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Go Forward

世界を目指す明大生 2014新春座谈会



グローバル化が一段と进展する时代において、世界を见据え、自らの使命?役割を认识し、他者との「连携?共生」をはかりながら、「个」として光り辉くことのできる人材が求められている。

「世界へ  『個』を強め、世界をつなぎ、未来へ 」を使命に掲げる明治大学で学ぶ留学生や留学経験者が、留学の意義や世界で活躍する未来について語り合った。



海外への憧れ

叁木 本日は、明治大学から海外に留学したり、海外から明治大学に留学したりしている学生にお集まりいただきました。まず、皆さんが留学しようと思ったきっかけや动机を伺えますか。

ダリア 私はロシアで高校生のころから日本语を学んでいました。大学で日本経済を学ぶようになり、その中でも特に日本の中小公司に兴味を持ち、日本で研究を进めたいと思い、留学を决めました。

 僕は下北沢という街に惚れて日本への留学を决めたんです。旅行で初めて访れた时、「先端都市?东京のど真ん中にこんな街があるのか」と惊きました。下北沢の街づくりについてさまざまな提言をしている先生が明治大学にいたことが明治を志望するようになった理由です。

叁木 黄くんは生田キャンパスに通っているんですよね。

 部屋を探す时に初めて生田に行って、最初は本当に后悔しました(笑)。緑ばかりで、こんな田舎なのか、と。

叁木 寂しさみたいなものを感じたのですか。

 そうです。でも、4年间生田キャンパスに通った今は、生田って日本らしくてすごくいい街だと思うようになりました。今は生田キャンパスがとても好きです。

鎌田 私は幼い顷からドイツに対する憧れがあり、大学では第2外国语でドイツ语を选択しました。もともと海外志向は强くなかったのですが、大学で留学生等いろんな人と接するうちに、私も海外に出て、自分の目で异文化を见てみたいと思うようになり、留学を决めました。

佐藤 僕の所属する国际日本学部は周りに帰国子女や留学生が多くて、こうした人たちに囲まれているうちに、漠然と海外に行きたいという気持ちが芽生えてきました。そして、勉強は日本にいてもできる、海外だからこそ特別に挑戦したいことって何だろうと考えた時、「働く」ことがキーワードになっているウォルト?ディズニー?ワールドのインターンシップ?プログラムに行き着きました。

叁木 海外で、しかもディズニー?ワールドで働くというのは、なかなかできない経験でしたね。外国で日本との违いを感じたことはありますか。

佐藤 米国では、道を歩いているだけでよく话しかけられました。スーパーに行って全然知らない人と立ち话で10分とか过ごしちゃうことがあるんです。最初はそういう米国らしさに惊きました。受け入れる気持ちの幅がとても広い。见习わなければいけないと思いました。

鎌田 ドイツは日本とよく似ていると闻いていましたが、私はあまり似ていないと感じました。确かに勤勉だったり时间を守ったりという似た点はありますが、それはヨーロッパの中で相対的に见ると勤勉ということであって、ドイツと日本を直接比べると、やはり日本とは违うと思いました。特に违いを感じたのはサービス面。日本人のサービスや人との接し方は、渡航前に思っていた以上に特别なのだということを実感しました。

留学で変化した未来像

叁木 皆さんは留学中どのようにして外国人の友人をつくりましたか。

 最初の日本人の友だちは农学部の学生でした。生田キャンパスで部屋探しをしていた時、その子がアルバイトをしていてすごく丁寧に対応してくれた。部屋が決まった後も、遊びにきたり、日本の生活で大変なことがあったら助けてくれたり。そのうち、段々と、自分を留学生として特別視するのではなく、日本人同士と変わらない付き合いをしてくれるようになって、「あぁ、友だちになれたんだな」と思いました。

佐藤 僕の场合は、まず仕事を覚えなければいけなかったので、友人関係を筑くとか、话し相手を探すとかいうことは、あまり困りませんでした。日本にいると、隣国韩国や中国といがみ合うような话をよく闻きますが、米国では、仕事の愚痴をこぼしたり、ねぎらったりする时、自然とアジア人同士でまとまっていました。彼らとは特に外国人と意识することなく、本当に自然に仲良くなっていました。

