教训言黒白二「尘积もって山となる」、昇斎一景、1873年、明治大学デジタルアーカイブ
2024.7
第15週「女房は山の神百石の位?」を振り返って
明治大学法学部教授、大学史資料センター所長/図书馆長
村上 一博
村上 一博
今週月曜日の冒头、寅子は、アメリカにおける家庭裁判所の视察から帰国するなり、东京家庭裁判所の执务室に挨拶に来ました。浓い化粧に、派手なワンピース、それにサングラス。私もビックリしました。寅子は、「新时代の开拓者」「世の娘さんたちの希望の星」などと、ますます煽てられて世间の注目を浴び、舞い上がっていきました。仕事を顽张っていたらいつの间にか、寅子は押しも押されもしない猪爪家の主(大黒柱)となり、そのために、家族との関係は、些细な「ん?!」が积み重なり、感情的な行き违いが次第に大きくなっていきました。娘の优未をはじめ、甥っ子たちも、寅子の前ではみな「スン」と「お利口さん」の振りをしているにすぎないのに、寅子は、そのことに一向に気付かない???优未が、31点のテストを84点に改ざんしても(字が曲がっていて嘘が见え见えでした)、テストの内容を碌に见もしないで、间违った箇所を见直して次は100点を取りなさいと言う寅子。こうした状况を见るに见かねて、花江の口から、ついに、「寅子が见ている优未は本当の优未ではない」という衝撃的な言叶が飞び出しましたね。优未が直明たちと楽しくカルタ游びに兴じている様子を、寅子が窓际から覗いているシーンは、台本では、「???みんなとろ~んとだら~んとして幸せそう」(语り)と、自分の前にいるときとは明らかに违う、屈託のない笑颜を见せる优未の姿を见て涙ぐむことになっていたのですが、出来上がった映像では、优叁との回想シーンが流れ、优未をのびのびと素直に育ててやれていない自分に涙するというように変えられていました(というように私には思え、少し违和感を覚えました)。
直明が読み上げるカルタの読み札が、「尘も积もれば山となる」「知らぬが仏」であったことも(狈贬碍「あさイチ」で博多华丸さんも指摘していましたね)、台本にはなかった演出です。私にはちょっと过剰で意地悪な演出に思えました。これまで、演出は、梛川善郎?安藤大佑?桥本万叶の叁方が、原则的に週替わりで担当されてきましたが、今週から、新たに伊集院悠さんが加わって、四人体制になりました。今週は、伊集院さんの初担当でしたから、随分と気合が入っているなという印象です。演出家によって心象描写などに微妙な违いが出ていると思います。こういう観点からもドラマを楽しまれると良いでしょう。
【补足】
直明が読み上げるカルタの読み札が、「尘も积もれば山となる」「知らぬが仏」であったことも(狈贬碍「あさイチ」で博多华丸さんも指摘していましたね)、台本にはなかった演出です。私にはちょっと过剰で意地悪な演出に思えました。これまで、演出は、梛川善郎?安藤大佑?桥本万叶の叁方が、原则的に週替わりで担当されてきましたが、今週から、新たに伊集院悠さんが加わって、四人体制になりました。今週は、伊集院さんの初担当でしたから、随分と気合が入っているなという印象です。演出家によって心象描写などに微妙な违いが出ていると思います。こういう観点からもドラマを楽しまれると良いでしょう。
寅子は、判事昇进とともに、新潟地家裁叁条支部に転任を命じられました。家裁の理想を実现するためには寅子が必要なのに転任とは何事かと、多岐川は愤慨し、最高裁长官室に駆け込んで抗议しようとしましたが、この転任は、先日ラジオ放送の际に、家庭裁判所は女性にこそ相応しい场所だという女性适性论(この考えには叁渊さんも反発していました)を寅子から批判された长官による仕返しなどではなく、寅子に一人前の裁判官としてのキャリアを积ませるために桂场が行った人事であることが分かりました。桂场は、寅子の裁判官としての资质を评価しながらも、寅子が自分たち裁判所干部に爱され、その后ろ盾によって庇护されている现状に甘んじることなく、今后のキャリア形成の下地となる地盘、すなわち「本来の裁判官たちが积む経験」をするために、寅子に新潟県の叁条支部への転任を命じたのでした。家族で话し合った结果、优未だけが寅子と一绪に、新潟に行くことになりました。
はてさて、新潟では、寅子と优未に、どんな试练が待っているのでしょうか。次週もお楽しみに。
ちなみに、実际の叁渊さんは、昭和24年8月に东京地裁判事补となり、25年5月から家庭裁判所视察のためアメリカに出张、27年12月名古屋地裁判事、31年5月东京地裁判事とキャリアを重ねていきました。东京家裁の特例判事补にも、新潟地家裁叁条支部の判事にもなっていません。すべて、ドラマの创作です。この点は、ドラマと史実とは大きく异なっています。
なお、ドラマでは、寅子が离婚调停中の妻から「困っている女性の味方」をしてくれないと骂られ、剃刀の刃を向けられていましたが、叁渊さんも実际に、东京地裁时代に、担当していた民事裁判の当事者であった老婆に、剃刀で切られそうになったようです。
【补足】
第10週のコメントで「江戸时代、新宿一帯を治めていたのが内藤家」と书きましたが、正しくは「现在の东新宿に広大な屋敷地を拝领していた内藤家」ですね。订正します。
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