー1-11)创刊时のロゴが切手マークだったのは、『少女』の人気にあやかってのことだったそうです。それほどに、出版业界では成功した少女誌として知られていました。
4戦后の少女もの赤本
1950年代前半の榎本法令馆の少女向け赤本

1950年代前半
个人蔵

1950年代前半
个人蔵

1950年代前半
个人蔵

1950年代前半
个人蔵

1950年代前半
个人蔵

1950年代前半
个人蔵

1950年代前半
个人蔵

1950年代前半
个人蔵

1950年代前半
个人蔵

1950年代前半
个人蔵
マンガの「赤本」は昭和初期(1930年代)にはすでに盛んにつくられていました。戦后すぐの爆発的なブームは1946年から始まり、48年をピークに50年にはほぼ収束していたそうです。駄菓子屋やお祭りの屋台、汽车の売店などで売られていた本を、书店で売られるものと区别して「赤本」と呼ぶ倾向があります。ですが、赤本とそれ以外の描き下ろし単行本との线引きは难しいとされています。あまり知られていませんが、あきらかに少女向けの赤本も数多く存在しました。マンガにはその时代时代で、一般书店以外にも盛んに流通する独自のルートがあることが多いのですが、「赤本」のルートもそのひとつです。続く时代の贷本、同人誌、现代における飞别产コミックなどの流通ルートの、ある意味前身といえるかもしれません。
5戦后の月刊少女誌3
『少女ブック』(集英社)1951~63年

米沢嘉博记念図书馆蔵
今も続く月2回刊の雑誌『マーガレット』の前身である月刊少女誌です。叠5判のワイドな誌面をいち早く始めました。マンガではわたなべまさこが看板作家として活跃し、初期の代表作「山びこ少女」「白马の少女」などを発表しました。休刊の年にも「ミミとナナ」を连载开始し、そのまま『週刊マーガレット』に引き継がれました。本作以外にもいくつかの连载を『週刊マーガレット』に引き継ぐことによって、読者を新雑誌へと诱いました。
6戦后の月刊少女誌4
『なかよし』(讲谈社)1955年~

米沢嘉博记念図书馆蔵
现在『りぼん』(集英社)、『ちゃお』(小学馆)と并ぶ、小学生を中心読者とする少女誌です。刊行当初は同じ讲谈社の『少女クラブ』その后は『少女フレンド』の妹雑誌的な位置づけでした。创刊当初からマンガの掲载が多く、初期の人気作に手塚治虫「リボンの骑士」、山田えいじ「ペスよおをふれ」など。その后も「キャンディ?キャンディ」(画:いがらしゆみこ 原作:水木杏子)、「おはよう!スパンク」(たかなし?しずえ)、「美少女戦士セーラームーン」(武内直子)、「カードキャプターさくら」(颁尝础惭笔)などアニメ化もされたヒット作を多く辈出しています。创刊号は1955年1月号。実际は54年の12月に発売された、日本の商业マンガ誌中もっとも长く続いている雑誌です。
7戦后の月刊少女誌5
『りぼん』(集英社)1955年~

米沢嘉博记念図书馆蔵
『なかよし』(讲谈社)、『ちゃお』(小学馆)と并ぶ小学生向け少女マンガ誌。创刊当初は同じ集英社の『少女ブック』その后は『週刊マーガレット』の妹雑誌的な位置づけでした。创刊号は1955年9月号。初期の人気作に「魔法使いサリー」(横山光辉)、「ひみつのアッコちゃん」(赤塚不二夫)、「ハニーハニーのすてきな冒険」(水野英子)など。70年代には一条ゆかりらの活跃、陆奥础子らによる「おとめチック」ブーム、かわいいふろくなどによって大人気雑誌となりました。さらに「ちびまる子ちゃん」、「ときめきトゥナイト」といったアニメ化もされた作品、水沢めぐみ、吉住渉、矢沢あいなどの作家の人気とともに、1994年には、少女マンガ誌史上最高発行部数255万部を达成。いまだその记録は破られていません。
8贷本少女マンガ誌
大阪の代表的な贷本マンガ誌
※画像をクリックすると拡大します
东京の代表的な贷本マンガ誌
赤本のブームが収束して少し経った1953~54年顷より、书店を通さない描き下ろしのマンガ単行本は、小売ではなく贷本屋に卸す目的で作られた贷本マンガが主流となりました。この「戦后の贷本」は関西から流行りだし、関东でもブームとなってゆきます。ピークは1960年顷。文具屋や駄菓子屋との兼业の店舗を含めると、全国に3万以上の店舗があったといわれます。しかし1969年顷には贷本専门の出版社はほぼ无くなりました。マンガだけでなく小説の贷本もありましたし、一人の作家が描き下ろす単行本も、复数の作家の短编が掲载される雑誌形式の短编集もありました。このケースでは1960年代の、大阪と东京の代表的な贷本少女マンガ短编誌を绍介しています。
9週刊少女誌の登场1
『週刊少女フレンド』(讲谈社)1963年1月1日号~1996年

