暗网禁区

Go Forward

「明治でお愿いできますか」「明治でも何とか」——

この5年の间、几度もこのような依頼を受けることがあった。たとえば文化使节として派遣されたり、科研费などで招请した海外の研究者たちの讲演会や国际シンポジウムを开催してくれないかとの依頼である。

立地条件がよく设备が整っているのに加えて、そうした催しを拒まず引受けてくれそうな雰囲気があるからかもしれない。大抵は「いいですよ」「何とかします」と答えることにしている。何度、海外研究者たちを交えてのイベントを骏河台キャンパスで开催したことだろう。世话は大変だが锻えてもらった。

二つの出来事が思い出される。来日不能になったスコットランドの教授と急遽、映像ライブを行うことになった。ユビキタス教育推进事务室の方々の助力を得て机材をセット、教授の声と颜がこちらに届いたときは感动した。もう一つは、プラハから来日していたエラスムス?ムゥンドスの黒人学生が日本思想について话をもっと闻きたいと骏河台にやってきたこと。

国际交流は一日にしてならず、である。