カントは『纯粋理性批判』の中で、我我の认识と対象のあり方について、これまでは认识が対象に従うと考えられてきたが、逆に対象が认识に従うと考えてみたらどうだろうか、と述べている。いわゆる「コペルニクス的転回」であるが、そう言われてみると、たしかに、我々が见ている対象は物それ自体ではなく、我々の认识(具体的には言叶)によって色づけられ、场合によっては歪められたものなのではないかと思われてくる。さらにその考えを进めると、我々が物と呼んでいるのは、実は言叶であるというふうにも思われてくる。しかしそこまで考えると、言叶とは何かということが、あらためて问题になる。言叶とは何かという问いは、哲学全体をその中に含む大変な问いであることに、我々はあらためて気づく。
着者は、この大変な问いに果敢に取り组み、その大変さに相応しい広い视野と行き届いた考察によって、プラトンからチョムスキーまでの言语思想の歴史を兴味深く描き出している。哲学史上の重要人物に次々と新しい角度から光が当てられてゆくのは、とても楽しく、スリリングである。
美濃部仁?国际日本学部教授
(着者は理工学部教授)
着者は、この大変な问いに果敢に取り组み、その大変さに相応しい広い视野と行き届いた考察によって、プラトンからチョムスキーまでの言语思想の歴史を兴味深く描き出している。哲学史上の重要人物に次々と新しい角度から光が当てられてゆくのは、とても楽しく、スリリングである。
美濃部仁?国际日本学部教授
(着者は理工学部教授)