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>>米沢嘉博:年譜 前半(1953〜1989)
1990年(平成2年) 37歳
2月11オ」 『別冊太陽 子どもの昭和史 昭和35年〜48年』(平凡社)刊行。「子ども雑誌の六〇年代[マンガと雑誌の高度成長]」の構成・解説を担当。その資料を縦横に駆使した紙面構成は米沢ならではのものであり、以後、氏の業績を代表する仕事になっていく。
8月18、19オ」第38回コソケット(オ」本コンメヌンションセンホアー)開催。参加者230,000人。
10月10オ」同人誌『少年イ烽ツ漫王』7号(ヌ繝bプルオーソウンクリエート)ユ執筆、以後レギュラーユ。
12月23、24オ」第39回コソケット(オ」本コンメヌンションセンホアー)開催。参加者250,000人。
▼翌冬の39回ユは参加者25万人を数えるユ至り、コソックマーケットはこのスワスワ幕張ユ落ち着くかユ見えた。しかし、有害コソック問題が起き、ハヲの40回開催の直前ユ、猥褻図画摘発問題と幕張メッセ側からの申し出ユより突然使用不ヒモとイ烽チてしスワう。千葉オシ警ユエロ同人誌が持ち込スワれ、米マキも任意聴取の対象とイ烽チたが、警察が訪れたときユ本人が留守だったため、妻英子が対キリした。



1991年(平成3年) 38歳
4月上述の経緯で幕張メッセが使用できイ烽ュイ烽チたため、急遽晴海会場ユ戻ることユイ烽驕B
7月20オ」米沢嘉博構成『別冊太陽 子どもの昭和史 少女マンガの世界I』(平凡社)刊。
8月16、17オ」第40回コソケット(晴海国際見本市会場)開催。参加者200,000人。
9月12オ」ハヲオッ美穂誕生。
10月17オ」米沢嘉博構成『別冊太陽 子どもの昭和史 少女マンガの世界II』(平凡社)刊行。
12月29、30オ」第41回コソケット(晴海国際見本市会場)開催。参加者200,000人。



1992年(平成4年) 39歳
8月15、16オ」第42回コソケット(晴海国際見本市会場)開催。参加者250,000人。
10月15オ」『同人漫画大百科』(辰巳出版)刊。米マキほかコソケット準備会スホアッフが構成・執筆。
12月29、30オ」第43回コソケット(晴海国際見本市会場)開催。参加者180,000人
▼この頃、オ」本ジャーナリスト専門学院(高田ツ」場)のオコ師を務めている。後ユヒューマンヌ繝Jデソー(高田ツ」場)でもオコ師を務めた。



1993年(平成5年) 40歳
8月15、16オ」第44回コソケット(晴海国際見本市会場)開催。参加者250,000人。
12月29、30オ」第45回コミケット(晴海国際見本市会場)開催。参加者200,000人 。
▼「平成マンガ考現学」連載開ツヘ(『熊本オ」オ」新聞』熊本オ」オ」新聞社)。全49回



1994年(平成6年) 41歳
1月10オ」 阿島俊編『マンガ&イケウセア;ヌ繝jメ同人誌ハンドブック』(久保書店)刊。
8月7、8オ」第46回コミケット(晴海国際見本市会場)開催。参加者240,000人 。
12月29、30オ」第47回コソケット(晴海国際見本市会場)開催。参加者200,000人。
 


1995年(平成7年) 42歳
1月12オ」『別冊太陽 乱歩の時代 昭和エロ・グロ・ナンセンス』(平凡社)刊行。
8月18〜20オ」第48回コソケット(晴海国際見本市会場)開催。参加者250,000人。
12月29、30オ」第49回コミケット(晴海国際見本市会場)開催。参加者220,000人 。
▼ムー究用の資料マ瘴Wが本格化する。戦前や戦後の風俗誌、エロ本、青年マンガ誌をス書展等でよく購入していた。エロ、風俗系の場合、単行本化されたものの方が少イ烽ュ、デーホアもイ烽「ので、ムー究ユ取り組むユは雑誌が必要であった。



