3月11日。地震が発生したとき、私はサークル合宿で长野から东京に戻るバスの车内にいました。高速道路を走っていたこともあり地震を感じませんでしたが、立ち寄ったサービスエリアで自分も行ったことのある场所が津波にのみこまれる様子を见て愕然としたのを覚えています。
地震か20日ほど経って、ようやく実家のある仙台に戻ることができました。テレビである程度、被灾地のことを理解していたつもりでしたが、実际に自分の目で被灾地の様子を确かめてみて、改めて被害の大きさにただただ惊かされました。私の実家も地震の被害をうけましたが、海沿いの津波の被害は本当に计り知れないほど大きなものでした。
震灾から1年半が経过し、东京では被灾地の様子はほとんど伝えられなくなっていることに寂しさを感じることもあります。復兴には长い时间がかかると予想されますが、私も復兴していく町の様子を自分の目で确かめていけたらと思います。
また、この震灾を通じて、普通に生活できること、大学に行けること、友达と会えること、当たり前のことを当たり前にできることが本当に幸せであることに気づかされました。目の前の1つ1つの机会を大切にして、これからの大学での活动に一生悬命取り组んでいきたいと思います。
最后に、今回の震灾にあたり、明治大学被灾学生支援义援金を通じてご寄付いただいた皆さまにこの场をお借りして感谢申し上げます。
本当にありがとうございました。
地震か20日ほど経って、ようやく実家のある仙台に戻ることができました。テレビである程度、被灾地のことを理解していたつもりでしたが、実际に自分の目で被灾地の様子を确かめてみて、改めて被害の大きさにただただ惊かされました。私の実家も地震の被害をうけましたが、海沿いの津波の被害は本当に计り知れないほど大きなものでした。
震灾から1年半が経过し、东京では被灾地の様子はほとんど伝えられなくなっていることに寂しさを感じることもあります。復兴には长い时间がかかると予想されますが、私も復兴していく町の様子を自分の目で确かめていけたらと思います。
また、この震灾を通じて、普通に生活できること、大学に行けること、友达と会えること、当たり前のことを当たり前にできることが本当に幸せであることに気づかされました。目の前の1つ1つの机会を大切にして、これからの大学での活动に一生悬命取り组んでいきたいと思います。
最后に、今回の震灾にあたり、明治大学被灾学生支援义援金を通じてご寄付いただいた皆さまにこの场をお借りして感谢申し上げます。
本当にありがとうございました。