展示コーナー
コーナー3◆どこからきたの?②(少女マンガ的表现)
1瞳の星①
少女マンガの特徴としてよく话题に上がる瞳の星。水野英子は「私の知るかぎり瞳の十字の星をマンガで初めて入れたのは手塚先生です。小さなコマの小さなお姫さまの目でしたがとても印象的でした」と言っています。「その后に石森先生が『二级天使』で巨大な星を入れたのはショッキングでしたね。そうして瞳の星は皆が描くようになります」危机を感じた时ペケ十字になるという表现も当时のなかまたちと共有していたとのことです。星は、心の动きに応じて描かれ、重要なシーンや颜のアップ时によく入ります。少女マンガでは心の动きがとても大切なので、豊かな感情を表现するため目を大きく描き星もその工夫のひとつでしょう。
*参照:「二级天使」の瞳の星の例はこちら
2瞳の星②

『少女』1960年8月号
米沢嘉博记念図书馆蔵

高桥真琴も瞳に星を入れます。高桥の星は、実写の颜のアップの写真などで瞳の斜め下に时々入る白い丸いハイライトが変形したものでしょう。高桥が私淑する中原淳一の瞳にも时々小さく描かれることのあったハイライトをアレンジしたものと考えられます。高桥の絵では、ハイライトの丸い光は初期の顷から入っていますが、星は50年代末に登场し、その后ほとんどすべてのトビラ絵の少女の瞳に入るようになっていきます。描かれる少女の心の清らかさを象徴したり、画面全体の美しさや华やかさを増し読者の感嘆を诱う効果があるのではないでしょうか。高桥タイプの星も少女マンガにたくさん受け継がれました。少女マンガの瞳では、他にも、中央に向かう虹彩の线を変形させてキラキラの工夫に用いたり、カラーで描く际瞳の中のツヤを円のグラデーションで表现したり、目全体でいえばまつげや二重とその影など、多くの趣向が凝らされ続けています。
3スタイル画①
当时『少女クラブ』の编集者であった元讲谈社の丸山昭は「いわゆる「スタイル画」の描き写しや主人公の似颜絵の投稿が多いものが、人気があると判定することになります」と述べています。スタイル画の人気は、当时の読者が少女のかわいいト―タルファッションをいかに喜んだかを示しています。
牧美也子はスタイル画がずば抜けて上手なマンガ家です。牧の爱らしいデザインは、日本の少女に実际似合うものだったため、「マキの口笛」(1960-)や「りぼんのワルツ」(1963-)などの连载では、「主人公が着ているお洋服を1名に差し上げます」という风に、牧デザインの洋服をプレゼントする悬赏が行われていたほどです。
4スタイル画②
服饰业界では、服だけでなく人体とともに服を描くファッション画をスタイル画と呼ぶことが多いようです。マンガの场合はストーリーの进行とは関係なくページの端に縦いっぱいを用いて描かれる(いわゆる3段ぶち抜きの)全身像のことを一般にスタイル画と呼んでいます。
雑誌では高桥真琴のバレエマンガ「あらしをこえて」(『少女』』1958年1月号)で初めて登场したとされています。高桥は「新しい少女マンガのスタイルを目指していた私は、マンガのコマ割りに関係なく、见开きページを构成し、少女ファッションとして好きなように描いていました」と述べています。
5スタイル画③
望月あきらの少女マンガといえば「サインは痴!」(原作:神保史郎、1968-)が有名ですが、それ以外にも贷本から始まり、少なからぬ量の少女マンガを描いていることはあまり知られていません。少女マンガのスタイル画やファッションについては「男のぼくなんかぜんぜん兴味も関心もないものだから、どう描いていいかわからなくて」と谦逊していますが、展示の「カンナの星」のかわいらしいスタイル画などを见れば、望月が、読者の少女たちに喜んでもらえるよう、いかに一生悬命少女マンガに取り组んでいたかがわかります。
ちなみに、コーナー3-4、1961年の『少女』では「スタイル絵」とされており、こちらの1966年の『小学四年生』では「スタイル画」とされています。これは「スタイル画」の形式と呼び名が一过性のものではなく、教养誌的侧面のあった小学馆の学年誌掲载の少女マンガにも描かれるほどに、表现として根づいていたことが分かる例でもあるでしょう。
6舞台が外国
日本から一般市民が自由に観光旅行で外国に行くことが出来るようになったのは1964年。さらにそれが一般化し始めたのは70年代からでした。それ以前も以降も、少女マンガにはヨーロッパやアメリカ风の舞台を描いた作品がよく登场していました。水野英子は外国を舞台にするのが好きで、多く描いた理由について次のように语っています。「とにかくものすごく広いまだ见たこともない世界というのがあるわけですね。そこが女の子にとってあこがれであったと思うんです。华丽な絵の世界みたいなものは、物のなかった时代にとても自分の中で欲求してたものというか、あるといいなと思った世界で、だからそれが支持されたと思うんです。そういう时代だったですよね」。
また、北岛洋子も「やはりよい梦を追いかけるのには现実的じゃないものを见た方がなんとなく梦が広がるような気がして、よく外国を舞台にしました」と述べています。展示の作品は、海外旅行は解禁されたけれどもまだ一般化していない、1967年に连载开始された北岛洋子の大ヒット作。イギリスを舞台に、出会う人々をとりこにしてしまう伯爵令嬢のラーラのお话です。