佐藤庆太郎
竣工当初の山の上ホテル(当时は佐藤新兴生活馆本部ビル)『生活』第4巻第4号(佐藤新兴生活馆、1938年)より転载
2025.6
山の上ホテルと明治大学
明治大学史资料センター所長
村上一博(法学部教授)
「山の上ホテル」の設計者として知られるヴォーリズ(William Merrell Vories、日本名は一柳米来留)の来日120年を記念して、去る2025年5月31日(土)、滋賀県近江八幡市のヴォーリズ平和礼拝堂(ヴォーリズ学園本館5階)で、「世界の中心でヴォーリズサミット」が開催され、参加してきました。 私が大学史資料センターを代表して簡単な挨拶を行いましたが、以下は、その草稿です。
明治大学が、代表的なヴォーリズ建筑の一つとして知られる「山の上ホテル」を取得したことは、皆様もすでにご存知かと思います。同ホテルを明治大学が取得したのには、二つの理由があります。
一つは、お茶ノ水界隈における「文化の薫り」を継承するためです。同ホテルがヴォーリズ建筑の代表的建造物の一つであることは言うまでもありませんが、1954(昭和29)年に吉田俊男氏がホテルを创业して以来、多くの着名人や、川端康成?叁岛由纪夫?池波正太郎ほか名立たる作家たちに爱され、数々の名作が生み出されてきた场所でもあります。千代田区景観まちづくり重要物件に指定され、お茶ノ水の喧騒の中にあって「文化の薫り」を残す、この场所を、决してマンションなどに変えてはならないという思いからです。
もう一つは、この建物は、もともと、明治大学の前身である明治法律学校を1890(明治23)年に卒业した佐藤庆太郎によって建てられたものなのです。佐藤は、石炭事业で大成功をおさめ、「石炭の神様」と称えられた人物です。山の上ホテルの建物は、もともと、1937(昭和12)年7月に、生活困穷者の生活改善などを目的として全国に运动が展开された「佐藤新兴生活馆」の本部ビルとして建设されました。佐藤は、それ以前にも、东京府美术馆(大正15年)や明治大学専门部女子部[昨年上半期の狈贬碍朝ドラ「虎に翼」の舞台となった学校です](昭和4年)の建筑费を寄付しています。生前に储けた财产は社会からの借りものであるから、社会にすべて返还すべきだという「公私一如」の信念から、生涯にわたって、美术馆などの文化施设、奨学金など育英事业に全财产を投じた稀有の篤志家として知られています。山の上ホテルの建物に笼められた佐藤庆太郎の“志”、-立场は违いますが、ヴォーリズの精神と相通じるものがあると私は思います-、を継承する责任が我々に课されているのです。
「文化の薫り」と社会奉仕の“志”を缠ったこの建物は、将来にわたって、明治大学のシンボルとして辉き続けると思います。现在、ホテル営业の再开を中心に、利用方法を鋭意検讨中であり、そう远くない时期に、皆様の利用に供することができるでしょう。
ヴォーリズ研究では、明治大学は新参者であり、皆さまからご教示いただきながら、この建物を大切に守っていきたいと考えています。