大雪山系の遗跡はいつどのように残されたのか~高标高地帯への人类适応过程の解明へ期待~
2025年08月07日
明治大学
大雪山系の遗跡はいつどのように残されたのか
~高标高地帯への人类适応过程の解明へ期待~
~高标高地帯への人类适応过程の解明へ期待~
研究のポイント
- ● 100年前からその存在が知られながら忘却された大雪山国立公园内の遗跡を调査。
- ● 周氷河作用による冻结融解を受けた地表面に遗物が残されている现状。
- ● 弓矢を携えた狩猟者らが、少なくとも3,000年前に滞在した跡である可能性。
研究の概要
明治大学黒耀石研究センターの堤隆特任教授?池谷信之特任教授、北海道大学総合博物馆の中沢祐一准教授、札幌国际大学人文学部国际教养学科の髙仓纯教授らの研究グループは、大雪山国立公园内に残された标高约2,100mに位置する白云岳小泉岳遗跡の考古学的な调査を実施し、高标高地帯への人类居住が少なくとも3,000年前にはなされたことを明らかにしました。
白云岳小泉岳遗跡は1924年(大正13年)に最初に発见され、自然?人文科学の様々な研究者らが着目してきました。しかし、この遗跡がいつどのようにして残されたのかに関する体系的な调査はなされてきませんでした。当该遗跡は环境保护区内にあるため、土を掘り返す発掘调査ではなく、歩行踏査によって地表面の遗物分布パターンをとらえました。2019年と2023年の踏査の结果、南向きの缓斜面に遗物が分布し、遗跡は南北53尘×东西64尘に広がることを确认しました。遗物の大きさや破砕の程度は、重力性の斜面移动が遗物の広がり方へ影响したことや、地表面の冻结融解作用の繰り返しによって遗物が堆积物内を上下移动し破砕したことを示唆しています。
遗物の多くが黒曜石で作られた石器であることから、黒曜石の表面に形成された水和层を用いた黒曜石水和层法という年代测定法を用いて、约3,000年前の推定値を得ました。また黒曜石の元素分析から、黒曜石が大雪山と东方のオホーツク海の间にある产出地に由来することが分かりました。この特定の场所に遗跡が残された理由は仮説の域を出ませんが、石鏃(やじり)が多いことから、弓矢を携えた狩猟者らの狩场であった可能性や、山越えルート上のキャンプ地だった可能性があります。
なお、本研究成果は、2025年7月30日(水)公开のJournal of Field Archaeology誌に掲载されました。
研究の背景
高标高地帯へ人类がいつどのように移住したのかを知ることは、私たちの祖先の极地への适応能力とその歴史的背景を理解する上で重要な根拠となります。一般に高标高地帯とは血中の酸素浓度量が着しく减り始める标高2,500尘以上と定义されますが、北纬40°以北の亜寒帯にある北海道は标高2,000尘を越えると高木が乏しい森林限界の上となり周氷河地形(図1)が発达します。このユニークな环境では、利用できる资源の种类や分布量も平野部とは大きく変わります。このことから大雪山系へ进出した人々は、平野部とは异なる居住様式や生存戦略を选択しなければならなかっただろうと予想できます。
大雪山系の白云岳の近くに位置する白云岳小泉岳遗跡(図2)は、1924年(大正13年)に塩谷 忠(大雪山调査会)らが最初に発见し、その后も様々な自然?人文科学分野の研究者らが着目してきた遗跡です。しかし、学界では永らく忘却され、体系的な考古学调査も実施されておらず、遗跡の范囲などの基础データはもとより、大雪山へ进出した人类がいつどのようにこの遗跡を残したのか、その理由は何であったのかといった疑问も明らかになっていませんでした。これらの课题に取り组むため、本研究グループは、2019年と2023年に白云岳小泉岳遗跡の调査を実施しました。
研究の手法
地表面に散布する遗物を复数名による歩行踏査によって确认しました。骋笔厂を用いて个别の遗物の位置情报を取得し、质的特徴(形态、技术、部位など)や量的属性(最大长、重量)などを记録しました。
2019年度に环境省と文化庁の许可を得て回収した黒曜石石器(図3)をサンプルとし、黒曜石水和层法を用いた年代推定と蛍光X线を用いた黒曜石の产地推定を実施しました。黒曜石水和层法は、石器を作った际に黒曜石の露出した表面から一定の率で水が内部へと拡散することによってミクロの水和层ができることから、その层厚と水の拡散速度を利用して石器が作られた古さを算出する方法です。黒曜石の产地推定とは、蛍光X线によって黒曜石固有の元素组成を定量化し、その石器がどこの黒曜石产出地に特有な元素组成と一致するかを调べることによって、遗跡に残された石器の产地を明らかにする方法です。
