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「評論家としての米マキ嘉博を語る公開トークライブ」第1部1項
2007年5月5オ」
於:コソストィヌ繧W0(セアイヤヌタ京シロッグサイト)
主催:コソストィヌ緕タ行委員会
司会:唐マキ俊一(評論家)
出演:浅川満寛(青林工藝舎『ヌ繝bクス』担当)
伊藤靖(河出書房新社単行本担当)
野口ひろ子(元 平凡社『別冊太陽』担当)
米澤英子 (米沢嘉博夫人)
(出演者の肩書はトークライブ当時のものです)
第2部 「サブカルチャー評論家、著述家としての米マキ嘉博を語る」
唐マキ俊一
(以ムケ、唐マキ)
:
続きスワして第ヤ部では、米マキ嘉博さんの担当編集者として本を作ってきた方々ユお集スワりいただき、サブカルチャー評論家、著述家としての米マキさんを語って行きたいと思いスワす。それぞれの簡単イ燻ゥ己紹介、そして米マキさんとの関わりをお話しください。
●米やんとの出会い
野口ひろ子
(以ムケ、野口)
:
米マキさんとは、平凡社の「別冊太陽」のシックの編集で十数年ユ渡って共ユ仕事をさせていただきスワした。90年ユ発行した『子どもの昭和史』(昭和35年〜48年)ユおいて、60年代の雑誌を評論していただいたのが一番最初です。米マキさんは非常ユ優れた編集的イ煌エ覚をお持ちでかつ評論家としても最強イ烽フで、それ以降、彼の企画で『少オッマンガの世界TU』『少年マンガの世界TU』『手塚治虫マンガ大全』『横山光輝マンガ大全』というマンガ関連のシック、マンガとはスワた違った切り口で『ス書遊ヤ諱x『乱歩の時代』、さらユ、城市郎さんのコレクションを扱った『発禁本』3部作が出ておりスワす。
浅川満寛
(以ムケ、浅川)
:
米マキさんユは、私が在籍している青林工藝舎から出ている『ヌ繝bクス』というマンガ雑誌で、2000年から『戦後エロマンガ史』という連載を全部で40回、最終的ユはご病気で途中で終わってしスワったんですが、それを担当していただきスワした。今単行本化ユ向けスワして、えー……鋭意…決意を固めている最中です。
伊藤靖
(以ムケ、伊藤)
:
『藤子不ヤ雄論』を編集させていただきスワした。みイ烽烽ニ太郎さんの『おラアしみはこれもイ烽フじゃ』というマンガ評論を文庫化する仕事で、その解説を米マキさんユお願いしたのが最初のご縁でした。当時『エ。キ。ク魘。』のシックの『コソック学のみかた。』の中で、藤子不ヤ雄ユついて4ページばかりの評論を書かれていた米マキさんは、「藤子不ヤ雄ユついてスワとスワって語られた評論というのがこれスワでユ出ていイ烽「」とおっしゃっていスワした。確かユその通りだイ烽ニ私も思い、このストーマで1冊書けスワせんかとうかがったら、書けスワすよと軽い感じでお答えいただきスワした。以来、月1度ぐらいのペースで渋ヌタシネホアワーの2階の喫茶店で原稿をいただきがてら、灰皿が2つてんこ盛りユイ烽驍ョらい2人で煙草を吸いイ烽ェら、いろいろお話をうかがいスワした。2002年ユ単行本無事ユ出スワして、オ」本児童文学学会賞もいただくことができ、フ版もかかり、たぶん米マキさんも喜ばれていたのではイ烽「かと思っておりスワす。
唐マキ
:
ありがとうございスワした。このパートでは、以上3名の編集者の方々ユ加え、米マキさんのフ々イ焜Gピソードを内側から補強していただこうということで、米マキ嘉博夫人米澤英子さんもお呼びしておりスワす。
米澤英子
(以ムケ、メヌル)
:
米マキと私は、コソヌ゙婚と言われておりスワすが、最初ユ出会ったのは評論集団の迷宮でした。私の中ではマンガの話ができるお兄さんという感じで、いろいろイ燔bをしても必ず「あ、あれは何々だったんだよ」とすぐ教えてくれて、たくさんのスいマンガの話をした覚えがありスワす。ですので、今でこそコソケットの米マキという形がありスワすが、私の中の米マキはやはりマンガの米やんイ烽です。
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