副学长(和泉キャンパス担当) 山泉 进
現在、明治大学中央図书馆ギャラリー(駿河台リバティタワー1F)で、生誕100年を記念して「中田正子展」が開かれています。この催しは、鳥取県と明治大学とが共同企画したもので、別にリバティアカデミーで4回にわたる連携講座も開催されました。わたしも、10月17日の第1回の講座で、鳥取市歴史博物館の学芸員である奥村寧子さんといっしょに、中田正子の生涯と女性弁護士誕生の歴史について話をしました。
职业における男女平等のもとで、女性弁护士という言い方に多少の违和感を抱く人もいるかもしれませんが、女性が弁护士になる道が开かれたのは、戦前、1936(昭和11)年になってのことでした。代言人にかわって弁护士が登场するのは1893(明治26)年のことですが、「日本臣民にして民法上の能力を有する成年以上の男子たること」という资格が定められていました。
中田正子は、1910(明治43)年东京、小石川に生まれ、明治大学女子部を卒业して、法学部に进み、1938(昭和13)年当时の高等试験司法科に合格しました。3名の女性合格者はいずれも明大女子部出身者でした。中田正子が弁护士试补考试に合格して弁护士になるのは、その翌々年のことで、年齢も30歳に届く顷、前年には结婚もしていました。その后は、夫の出身地である鸟取県に移住、その地で先駆者としての生涯を闭じました。
「中田正子展」は、来年1月28日まで開催されていますので、是非ご覧ください。詳しくは明治大学図书馆のホームページでご確認ください。
明治大学図书馆ホームページ
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