东北再生支援に関わる2つの形ができあがってきました。岩手県大船渡市で展开している「つむぎプロジェクト」の一环としてゼミ生とともに试みアイデアから10カ月を経てようやく定着し始めた「学习支援」の継続的な活动と、全6巻のDVD「Japan one year after 3.11 ~AFP通信が世界に配信した东日本大震灾~」の発刊です。これらの异なる2つのルーツをたどればいずれもおよそ2年前の2010年にたどり着くことに気づきました。
2010年2月末、明治大学で情报コミュニケーション学会の第7回全国大会を开催した折に、当时设立したばかりの文化学园アカデミックアーカイブセンター所长から公司展示の申し込みがありました。このセンターではAFP通信と提携して、教育研究利用に限定した世界初のサービスとして着作権の二次利用が许诺ずみのニュースソースの提供を始めたばかりでした。AFP通信社は、世界165カ国に取材拠点をもつ世界最古の起源をもつ通信社で世界第3位の规模を夸っていて、约1000万点の写真と约8万点の动画を全世界に8ヵ国语で全世界のメディアに配信しており、日々3000~5000点がリアルタイムに追加されています。その潜在的なインパクトにもかかわらず、普及に苦労されている様子を见て、利用者としての大学教员の研究会の立ち上げを提案したのです。こうして2010年8月21日に新世代デジタル教育研究会がスタートした结果、多くの賛同者を得て2~3カ月ごとの継続的な研究会として定着しています。この継続的な活动を縁として、DVD制作へと进展してきたのです。
もうひとつの縁は2010年9月末のことでした。総务省の研究助成金に応募して実証実験プロジェクトを立ち上げようと计画していたNTTPCコミュニケーションズと知人の绍介によってお会いしたことです。结局このプロジェクトは採択されませんでしたが、その后も互いに何かしたいと考えて継続的に企画を考える机会を持ち続けていました。东日本大震灾が発生した2011年3月11日もそんな会合をしていた真っ最中でした。その后、4月5日につむぎプロジェクトのアイデアを携えて相谈に来られたのです。
ひとつのアイデアを得てからも试行错误を繰り返して10カ月、小さなきっかけからひとつのDVDという形になるまで経纬を経て约2年。つまり、ちょっとしたきっかけを大事にしてともかく行动を継続していれば1~2年で何らかの形になるという経験を得ました。縁をつむぐということの意味が分かった気がします。
(阪井和男?法学部教授)
2010年2月末、明治大学で情报コミュニケーション学会の第7回全国大会を开催した折に、当时设立したばかりの文化学园アカデミックアーカイブセンター所长から公司展示の申し込みがありました。このセンターではAFP通信と提携して、教育研究利用に限定した世界初のサービスとして着作権の二次利用が许诺ずみのニュースソースの提供を始めたばかりでした。AFP通信社は、世界165カ国に取材拠点をもつ世界最古の起源をもつ通信社で世界第3位の规模を夸っていて、约1000万点の写真と约8万点の动画を全世界に8ヵ国语で全世界のメディアに配信しており、日々3000~5000点がリアルタイムに追加されています。その潜在的なインパクトにもかかわらず、普及に苦労されている様子を见て、利用者としての大学教员の研究会の立ち上げを提案したのです。こうして2010年8月21日に新世代デジタル教育研究会がスタートした结果、多くの賛同者を得て2~3カ月ごとの継続的な研究会として定着しています。この継続的な活动を縁として、DVD制作へと进展してきたのです。
もうひとつの縁は2010年9月末のことでした。総务省の研究助成金に応募して実証実験プロジェクトを立ち上げようと计画していたNTTPCコミュニケーションズと知人の绍介によってお会いしたことです。结局このプロジェクトは採択されませんでしたが、その后も互いに何かしたいと考えて継続的に企画を考える机会を持ち続けていました。东日本大震灾が発生した2011年3月11日もそんな会合をしていた真っ最中でした。その后、4月5日につむぎプロジェクトのアイデアを携えて相谈に来られたのです。
ひとつのアイデアを得てからも试行错误を繰り返して10カ月、小さなきっかけからひとつのDVDという形になるまで経纬を経て约2年。つまり、ちょっとしたきっかけを大事にしてともかく行动を継続していれば1~2年で何らかの形になるという経験を得ました。縁をつむぐということの意味が分かった気がします。
(阪井和男?法学部教授)
『Japan one year after 3.11~AFP通信が世界に配信した东日本大震灾~』
阪井和男 监修(文化アカデミックアーカイブスセンター)
正直、この膨大でリアルな写真を直视し続けるのはつらかった。恐怖が思い出されるからである。当时、僕は必死に电话やメールでマスコミや市民の対応をしつつ海外の研究者达と连络し合い、テレビやインターネットで福岛第一原発事故を追っていた。海外の研究者から「まだ逃げないのか!?」と言われてはじめて、自分が余震と停电、そして放射能という危険な状况にいたことに気づいて怖くなったのだった。しかしこのDVDを2回、3回とみると、恐怖だけでなく怒りや悲しみも消え、冷静な気持ちになっていく。人々が一所悬命、少しでも改善しようと顽张っている光景があるからである。しかし一方で、谁もが呆然と、なすすべも无くたたずんでいる光景にも気づく。どうかこの贵重な资料を目にして、人间が行った、そして行え得なかったことを冷静に眺めて欲しい。二度と同じ过ちを犯さないためにも。
胜田忠広?法学部准教授
正直、この膨大でリアルな写真を直视し続けるのはつらかった。恐怖が思い出されるからである。当时、僕は必死に电话やメールでマスコミや市民の対応をしつつ海外の研究者达と连络し合い、テレビやインターネットで福岛第一原発事故を追っていた。海外の研究者から「まだ逃げないのか!?」と言われてはじめて、自分が余震と停电、そして放射能という危険な状况にいたことに気づいて怖くなったのだった。しかしこのDVDを2回、3回とみると、恐怖だけでなく怒りや悲しみも消え、冷静な気持ちになっていく。人々が一所悬命、少しでも改善しようと顽张っている光景があるからである。しかし一方で、谁もが呆然と、なすすべも无くたたずんでいる光景にも気づく。どうかこの贵重な资料を目にして、人间が行った、そして行え得なかったことを冷静に眺めて欲しい。二度と同じ过ちを犯さないためにも。
胜田忠広?法学部准教授