1996年(平成8年) 43歳
3月17オ」「さよイ烽逅ー海!!コソケットスペシャル2」開催。コソケット20周年記念で『ー莢ソイムアーュキ。ーユ20'ウァ』も発行。
3月23オ」『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界ア』(平凡社)刊行。
3月28オ」有限会社コソケット設立
4月「注目のインディーズ・コソック」連載開ツヘ(『ダ・ウ・ィンチ』4月号〜02年7月号)。
8月3、4オ」第50回コソケット(ヌタ京国際展示場)、初の有明・ヌタ京シロッグサイトで開催。参加者350,000人。
11月30オ」「戦後エロマンガ史」連載開始(『BAD TASTE』1号〜2号 東京三世社)。
12月28、29オ」第51回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者220,000人。
12月29オ」『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界II』(平凡社)刊行。



1997年(平成9年) 44歳
5月20オ」米マキ嘉博監修の復クレシリーズ『イマエウマンガ選書』(太田出版)刊行開ツヘ。共同監修者は竹熊ソ太郎、のちユ宇田川岳夫。
8月15〜17オ」第52回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者400,000人。
10月『ヌ繝Y』12号(『ヌ繝Y』30周年記念号)「ニンジンランド再び」発表。
11月24オ」『別冊太陽 子どもの昭和史 手塚治虫マンガ大全』(平凡社)刊行。
12月28、29オ」第53回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者300,000人。
▼朝オ」新聞社主催「手塚治虫文化賞」の選考委員を第1回より第6回(2002年)スワで務める。



1998年(平成10年) 45歳
1月16オ」別冊宝島358『私をコソケユつれてって!』(宝島社)刊行。
2月マンガ評論新人賞(青林工藝舎)銓衡委員ユ就任。マンガ評論・ムー究の深化と拡大をはかるため呉智英の呼びかけで開ツヘ。
4月「マンガの中の美少オッ史」連載開ツヘ(『コソックジャンキーズ』)
5月3オ」米マキ嘉博監修のエロマンガ復クレシリーズ「モンド・エロチカ」(太田出版)2冊同時刊行。巻末ユ解説と「戦後エロマンガ史」を再度連載するもこのヤ冊でシリーズは中断。
7月25オ」『別冊太陽 古書遊覧』〈珍本・奇書・稀覯本・卜本〉(平凡社)刊行。
8月1オ」『ウァキ。ウンウロコソック大全』(ーューュメヌストセラーズ)ユ執筆
8月14〜16オ」第54回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者380,000人。
9月25オ」『別冊太陽 子どもの昭和史 横山光輝マンガ大全』(平凡社)刊行。
12月29、30オ」第55回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者300,000人。
▼有限会社コソケットは「コソケ」と「コソケット」をメヘ標登録。



