2021.4
胸を张って校友であると言おう
明治大学史资料センター運営委員
櫛方 隆志(明治大学総务部総务课长)
櫛方 隆志(明治大学総务部総务课长)
2021年3月26日、新型コロナウイルスの影响で中止となっていた卒业式が2年ぶりに日本武道馆で开催され、袴姿やスーツ姿の卒业生が、そこかしこで友人との再会を祝していた。この1年の彼ら彼女らの苦労を想像すると、自然と目头の奥が热くなっていた。大六野耕作学长の告辞、柳谷孝理事长の祝辞に続く北野大校友会长の祝辞では、卒业生に対して「皆さんが校友となられることを、校友一同を代表して歓迎します」とのお言叶があった。そう、明治大学を卒业した学生たちは、今日この日から「校友」となるのである。
例年よりも开花の早い桜を见ながら、この「校友」という言叶にふと思った。「明治大学では卒业生を『校友』と称している。」この文章は正しい。では、数学的に逆は成り立つか。「明治大学の校友は『卒业生』である。」この问いに论拠を示して「逆は成り立たない」と即答できる教职员はそれほど多くないだろう。
この问いに答えるには、数ある明治大学の规程のうちの、学校法人明治大学校友规则を见ないといけない。「校友规则」、本学の教职员にとって、当たり前のように存在していると感じるだろうが、他大学の规程集において、この校友规则に準ずる规程は寡闻にして知らない。その校友规则の第1条では、校友の资格に係る规定があり、卒业生に続いて、「学校の教职员であり、又はあった者で、勤务年限2年以上のもの」とある。つまり、多くの教职员は(明治大学を卒业していなくても)校友となるのだ。なんと幅の広い资格だろうか。
他大に类を见ない校友に関する规程、そして幅の広い资格、これらは一体どのような経纬で制定されてきたのだろう。そもそも、この「校友」という言叶自体、明治大学が他大学に先んじて用いたものである。明治大学の创立者である、岸本辰雄先生、宫城浩蔵先生、矢代操先生は当时まだ若く、経済基盘がぜい弱であった。そのため、安定的な学校运営を行うためには、卒业生たちと积极的に物心両面で连携を図る必要があった。
詳細は「明治大学の歴史(明治大学史资料センター編)」に譲るが、明治法律学校が設置された翌年の1882年12月には、早くも「明治法律学校校友規則」が制定されている。校友の範囲は卒業生、塾監、部長、そして中退者であっても法曹や官吏に立身し特別に認められた者とされており、この時点ですでに、校友イコール卒業生ではないことがわかる。その後の動きで、講師も校友に含み、校友会も規定されていく。1903年明治大学への改称が認可。基本金集めに協力した校友会からの働きかけにより商学部が開設。1923年の関東大震災では、校友会が大学の復興計画の推進に大きな役割を果たす。1954年明治大学寄附行為改正。教育の独立性を高める観点から評議員会における教職員選出数を増やし、大学運営の自律性を高めていく。1975年、校友会で終身会費の一部を基金に積み立て財政の安定化を進める。1980年、明治大学創立100周年記念事業で、校友会は1億円を寄付し協賛に寄与。2003年、校友会组织改編。各都道府県、大韓民国、台湾に支部を置く。さらに、校友会費を在学中の予納制とし、卒業後すぐに校友会に入会する流れを作った。これにより校友会の財政基盤も強化される。校友会費の20%は校友会基金として積み立てられ(2019年度4千6百万円)、大学を賛助する体制をさらに整備していく。2015年度、「明治大学校友会『つなげ!紫紺の“たすき”』奨学金」がスタート。学費等以外にも生活費を必要とする地方出身者に奨学金を給付することで、地方からの入学を促進する。地方からの入学者はいずれ全国に展開する校友会の会員となり校友会活動を支えてくれるとの期待も込められている。余談だが、この命名には当時校友課長であった私も多少なりとも関与している。2020年度、明治大学で「明治大学学生?教育活動緊急支援資金」を設立。大学拠出の5億円に校友会からの2億円を加え、7億円規模でスタート。校友会の2億円は、前述校友会基金から拠出されたものである。
このように、校友と校友会は、法律学校创立期、大学改称、関东大震灾、新型コロナウイルス感染症など、多くの场面で明治大学の教育研究活动を支えてきた。现在、校友の中の圧倒的多数を占めている卒业生校友。だが、卒业生のみならず、多くの校友が支えてくれたおかげで明治大学は140年という歴史を刻むことができたのだと感じる。
田安门から九段下の駅に下る坂道を歩んでいく卒业生たちを见て、ともに校友となる卒业生たちを见て、心の中でお祝いをする。卒业おめでとう。今日から同じ校友だね。しかし、そこでふと思った。私は校友であると胸を张れるのか。校友を名乗る资格はある。だが校友と名乗れる役目を果たしているのか。明治时代からの先人たちが歩んできた役目を果たしているのか。同心协力という言叶を発するのは容易い。しかし言叶だけでなく物心両面にわたり、一人ひとりが具体的にできることを実行していくことこそが、校友として最も必要な役目なのだ。自分にできることは何か、母校明治大学の発展のため、これから校友となる后辈学生のため、できることを见つけ行动しようと改めて思う。
最后になるが、2021年3月31日、私の同僚职员が2人定年退职した。本来なら送别会などで华々しくお祝いをしたいところであったが、残念ながら饮食を伴う会食は自粛中である。职场内で开催した送る会で、47年间勤めた2人は、晴れ晴れしくも寂しさを伴う复雑な表情であった。そんな2人に私からお祝いとして赠った言叶を添えて笔をおく。
「本日をもってお2人とも职员は退职されますが、决して自分の居场所がなくなるのではありません。なぜなら、职员は退职しても校友なのです。今までも、これからもずっと校友です。记念馆がリバティタワーになるなど、建物は変わっていきますが、明治大学はずっとここにあります。ですから、どうか退职されたあとも折を见て明治大学に立ち寄ってください。学生の活跃を応援してください。そして大学の活动を校友の立场で见守り支えてください。」