黒曜石水和层法による年代推定では、约3,000年前(3,318-2,966年前)の年代値が得られました。蛍光齿线分析による黒曜石石器の元素组成に基づく产地推定の结果は、サンプルとした黒曜石が大雪山と东方のオホーツク海の间に所在する产出地(白滝?置戸?留辺蘂)と対応することが分かりました。
研究の成果
2019年と2023年の2度の歩行踏査によって、白云岳小泉岳遗跡の范囲—南北53尘×东西64尘—を确认することができました。2019年と2023年に记録した遗物の散布パターンには统计的にも违いがない点も明らかになりました。これは、地表面に広がる遗物が同一の遗跡から由来することを示します。
踏査で确认した遗物は黒曜石で作られた石器でした。これらの遗物の大きさが概して小さい倾向にあることから、その理由について、周氷河环境の地表面に置かれた遗物に対して物理的な要因によるソーティングが生じた可能性と、先人(大正?昭和期の调査者ら)にとって目につきやすかった大きめの遗物が拾い尽くされた结果であるという可能性を考虑しました。遗物の大きさ?破砕频度?空间的位置の検讨结果からは、前者が支持できます。つまり、地表面の冻结融解によって堆积物の中を遗物が上下方向へ移动することによって小さくて细かな石器へと断片化し、かつ地表面で作用した重力性の移动によって大きめの石器はより远くへと运ばれたというプロセスを考えることができます。
黒曜石水和层法による年代推定では、约3,000年前(3,318-2,966年前)の年代値が得られました。蛍光齿线分析による黒曜石石器の元素组成に基づく产地推定の结果は、サンプルとした黒曜石が大雪山と东方のオホーツク海の间に所在する产出地(白滝?置戸?留辺蘂)と対応することが分かりました。
この场所に遗跡が残された理由は仮説の域を出ませんが、石鏃(やじり)が多いことから、弓矢を携えた狩猟者らの狩场であった可能性や、彼らが移动する山越えルート上のキャンプ地であった可能性があります。
今后への期待
埋蔵文化财とも呼ばれる现代日本列岛の文化资源から明らかとなる过去の无文字社会の具体像は、大部分が平野や台地の上の発掘调査成果に立脚しています。一方で、高标高地帯では考古学的调査は行き届いておらず、无文字社会における人间活动の多様性については未解明な部分が少なくありません。特に森林限界を越えた高标高地帯では主体的な学术调査が不可欠ですが、平野部のようには调査の手が及んでいないのが现状です。さらに21世纪现在、温暖化などの地球规模の环境変动の影响を受けやすい脆弱な土地でもあります。
大雪山の登山道では地表面の浸食も进みつつありますので、遗跡の中长期的なモニタリングなどによる、文化资源の保护へ向けた取り组みが求められます。大雪山系には、报告した白云岳小泉岳遗跡とは性质が异なる遗跡も潜在することが予想できます。今后も踏査を継続することによって、高标高地帯への人类の进出と适応がいつどのように达成され、それがどのような背景だったのかという人类进化史的な疑问へ答えることができるだろうと期待しています。
谢辞
本研究は闯厂笔厂科研费闯笔23碍00942、闯笔21贬00599の助成を受けたものです。
论文情报
论文名
Human adaptation to the high-altitude permafrost zone at Daisetsuzan National Park,Japan(大雪山国立公園の高標高永久凍土地帯への人類適応)
着者名
中沢 祐一 1、村本 周三 2、赤井 文人 3、山田 哲 4、髙倉 純 5、瀬下 直人 6、山原 敏朗 7、中村 雄紀 4、堤 隆 8、池谷 信之 8
(1 北海道大学総合博物館、2 北海道庁、3 北海道教育委員会、4 北見市教育委員会、5 札幌国際大学、6 遠軽町教育委員会、7 独立研究者、8 明治大学黒耀石研究センター)
(1 北海道大学総合博物館、2 北海道庁、3 北海道教育委員会、4 北見市教育委員会、5 札幌国際大学、6 遠軽町教育委員会、7 独立研究者、8 明治大学黒耀石研究センター)
雑誌名
Journal of Field Archaeology(考古学の専门誌)
DOI
公表日
2025年7月30日(水)(オンライン公开)
参考図

図1.周氷河地形

図2.遗跡の远景

図3.黒曜石石器
- お问い合わせ先
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取材に関するお问い合わせ
明治大学 経営企画部 広報課
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