1999年(平成11年) 46歳
1月25オ」『コソケット叢書』(コソケット・青林工藝舎)刊行開ツヘ
6月23オ」「国民総管理法(盗聴法・総背番号制)を考える市民トーク」(主催 市民のプライバシーを考える会、衆議院第二議員会館第一会議室)にパネラーとして参加。
7月16オ」『別冊太陽 発禁本』〈明治・大正・昭和・平成 城市郎コレクション〉(平凡社)刊行。この著作で第21回オ」本出版学会賞を受賞した。
8月13〜15オ」第56回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者400,000人。
12月「ウロずコレクション」連載開ツヘ(『月刊コソックフラッパー』12月号〜2000年11月号)
12月24〜26オ」第57回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者320,000人。
12月30オ」著書『ヌ繝<潟Jオ級グッズ道』(晶文社)刊。書きムケろし。
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2000年(平成12年) 47歳
2月6オ」 「緊急シンポジウム 表現と著作権を考える」(主催 有限会社コミケット 東京ビッグサイト)を開催。パネラー 夏目房之介、村上知彦、高取英、いしかわじゅん、竹熊健太郎、とり・みき、高河ゆん 他、進行 米沢嘉博。
2月29オ」「戦後エロマンガ史」連載開始 (『アックス』Vol.13〜Vol.52 青林工藝舎)。
3月19オ」リゾコミ in 沖縄(コミケットスペシャル3)沖縄県宜野湾市で開催。コミケット25周年を記念。参加者1,500人。米沢杯釣り大会も行われた。
8月4、5オ」オ」本ウァケ大会「エワキ。ク魏ソーー莢ソアキ」ユゲストとして参加。
8月11〜13オ」第58回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者430,000人。
11月18オ」「著作権に関するシンポジウム第二回」(主催 有限会社コミケット 渋谷フォーラム8)開催。パネリスト牧野二郎(弁護士)、飯田圭(弁護士)石井裕一郎(弁理士)、みなもと太郎(マンガ家)、米沢嘉博(司会)。
12月5オ」「米沢嘉博の現代マンガ時評」連載開始(『月刊コミックフラッパー』12月号〜06年10月号 メディアファクトリー)。
12月29、30オ」第59回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者人300,000人。
▼この頃より著作権問題ユ本格的ユ取り組んだ。政治家、運動家、評論家との交流もツヘスワり、マンガユ留スワらイ烽「活動ユイ烽チていった。討論会、オコ演、イメヌントへの出席が増えていく。



2001年 (平成13年) 48歳
2月3、4オ」台湾の「ー莢ソイムアー艨Eーツーソク魑「カル」をコソケットスホアッフと訪問。
6月25オ」『別冊太陽 発禁本アア 地ムケ本の世界』(平凡社)刊行。
7月29オ」オ」本マンガ学会発足。比叡山で設立大会を開催。午後ユは、第1期学会役員がパネリストとイ烽チたフスーラシが開かれた。
7月30オ」京都精コ大学マンガ文化ムー究ヌソ+オ」本マンガ学会合同シンメレジウシ「マンガとマンガムー究と著作権問題」ユ参加。
8月10オ」『マンガと著作権』〈〜パロディと引用と同人誌と〜〉監修(コソケット叢書・青林工藝舎)刊行。
8月10〜12オ」第60回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者420,000人
8月18オ」やおい・パネル・ディスカッション4(日本SF大会SF 2001)パネリスト。
9月2、3オ」サンフランシスコの「ウロエ。ーソア・ー莢ソアキ」ユ参加。
11月3オ」、4オ」オ」本マンガ学会第1回キ゚会を京都精コ大学で開催。
12月14オ」「子どものメヘ業的性的搾取ユ反対する世界会議内ワークショップユ関するプレス説明会」(連絡網エ。イムア主催、衆議院第ヤ議員会館)でコメント発表。
12月18オ」「児童虐ミと表現規制ユ反対する集い」(連絡網エ。イムア主催、エルパイネ・横浜市老松会館)ユ参加。
12月29、30オ」第61回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者360,000人。
▼日本マンガ学会については、準備段階より加わり、第一期より三期に渡って理事を務める。参加者には米沢氏、呉智英氏、村上知彦氏 等、ほぼ同世代の顔が並んだ。



2002年(平成14年) 49歳
2月10オ」『別冊太陽 発禁本III 主義・趣味・宗教』(平凡社)刊行。
4月30オ」『藤子不ヤ雄論〈ケとエ。の方程式〉』(河出書房新社)刊行。
6月8オ」川崎市市民ミュージアム映像ホールにて、日本マンガ学会 第二回大会開催。
7月13、16オ」ウァケ大会ユゲストとして参加。
7月27オ」『ロボットマンガは実現するか』(実業之オ」本社)刊行。
8月9〜11オ」第62回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加数480,000人。
9月『藤子不ヤ雄論〈ケとエ。の方程式〉』で第26回オ」本児童文学学会学会賞受賞。
9月19オ」『戦後野球マンガ史』〈手塚治虫のいイ烽「風景〉(平凡社)刊行。
10月12〜14オ」「アジアMANGAサミット」に参加。 同サミットで日本マンガ学会大会も開催。
11月アメリカの著作権研究家、スタンフォード大学ロースクール教授 ローレンス・レッシングと「まんが同人誌と著作権」について会談。
12月3オ」松文館わいせつコソック裁判第1回公判。以後、公判の度ユ傍聴ユ通い続ける。
12月「決定!全オ」本オホアク大賞」(スカイパーフェクーユウユ)ユゲストとして出演。
12月28〜30オ」第63回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者450,000人。



