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生田に吹く风は~原口善信へささぐ~(キャンパス编)

 2024.10

生田に吹く风は
~原口善信へささぐ~

 

明治大学史资料センター運営委員
福冈 英朗(法学部事务长)

 家族の手术立ち会いのために病院へ着くと「前の人の手术が长引き、12时开始の予定が14时となりました」と看护师さんから告げられる。承知しました、と伝え、时间を溃してきますが近くに居ますので万が一早まったらお电话お愿いしますね、すぐに戻ります、と携帯电话の番号を伝え、ナースステーションを出る。
 病院の傍には裁判所があり、傍聴できる裁判があるか确认してみると、そもそも地方都市では诉讼が少ないのか、时间的に合う裁判は无かった。近くに占い馆のようなビルがあり、対面占いの経験は无いし行ってみようかな、とも思ったが「水晶占いで」と书かれてあり、水晶占いに详しいわけではないので申し訳ないのだが、子供の顷観たアニメ等の影响だろうか、なんとなく萎えてしまった。12时开店と书いてある中古レコード屋さんは、とっくに过ぎているのに开いていない。
 さて14時までどうしよう、と思っていると、裁判所前の城跡に、大きな図书馆が建っている。緑も多く、とても気持ちよさそうな立地だ。さすが県庁所在地の城跡、緑は多いだけでなく太い!きっと江戸時代から生き続けている樹木なのだろう。
 ミンミンと蝉が鳴きじゃくる中、お堀に架かる橋を歩き、図书馆へ向かうと、堀を越えた辺りで、緑の間から、スーっと気持ち良い風が吹いて来た。
 そこで、もう30年近く前の生田キャンパスを思い出した。夏は、何故か、昔のことをよく思い出す、と思う。

 その方は、僕よりもかなり年上で、仕事をしたがらないことで有名な职员だった。僕の担当は、施设関係だったので、老朽化した建物を见に行く等の业务で、その先辈に一绪に来てもらわないといけない用事があった。私との同行へ、なんとなく面倒臭そうに歩いていたその先辈は、理工学部3号馆の前で急に立ち止まり「ここ、いい风が吹くんだよね」と言った。
 生田キャンパスの建物の大半は、南か北へ向いて建てられていて、东西に长い构造となっている。なので、その背の高い3号馆侧面でも、西から东へ、先辈の言うとおり、気持ちの良い风が吹いていた。
 が、若い僕にはいい风よりも、目の前の施设修缮に早く取り掛かりたい、老朽化した建物はどんどん直していかないと间に合わないのだ。しばらく立ち止まって风を浴びている先辈を「ああ、そうですか」という気分でスルーした。しかし、30年経った今でも何故かその时のことを覚えている。そして、折角教えてくれたのに、その言叶へ报いることができなくて、先辈へ申し訳なかったなと、今でも「やっぱりチーズバーガーにしとけばよかったな」くらいのレベルではあるが、少し后悔もしている。
 もし、初老の僕が「この城跡図书馆の前、いい風が吹いているんだよ」と言ったとしても、今の若い人は、30年前の僕よりも、もっと丁寧なリアクションをしてくれるだろうと思う。
 生田キャンパスには今、3号馆は无い。1号馆も无い。理工学部の施设担当で、建物の隅々まで把握していた僕は当时、もしテロリストが生田キャンパスへ攻め入っても、1人で笼城して胜てるかもしれないと豪语していた。しかし、すっかりと建物の様相が変わった今では、下手なこと言ってアラン?リックマンにすぐ杀されるキャラだと思う。

 明治大学の生田キャンパス。理工学部と农学部関係者しか、行く機会がほとんど無いと思うが、そこで、4年間、大学院を含めるとさらに長く、学生として過ごせることはほんとうに幸せだと思う。僕は通算で15年くらい過ごした。学生とは違い仕事で関わっていただけなのだが、幸せな15年間だった。勉強ではなく仕事における幸せなので、その幸せをくれたのは、周りの人間、学生や教職員なのだが、やっぱり環境も、大きく影響していると思う。生田の良い環境の中に居る人達だから、ということもあるし。
 僕が明治大学全キャンパス中一番、と思う桜は生田にある。理工学部のA館から2号館へ向かう2階通路から見る桜は、自分が木の中に入っているかのように観ることができる。农学部の竹林で、実験材料に使う竹を切らせていただいたこともあった。「電球に使うのですか?」と聴くと「いやいや、それはエジソンのフィラメントだから」と大竹助教授。
 視察中に农学部の2号館と5号館の間で立ち止まり、並木から木漏れる陽の光を見せながら、生田について何かを検討していた当時の学長へ「この風景、大事ですよー。壊して欲しくないな。」と話したことがある。学長も、よくもまあ、そんなペーペーの話を黙って聴いていてくれていたなと、今では思う、懐が深いなと。
 今はもう無いし、そのことを憂いだり反対もしないが、図书馆の横には、直径1メートルはある大きなヒマラヤ杉が何本も建っていた。僕は仕事に悩むと、そのヒマラヤ杉にオデコを付けて、目を瞑って、じっと突っ立っていたりしていた。傍から見られてたら、かなりキモイ状態だったと思う。
 2000年顷の教职员食堂に居た、凄腕の茶髪コックさんはどこへ行ったのだろう?二か月に一度くらいしか行かないのに「はーい、いつものようにご饭少な目で纳豆付きね、男らしくないねー」と、週一の常连さんのように扱ってくれた青柳食堂の女将さんはどうしているだろう?
 前述したが、やっぱり、1年生から4年生まで、それに加えて大学院生、皆が居るキャンパスで過ごせるというのは良いと思う。さらに、そこにある学部が理工学部と农学部、というのも良いのだろうな、と思う。

 あの风が吹いていたキャンパスは、30年前から大きく変わって、2024年の今も大きな工事が続いている。でも、変わったのは建物だけで「キャンパス」は変わらない。3号馆は无いが、今でもキャンパスのどこかで、あの风は吹いていることだろう。100年后も、また别のどこかで同じ风が吹いていると思う。

 図书馆を出て、約束の14时に、ナースステーションへ戻る。看护师さんへ声をかけると「あ、13时半から、既に始まってます。」とのこと。『えー!早まったら电话ください、って言ったじゃん』とは言わず、黙って待合室で待つこととする。事务连络が正确で手术が失败するよりも、事务连络が悪くっても手术が成功するほうが良いものな。

 ※このコラムを捧げている原口氏は、文中の先辈ではありません。