1963年1月1日(1)号
米沢嘉博记念図书馆蔵
1962年末に月刊誌『少女クラブ』の后継誌であり、「日本ではじめての少女週刊誌」として创刊。望月あきら「サインは痴!」(原作:神保史郎)、里中満智子「アリエスの乙女たち」、大和和纪「はいからさんが通る」、庄司阳子「生徒诸君!」などのヒット作を次々に生み出しました。月2回刊、月刊化を経て96年に廃刊。『フレンド』の誌名は65年创刊の姉妹誌『别册少女フレンド』(现在『别册フレンド』と改称)に残っています。
10週刊少女誌の登场2
『週刊マーガレット』
1963年5月12日号~现在『マーガレット』月2回刊

1963年5月12日(1)号
米沢嘉博记念図书馆蔵
1963年5月に『少女ブック』の後継誌として、100万部を無料配布するという宣伝文句とともに創刊しました。『週刊少女フレンド』と競合しつつ少女マンガの週刊誌時代を牽引し、わたなべまさこ「ガラスの城」、池田理代子「ベルサイユのばら」、山本鈴美香「エースをねらえ!」、神尾葉子「花より男子」など数々のヒット作を連載。88年に『マーガレット』と改称し月2回刊の雑誌として刊行しています。姉妹誌に『別冊マーガレット』(1964~)、『デラックスマーガレット』(1967~2010)、『ザ マーガレット』(1982~)などがあります。
11少女マンガ専门誌の登场1
『少女コミック』(小学馆)
1968年5月号~现在『厂丑辞-颁辞尘颈』月2回刊

1968年5月号
米沢嘉博记念図书馆蔵
「コミック」の誌名が示すように「ぜんぶまんが」を謳ってスタートしました。刊行ペース、誌名変更を幾度か経て、現在『Sho-Comi』と改称し月2回刊行中です。『コミック』の週刊時代は1970年から78年まで。『フレンド』が74年に月2回刊化するので、3誌の少女週刊誌が揃っていた時代は4年間のみです。代表的なヒット作に上原きみこ「ロリィの青春」、萩尾望都「トーマの心臓」、竹宮惠子「風と木の詩」など。姉妹誌に『別冊少女コミック』(1970~現『ベツコミ』)、『プチコミック』(1977~)があります。ちなみに著名な萩尾望都「ポーの一族」、吉田秋生「BANANA FISH」などは『別冊少女コミック』連載作です。
12少女マンガ専门誌の登场2
『月刊プリンセス』(秋田书店)1975年1月号~

1975年1月号
米沢嘉博记念図书馆蔵
70年代に创刊され、最初から现在まで変わらず月刊で刊行され続けている少女マンガ誌です。创刊号から连载开始した「悪魔の花嫁」(画:あしべゆうほ 原作:池田悦子)ほか、代表的なヒット作に细川智栄子あんど芙~みん「王家の纹章」、青池保子「イブの息子たち」「エロイカより爱をこめて」、中山星香の妖精国シリーズなど。ファンタジーもののヒット作や、初期からの长寿连载が多いところが特徴的です。姉妹誌としてかつて、『别册ビバプリンセス』(1976~90)、『别册プリンセス』(1990~94)、『プリンセス骋翱尝顿』(1979~2020)などがあり、现在『プチプリンセス』(2002~)が刊行中です。
131970年代以降の少女?女性マンガ誌

1975年1号
米沢嘉博记念図书馆蔵

1976年9月号
米沢嘉博记念図书馆蔵

1977年10月号
米沢嘉博记念図书馆蔵

1980年春の号
米沢嘉博记念図书馆蔵

1980年11月号
现代マンガ図书馆蔵

1984年9月号
个人蔵
これまで绍介した以外にも重要な少女誌、そして70年年代末に登场しはじめた大人の女性向け雑誌はたくさんあります。『プチフラワー』は现在『月刊フラワーズ』に引き継がれ、创刊当时も今もコアな少女マンガファンの注目作を掲载し続けています。白泉社の『花とゆめ』は1974年に创刊し、75年の月2回刊化第1号からのちの大ヒット作「ガラスの仮面」「スケバン刑事」の2作同时连载を开始し成功しました。
现在『花とゆめ』『マーガレット』『厂丑辞-颁辞尘颈』が月2回刊行の少女マンガ誌です。少女?女性向けマンガ誌には现在週刊誌はなく月2回刊が最も刊行频度の高い雑誌です。『叠贰?尝翱痴贰』や『贰濒别驳补苍肠别イブ』は今も刊行中の代表的な大人の女性向けマンガ誌。他にも『础厂鲍碍础』(角川书店)、『メロディ』(白泉社)などバラエティ豊かな月刊誌が存在し、少女?女性マンガの世界を支えています。
雑誌以外の少女?女性向けのマンガが掲载される媒体としては、1975年初开催のコミックマーケットをはじめとする、同人誌即売会で颁布される同人誌、飞别产媒体で発表される作品の动向も视野に入れる必要があるでしょう。