読み终えて、本を闭じる。すると、私自身のことばが动き始める。読后の感动と、笔者の主题を自分のものにしたいという思いとが、思考を促すのだ。いわば、书物との対话が始まる。
訳者の田岛氏はクラーゲスとの対话を何度もくり返したはずだ。明晰な日本语訳は长年にわたる研究と対话の深さの成果だろう。
田岛氏は后书きでクラーゲスへの违和感を语る。「原形象」に没入する诗人を称扬し、时代精神を具现した贤者ゲーテを批判するクラーゲス。それに対し、氏は「原形象」と日常とを往还するゲーテ的知性が今こそ必要ではないのかと问う。世界资本主义をはじめとしたシステムに私たちが幽闭されている今日、现実をも直视するゲーテ的精神が必要だということだ。だが、システムを越える可能性を见出すには、むしろ、「原形象」の再発见が必要なのではないか、と私は考え始める。
きっと、田岛氏とクラーゲスとの対话は终わらないだろう。私は、訳出された二つのゲーテ论と「訳者あとがき」との対话を始めた。魅力的な本である。
铃木哲也法学部准教授(着者は法学部教授)
訳者の田岛氏はクラーゲスとの対话を何度もくり返したはずだ。明晰な日本语訳は长年にわたる研究と対话の深さの成果だろう。
田岛氏は后书きでクラーゲスへの违和感を语る。「原形象」に没入する诗人を称扬し、时代精神を具现した贤者ゲーテを批判するクラーゲス。それに対し、氏は「原形象」と日常とを往还するゲーテ的知性が今こそ必要ではないのかと问う。世界资本主义をはじめとしたシステムに私たちが幽闭されている今日、现実をも直视するゲーテ的精神が必要だということだ。だが、システムを越える可能性を见出すには、むしろ、「原形象」の再発见が必要なのではないか、と私は考え始める。
きっと、田岛氏とクラーゲスとの対话は终わらないだろう。私は、訳出された二つのゲーテ论と「訳者あとがき」との対话を始めた。魅力的な本である。
铃木哲也法学部准教授(着者は法学部教授)