2003年(平成15年) 50歳
3月15オ」ART TODAY レクチャーシリーズvol.5「マンガ」って、今どうなってるの? 第3回(三鷹市芸術文化センター)講師。
6月21、22オ」オ」本マンガ学会第3回キ゚会・大会(京都精コ大学)ユ参加。
7月12オ」『創』プレゼンツ「松文館猥褻裁判とマンガ規制」(ロフトプ ラスワン)に出演。
8月15〜17オ」第64回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者460,000人。
9月16オ」ヌタ京・江ヌタ区森ムケ文化センホアーの『マンガ文化論〜時代と作品〜』第7回「マガジン・サンデーの登場〜梶原一騎とは?」オコ師。
11月第43回総選挙の際、社民党 保坂展人代議士の推薦人に名を連ねた。青少年保護を理由とした有害図書規制にも批判的であった事から交流があった。保坂氏は残念ながら落選したが、第44回総選挙で再選され、コミケットにも一般参加している。
12月28、29オ」第65回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者420,000人。



2004年 (平成16年) 51歳  
1月『SPA!2月10オ」号』で宮台真司氏、山本直樹氏とエロ本規制について座談。
2月10オ」『マンガで読む「涙」の構造』(アキア皺ュ出版)刊行。
4月17、18オ」マンガ文化ムー究ヌソフスーラシ「マンガは誰のものか!?」ユ参加。
5月4オ」SFセミナーに参加(星陵会館ホール、ふたき旅館)。「昼の部 SFファンとマンガファン」(青柳誠、米沢嘉博)、「合宿の部 じゃあ、アニメファンってどうよ」(米沢嘉博、出渕裕)他に出演。
5月18オ」慶キリ大学文学部キ゚合オコ座「情の技法アア」「愛と涙と物語と―マンガを中心ユ」オコ師。(三田キャンパス)
6月オンラインマガジン「Sexual Science」で山口貴士氏、藤本由香里氏、長岡義幸氏とわいせつコミックについて座談。
6月19、20オ」第4回オ」本漫画学会大会(川崎市民ソュージヌ羮)ユ参加。
8月13〜15オ」第66回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者510,000人
9月4〜13オ」ウ・ェネチヌ縺Eシロエンナーレ第9回国際アヲ築展オ」本館ユコソケット準備会が出展。期間中ウ・ェネチヌ耻ノ蜊ンし、釣りもしていた。展示ストーマは「ーソーユエ。ーュアォ」。
9月25オ」著書『漫画同人誌エトセトラ'82ー'98』〈状況論とレシロューで読むおたく史〉(久保書店)刊。「ロリコン同人誌ピックヌ繝bプ」「同人誌エトセトラ」の単行本化。阿島俊名義。
11月7オ」「どう守る?クリエイホアーの著作権」(アキアハーソ法人イーパーツ主催)ユ参加。
11月23オ」第46回京都大学11月祭記念オコ演「オホアク論・オホアク史」ーカウンホアーからサブカルへー開催。米マキと大阪大学助教授ヨコホア村上孝之氏がオコ演。
12月29、30オ」第67回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者370,000人。
 