叁木 まさにグローバルな感覚だね。

鎌田 インターン生は世界中から集まっているのですか。

佐藤 そうです。ルームメイトは中南米のホンジュラスや、香港やオーストラリアの人たちでした。

叁木 やはり大学生ですか。

佐藤 大学生だけでなく、社会人になってからもう1度大学に入り直し、その大学のプログラムで来たという人もいて、一时は40歳の方とも一绪に住んでいました。

叁木 日本では今のところそういう例は少ないですよね。

鎌田 すごいですね。

叁木 留学を通して、自分の描いていた将来像が変わりましたか。

鎌田 私は変わりました。留学中に世界中の人と话すようになって、私も将来、世界とつながって自分の良さを生かせるような仕事をしたいと强く思うようになりました。こうした意识の変化は、明治大学で留学生と接したり、海外留学したりした中で见えてきたものです。

 僕は最初は卒业したら韩国に帰ろうと思っていましたが、今は日本での就职を决めました。留学で自分自身が成长したのをすごく感じて、大学院进学も検讨しましたが、学校生活だけでは日本を十分理解できない、社会経験も必要だと思い、就职することにしました。今后は日本以外の国にも行き、视野を広げ、成长していきたいと思っているので、韩国に帰るのは、たぶん10年か、15年ぐらい后になると思います。

叁木 ご両亲は「帰ってこい」と言いませんか。

ダリア 言います。私も最初はすぐ帰る予定でしたが、研究生として1年过ごして修士课程に入学して以降、帰りたいとは思っていません、全然(笑)。

叁木 日本がいいですか。

ダリア そうですね。亲切な人、明るい人が多く、住みやすいです。

叁木 そう言ってもらえると嬉しいですね。

言叶や文化の壁を乗り越えて

叁木 留学中に1番困ったことは何ですか。

ダリア 言叶と、表现の仕方です。例えば日本人はハッキリと「NO」と言わないですね。今はだいぶ感覚的に分かるようになりましたが、最初は本心ではどちらを意味しているのかが分からず、苦労しました。

鎌田 私は、ダリアさんの逆のパターンで苦労しました。海外では、现地の人は私が何を思っているか分かりにくいようでした。相手への気遣いとか谦逊とか、そういう日本人らしい心を海外でも大事にしたかったのですが、伝えるのはすごく难しい。日本でいるのと同じようにすると、何も通じないどころか、逆に相手が壁を感じて、距离をとってしまう。本当はそうじゃないのに、ということを伝えるのに苦労しました。

佐藤 僕も同じような経験があります。日本では初めて会った人に「今度、游びに行こうよ」と言っても、社交辞令なことが多くて、実际に行くというのはあまりないですよね。だから、向こうで、「来週の何日にどこどこへ游びに行こうよ」と诱われても、社交辞令だと思ってあいまいな返事をしていたんです。すると、「淳平って、私のこと嫌いなの」とか、「僕らのことよく思ってないの」と言われてしまって。日本では当たり前だけど、一歩外に出ると通用しないと気づいてからは変わりましたが、最初は悩みました。

叁木 文化や习惯の违いを理解するのは大変だけど、大事なことですね。留学前にやっておけばよかったなと思ったことはありますか。

鎌田 语学の勉强はもちろんですが、日本についてもっと勉强しておけばよかったです。海外に出ていくと、私が日本代表のようになることがあります。私がドイツに行ったのは、东日本大震灾の后だったので、特に被灾状况やその后の影响、现在の状况などを闻かれたのですが、きちんと答えられなかった。母国のことを自分の言叶で説明できるまで知り、さらに自分の意见を述べられるまで考えておく。常日顷、そういう意识を持ちながら物事を见ることが必要だと思いました。

叁木 まず日本のことを知らなければいけない。非常に共感します。

活跃のフィールドは世界へ

叁木 皆さんはどんな将来、梦を描いていますか。

佐藤 卒业后は国际会议や国际展示イベントなどを企画运営する会社で働く予定です。米国でのインターンシップでいろいろな国の人と接し、人と対话すること、新しいことを知ることの楽しさを知りました。いろんな人と付き合う机会を得られる会社なので、まずは1人でも多くの人と会って学び、いい国际会议を运営したい。また、幼少期からずっと音楽に触れてきたので、将来的には、海外の価値ある芸术や、まだ日本の人が见たことがないようなもの、逆に海外の人がまだ知らない日本のものを行き来させるような仕事もしてみたいと思っています。

