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校友会 発祥の地?记念碑祭 岸本辰雄先生の子孙も初参加し、盛大に挙行

全員で校歌斉唱とエール。フレー、フレー明治! (左から1人目が岸本先生ひ孫の幸雄氏、2人目が孫の孝雄氏夫人の澄子氏) 有楽町駅近くにある発祥の地?记念碑

校友会东京都南部支部は1月11日、明治大学発祥の地である东京都千代田区有楽町で「明治大学発祥の地?记念碑祭」を开催した。日髙宪叁理事长、福宫贤一学长をはじめ大学役员や校友ら约90人が出席。今年は、创立者の一人で明治法律学校(明治大学の前身)の初代校长だった岸本辰雄先生の子孙も初めて参加した。

式典に先立ち、本学大学史资料研究センター研究调査员の长沼秀明兼任讲师(文学部)が「明治大学発祥の地はなぜ、有楽町なのか」と题して讲演。江戸?明治期の古地図を示しながら、当时の街并みの特徴や时代背景を解説。また、古地図と现代の地図と重ね合わせるなどして、现代との违いや当时の様子を浮き彫りにした。

続く恳亲会では、冒头、日髙理事长があいさつに立ち、「大学は新しい时代の中で、グローバルリーダーを育てていかなければならない。世界各地の校友の力を借りながら、高等教育机関としての使命を果たしていきたい」と决意を语った。

続いてあいさつした福宫学长は、「3人の创立者が强い意志と热い情热を持って明治法律学校を开校したこの地に立つと、大変紧张する。建学の精神を受け継ぎながら、次の时代を切り拓く力强い大学をつくっていきたい」と誓いを新たにした。

乾杯の音头をとった向殿政男校友会长は「记念碑祭は、明大の魂を想う非常に大切な催し。ここで今一度、原点に返り、大学を盛り立てよう」と呼びかけ、乾杯した。

この日は岸本先生の孙?孝雄氏夫人の澄子氏と、ひ孙の幸雄氏の2人が初参加。澄子氏は「昨年の広报纸で记念碑祭のことを知り、ぜひ出席したいと思った。今日は参加できて大変幸せ。夫も喜んでいると思います」と嬉しそうに笑颜を见せた。

その后、和やかな雰囲気の中で歓谈が行われ、参加者による记念撮影后、全员でスクラムを组み、校歌を斉唱。明治大学のますますの発展を祈念し、闭会した。

明治大学発祥の地?记念碑

明治法律学校(后の明治大学)は岸本辰雄先生、宫城浩蔵先生、矢代操先生によって1881(明治14)年1月17日、麹町区の数寄屋桥の一角(现在の有楽町?数寄屋桥交差点近く)?岛原藩邸跡に创立された。発祥の地记念碑は、明治大学の建学の精神を顕彰し、教育の近代化の道标を明らかにしようと1995年11月2日、东京?有楽町(千代田区有楽町2丁目)に建立された。