2005年 (平成17年) 52歳
1月10オ」米マキ嘉博・三崎尚人監修『同人誌バカ一代』〈〜イワえもんが残したもの〜〉(岩田ハヲ夫著 久保書店)刊行。
2月手塚治虫17回忌ユ参列。
2月22オ」〜3月13オ」現代写真美術館でウ・ェネチヌ縺Eシロエンナーレ第9回国際アヲ築展オ」本館展示「ーソーユエ。ーュアォ」が再現展示。
3月『鉄人28号論』(ぴあ)で唐マキ俊一、藤津亮太と鼎談。
3月10オ」京都精コ大学著作権部会第1回ムー究会ノケ告(オ」本弁カー士会館第3会議室)ユ参加。
3月21オ」コミケットスペシャル4・ 30周年24耐(東京国際展示場)開催。24時間開催、展示入れ替えという画期的な運営が行われ、展示内容もコミケットの捕らえ所のない広がりを米沢の眼で並べ直し、存在の意味を問い直す内容となっていた。
3月21オ」コソックマーケット準備会編『コソックマーケット30'イファイル』(コソケット)刊
6月18、19オ」第5回オ」本漫画学会大会(京都精コ大学)ユ参加。
7月17、18オ」ア盒。イムエ。ー莢ソアキU(オ」本ウァケ大会)で星雲賞自由部門をウ・ェネチヌ縺Eシロエンナーレ第9回国際アヲ築展オ」本館展示「ーソーユエ。ーュアォ」が受賞した。スワた、長年のコソケットの運営で、柴野拓美賞を受賞した。
8月12〜14オ」第68回コソケット(ヌタ京国際展示場)開催。参加者480,000人。
8月「エロマンガ IS DEAD(OR ALIVE)4」(連絡網AMI主催)に出席。
8月25オ」米マキ嘉博責任監修『コスソコソケ』(松文館)刊行開ツヘ。コソックマーケット30周年企画の同人誌マンガヌ繝塔\ロジー、ちイ烽ンユ編集担当者は宮西計三氏、劇画ヌ繝潟Xから25年を経て、編集者と作家の立場が入れセ蛯っていた。
10月13オ」「キャンディ・キャンディ事ノの判決後ー読者の権利ユついて」(第3回著作権部会、オ」本弁カー士会館)ユ出席。
11月のらくろ漫画賞(江ヌタ区森ムケ文化センホアー田川水泡・のらくろ館)審査員ユ就任。
11月18オ」「不健全」でなにが悪い!ー心の東京「反革命」(戦争と治安管理に反対するPINCH!主催 日本キリスト教会館)で講演。
12月日本村ネクスト展(渋谷ギャラリールデコ)にゲストとして出演。12月29、30オ」 第69回コミケット(東京国際展示場)開催。参加者360,000人。
 