 私は将来、もっとグローバルに活动していきたいです。自分自身のグローバル化の一歩として日本を选び、日本の公司に就职しますが、日本での経験や学んだことを大事にしながらも、また他の国で挑戦し、自分自身を成长させていきたいです。

鎌田 私はこの4月にメーカーに就职します。世界中に现地法人や支店を持つ会社で、海外で活跃する机会もあるので、私が留学で身につけた柔软性や适応力をうまく発挥しながら、日本の良さを世界中に発信していきたいと思っています。

ダリア 私はもうしばらく大学院で研究を続けますが、卒业后は贸易関係など日露経済関係に関する仕事をし、日露関係の発展に贡献したいと思っています。

前へ———新たな自分への挑戦

叁木 明治大学には、これから留学しようと考えている后辈がいます。何かアドバイスはありますか。

佐藤 「就职に有利」だという理由で留学する人がいますが、それは、渡航する国に失礼だし、もったいないです。せっかく留学するなら、行く国にしっかりと兴味を持っていくという気持ちを大事にしてほしいです。

ダリア 留学はすごくいい経験だと思います。もし留学するチャンスを得たのであれば、できるだけ多くの授业を取ったほうがいい。自分の専门だけではなくて、いろいろな科目を取って视野を広げた方がいいと思います。

 僕はせっかく留学に行くのなら、勉强だけではなくて、その国の友だちやいろいろな国の留学生と游ぶことも大事だと思います。游びの中で学べることがあり、自分自身の成长につながることがあると思います。

鎌田 留学に行きたいけど迷っている后辈がいたら、「迷うなら絶対行くべきだ」と声を掛けたいです。今はピンとこないかもしれないけど、一歩でも半歩でも前へ踏み出してみると、それまでは気付けなかった新しい自分が见えてきます。壁にぶつかったり、困难を乗り越えたり、国内ではできないいろんな経験や挑戦ができただけで、自分に自信を持つこともできます。私は3年生の3月に帰国し、就职活动のスタートが周りより遅れることになりましたが、明治はそういうところでもサポートがしっかりしている。明大生向けの就职説明会や、相谈の机会がたくさんあるので、こうした仕组みをちゃんと利用すればきっと结果は出せます。今の时期にしかできないこと、大学生の今気づいたからこそ未来につなげられるということがたくさんあると思うので、ぜひ一歩踏み出してほしいと思います。

叁木 明治大学もグローバルな人材を育成できる大学として発展できるよう努力していきます。本日はありがとうございました。

(写真左から)
国际日本学部4年 佐藤 淳平
2年次の2011年8月~2012年1月、国际日本学部が実施する米国のウォルト?ディズニー?ワールドでのインターンシップ留学プログラムに参加。フロリダ州立大学で講義を受けた後、フロリダのディズニー?ワールドで商品販売やレストランでの接客に携わった。

情报コミュニケーション学部4年 鎌田 百代
3年次の2012年4月~2013年3月、明治大学协定校であるドイツのフリードリヒ?シラー?イェーナ大学へ交换留学。ドイツでは、现地で知り合った日本人学生とともに、日本文化をPRするイベントを开催した。

明治大学広报 編集委員長 叁木 一郎
学务担当常勤理事。1973年明治大学工学部卒业。1981年同大学院博士课程修了。1978年明治大学工学部助手、1990年理工学部教授。理工学部长等歴任。

大学院経営学研究科 博士后期课程3年 アレクサテキナ?ダリア
ロシア?ウラジオストク出身。ロシアの大学で日本语?日本経済などを専攻。2011年明治大学大学院政治経済学研究科博士前期课程修了。同年4月より経営学研究科博士后期课程に在籍。日本の自动车产业のロシア进出について研究を进めている。

理工学部4年 黄 珉柱
韩国?ソウル出身。韩国の大学に1年通ったが、建筑や日本留学への思いが募り、2008年明治大学理工学部建筑学科に入学(2009~2011年兵役のため休学)。现在は「都市再生マネジメント研究室」で既存の建筑物を利用し建て替え?改修を行うリノベーションを学ぶ。