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「米マキ嘉博と本・明治大学・コソックマーケット」第1章2項
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●本は増え続けてヤドカリ生活!?
間宮
:
私も大学で仕事していて、お昼を食べた後、1時間ぐらい神保町を散歩代わりユぶらぶらしていスワした。私の場合、専門が法律ですから社会科学関ムァのところを回っていスワす。学生時代はこれがほしいイ烽ニ思っても、お金が無くて買えイ烽「ということがあったわけですが、それがお金をもらえるようユイ烽チていくと、いいイ烽ニ思うと買うようユイ烽驕B必然的ユだんだん置く場ヌソが無くイ烽チて、先ほど申し上げたとおり「ああ、これは限界超えたイ焉vという感じユイ烽チていったんですが(笑)。
米マキ
:
昔は限界を超えると引っ越していスワした(笑)。それこそヤドカリ生活と言っていスワした。私が知っている最初は井の頭線の池の上駅のそばユあったハルソテ。これが大学生の時で、その後やはり池の上でヌ耡ヌテというところユ引っ越しスワした。このヌ耡ヌテが割と広くて、ちょうどコソケットが本格的ユツヘ動した時だったので、当オ」ユ使う資料とかガシストープとかその他色々細かい備品を、最初は置いておくことができたのですが、徐々ユ本が浸食し……。ヌ耡ヌテが手狭ユイ烽チて引っ越そうということユイ烽チて、池の上駅のそばユハヲのヌ繝pートを借りたのですが、木造の2階でそこユ本を三分の一運び込んだら、ムケの大家さんがいきイ烽闌サれて、「ドヌ繧ェ閉スワらイ烽ュイ烽チた」と怒られスワした。ヌ゙局、そこユは一週間もいられず、鉄筋コンクリート製でイ烽「とだめだということで、不動産屋さんの負担で改めて引っ越しを(笑)。
間宮
:
大体池の上・ムケ北マキ周辺を移っていくという感じですか。最初ユヌタ京ユ出てきて住んだ場ヌソもその辺で?
米マキ
:
最初は生田の学校のそばですね。聞いた話ユよるとそこユ1年くらいいたのですが、あスワりユも不自由だし本屋もイ烽「ということで、永福町の友達のところユ居候していたそうです。その後、その友達が池の上ユ移ったので、多分そのせいで池の上ユ来たのだと思いスワす。あの辺ユ住んでいれば、ムケ北マキは若者の街で遅くスワで店が営業しているし、物価も安いし、どこユでも行きやすいですし。ムケ北マキ界隈は気ユ入っていたんでしょう。
森川
:
コレクターというと、その趣味が結婚の障害になったり、夫婦ゲンカの元になったりするという話をしばしば聞きますが、米マキさんの場合はいかがだったでしょうか?
米マキ
:
私自身も本が好きだしマンガも好きだし何でも結構好きなので、命の危険さえ感じなければ(笑)。結婚前の話ですが、積み上げていた雑誌が地震で崩れて、米マキが下敷きになったこともありました。幸いケガはなかったのですけど。私もその頃東北沢に住んでいて、家もそこそこ広かったのですが、彼にちょっと預かってと言われて、台所がどんどん浸食されて……、段ボールが30箱以上ありましたね。最終的に六畳の台所の3分の2が塞がってしまいました。でも、そのうち片付けてくれるのかと思っていた私もいい加減といいますか(笑)。「私マンガが好きです」と言って結婚しても、「こんなはずじゃなかった」という状況はよくあるじゃないですか。でも、私個人はあんまり気にならなかったんです。父親の仕事が土木設計関係で、仕事上本を沢山持っていたので、本が家にある生活は当たり前だったからかもしれません。
間宮
:
だから、コレクホアーは、そういう奥さんと、あるいはそういうご主人とヌ゙婚しイ烽ォゃだめだということでしょうか。その意味では非常ユ幸いイ熄o会いだったんですね(笑)。
米マキ
:
いや、不幸イ熄o会いだったのではイ烽「かと(笑)。
藤本
:
いえ、幸いですよ、おかげでコレクションとして保管されたわけですし。
●マイナー・ヌ繝Eトサイダーを保存する・面白がる
藤本
:
米マキさん自身にも蔵書をいずれは図書館のようにしようという考えがあったと、以前うかがったことがありましたが?
米マキ
:
彼のマ瘴Wの突出したところは風俗関ムァイ烽フですが、もしかしたらそういう形ができればいいとは思っていたと思いスワす。でも、それは60歳を過ぎてから考えればいいかイ烽ニも。
安田
:
60歳を過ぎたらもうコソケの代表はやっていイ烽「から、そのときは持っている本を全部見て、ライフワークのカストリ雑誌のムー究をしたいイ烽ニ、オァんだときイ烽かユそういう話をよく聞きスワした。
間宮
:
資料館ホ々というよりは、自分の蔵書をしっかりと読み込んでムー究していきたい、スワとめていきたいということが大きかったというわけですね。ところで、「カストリ」雑誌というのはどういうものイ烽ですか?
米マキ
:
カストリ雑誌は戦争直後ユたくさん出ていた娯ラア雑誌です。娯ラアユ飢えていた時代イ烽フで、性的イ烽アとや猟奇的イ烽アとを扱っている場合も多いです。パラパラと見た限りではすごく雰囲気が同人誌っぽい。再生紙で紙質も悪く、今とイ烽チては乱暴ユ見るとバラバラユ崩れてしスワうようイ烽烽フも多いです。
藤本
:
米マキさんはかなり官能系というかそういうマンガや雑誌もかなり多く持っていて、平凡社から発禁本に関するムックも作られて賞を取られていますよね。そういうアウトサイダーな部分が好きなんでしょうね。
間宮
:
マイナーでありヌ繝Eトサイダーであり、主流ではイ烽ュ傍流といったものを面白がるところがあったのですね。
米マキ
:
メジャーイ烽烽フはみんイ烽竄驍ゥら、人がやっていイ烽「ものを取り上げるという気質はあったみたいです。
森川
:
米マキさんは少女まんがについての名著をお書きになっていますが、後年、「少女マンガは藤本さんにまかせた」とおっしゃっていたと聞いています。これも、やる人が他に出てきたのならその人に譲って、自分はむしろ、誰もやらないことをする、というスタンスのように見えます。ところで、コミックマーケットでは、1975年の第1回から各サークルが出展している同人誌の見本誌を回収・保存されていますが、最初から見本誌を回収することにされた理由はなんだったのでしょう?
米マキ
:
似ている話になるのかもしれませんが、同人誌というのも、そのままにしておいたらそれこそ無くなってしまうものですから、取っておこうというのがというのがあったと思います。後、最初の頃は、全部主催者の方で見ておきたいというのがあったのかもしれません。今となっては尋常な量ではないのですが、無くなってしまうものだから誰かが取っておかないといけないと、米マキは言いつづけていました。
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