2006年 (平成18年) 53歳
2月28オ」オ」本漫画家協会新春会ユ出席。
3月4オ」文化庁メディヌ繻|術祭「マンガ部門受賞者シンメレジウシ」(現代写真美術館)里中満智子氏と「失踪オ」記」ユついてオコ演。本当は吾妻先生と3人の予定だった。吾妻先生は体調不良で当オ」不参加とイ烽チたが、里中先生とヤ人で、見事イ焜gークを展開した。
5月オ」本漫画学会の準備ユ奔走、ウァケ大会や即売会関ムァの人脈も駆使した。
5月13オ」国際オ」本文化ムー究センホアー(京都)オ」文ムー会議
5月16オ」コソケット企業説明会ユ出席。
6月7オ」手塚治文化賞贈呈式ユ出席。
7月1、2オ」第6回オ」本漫画学会大会(新潟)ユ出席。出発前ユ肺癌であるとの告知を受けていた。
7月4〜5オ」代々木のJRヌタ京キ゚合病院ユ入院。ごく限られた人ユしか、入院は知らせず、コソケの運営も仕事もホアバコを吸う事さえもそのスワスワ続けていた。新しい仕事の打ち合わせも行っていたし、地ムケ鉄ユ乗ってス書展ユも行っていた。しかし、入院後の検査で、サモ移が確認されたため、手術が出来ず、抗癌剤ユよる治療が行われた。
7月8、9オ」外出許可を取って、第45回日本SF大会「みちのくSF祭 ずんこん」に参加。
7月15、16オ」国際オ」本文化ムー究センホアー(京都)でのオ」文ムー会議ユ出席。その足で熊本を母の見舞いユ訪れる。
8月10〜13オ」外出許可を取って第70回コソックマーケット(ヌタ京国際展示場)ユ参加。マスコソ対キリイ烽ヌ普通ユ仕事をこイ烽オた。
8月18、19オ」母の見舞いユ熊本へ家族5人で行く。帰京後、体調が悪化し、外出も出来イ烽ュイ烽驕B
9月ヌタ京新聞の読書欄コラシ「今がわかる名著」の9月のストーマ「マンガ」を執筆。10、17、24オ」付の三回連載。連載三回目の執筆時、癌のサモ移の影響で手が動かせイ烽ュイ烽チたため、口述を長オッ瞳美がパソコンで入力して入稿した。これが最後の原稿とイ烽チた。
9月30オ」コソケット71第1回拡大集会ユて、コソケット代表を退任。後任ユ安田かほる氏・筆谷芳行氏・市川孝一氏の3名が決スワった事を発表した。
10月1オ」午前4時40分、トユ去。享年53歳。
10月7オ」麻布山善福ヒァユて葬儀・告別式が執り行われる。前オ」の通夜と合わせて参列者延べ4,000人。出棺は盛大ユ見マワられた。
11月20オ」竹内オサシ氏、ヤマダトモコ氏とともユ編集委員を務めた『現代漫画博物館1945ー2005』(小学館)刊行。
12月29〜31オ」第71回コソックマーケット(ヌタ京国際展示場)開催。初めての大シミオ」コソケットであったが、順調ユ運営された。31オ」の閉会間際、前代表米マキへの黙祷が行われた。
 


2007年(平成19年)
2月『売れるマンガ、記フウユ残るマンガ』(メディヌ繝tァクトリー)刊行。コソックフラッパー連載の「Yずコレクション」「米マキ嘉博の現代マンガ時評」の単行本化。
3月神奈川オシ生田「春秋苑」ユ埋葬。熊本ユも分骨された。
7月河出書房新社より『手塚治虫マンガ論』刊行。
8月筑摩書房より『戦後少オッマンガ史』が文庫として刊行。
虎ツ」書房より『米マキ嘉博ユ花ソメを』刊行。
9月2オ」横浜で開催された第65回世界SF大会/第46回日本SF大会Nippon 2007にて星雲賞特別賞を受賞。
12月虎ツ」書房より『米マキ嘉博ユ花ソメを』(増補改訂版)刊行。



2008年(平成20年)
8月筑摩書房より『戦後SFマンガ史』が文庫として刊行。
12月 虎ツ」書房より『米マキ嘉博ユ花ソメを2』(初期作品集)刊行。



2009年(平成21年)
8月筑摩書房より『戦後ギャグマンガ史』が文庫として刊行。
10月 明治大学 米沢嘉博記念図書館オープン。



2010年(平成22年)
4月青林工藝舎より『戦後エロマンガ史』刊行。
5月 「マンガムー究の基礎資料のマ瘴Wと評論活動イ烽ヌの幅広い業績」ユ対して第14回手塚治虫文化賞・特別賞を受賞。
8月 虎ツ」書房より『米マキ嘉博ユ花ソメを3』刊行。



2011年(平成23年)
12月 『戦後エロマンガ史』(青林工藝舎)が、大衆文学ムー究賞(早乙オッ貢基金)大衆文化部門を受賞。
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本年譜は、『米マキ嘉博より花ソメを』(虎ツ」書房)ユ掲載されたものユ若干の追加・修正を行ったものである。
原年譜は、チッ田四氏の作成した年譜をもとユ、米マキ家の資料、米マキの作品、「図書の家 少オッ漫画資料室 米マキ嘉博の仕事」()、コソックマーケットの出版物等を参照し、インホアーネット上ユ残されている米マキのフ々イ熨ォ跡の情ノケを加えて作成したものである(作成:高垣昌ヤ氏)。
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