副学長(総合政策担当) 伊藤 光
政治家および法律家としてのシモーヌ?ヴェイユ氏の社会贡献実绩、とりわけ人権の拥护と女性の地位向上、さらには世界平和のために果たされた多大な贡献は、时代は前后しますが、本学の建学の精神「権利自由?独立自治」を具现化したものとして重なります。
明治大学は、岸本辰雄先生、宫城浩蔵先生、矢代操先生の3人の若き法律家により1881年(明治14年)に「明治法律学校」として創立されました。
そのきっかけとなったのは、1873年(明治6年)に明治政府に招聘されたパリ大学のギュスターヴ?ボワソナード教授のフランスの法律と人権思想の授业を、创立者の3人が受けたことです。さらにその后、岸本先生と宫城先生の両名は、ヴェイユ氏も后の时代に学ぶ、パリ大学に留学を果たしています。
时代を超えてそのご縁が结ばれるのは、本学が创立130周年を迎えた2011年でした。「平和、人间の尊厳、そして普遍的正义」に対する明治大学の明确な意思とメッセージを世界に向かって発信するため、シモーヌ?ヴェイユ氏に本学の名誉博士の学位を赠呈したのです。
その际、明治大学の建学の精神に感铭してくださったヴェイユ氏から、指定寄付金が寄せられ、それをもって设立したのが「明治大学シモーヌ?ヴェイユ基金」です。この基金で展开するプログラムは、人権、男女平等、ジェンダー、フランス文化?社会の教育研究の奨励を目的としています。
この度、同基金によるプログラムが初めて行われました。以下にシモーヌ?ヴェイユ氏の足跡をあらためて绍介するとともに顕彰をいたします。
(理工学部教授)
シモーヌ?ヴェイユ氏略歴
1927年7月13日 | フランス南部のニースに生まれる |
1944年3月 | バカロレア(高校卒业资格试験)受験の翌日、ニース市内のカフェでゲシュタポに検挙される |
1945年4月15日 | ベルゲン=ベルセン収容所が连合军によって解放される |
1945年 | 秋に奨学金を得て、パリ大学法学部とパリ政治学院に同时入学 |
1949年 | パリ大学法学部学士号取得、パリ政治学院修了 |
1954-1956年 | パリ検事局で2年间の研修を経て、司法官试験に合格 |
1957-1964年 | 法务省刑务所管理局勤务 |
1964-1969年 | 民事局勤务 |
1969-1970年 | 法务大臣官房室技术参与 |
1970-1974年 | 司法官职高等评议会事务総长(ポンピドゥー大统领直辖諮问机関) |
1974-1976年 | 保健大臣(ジスカール=デルスタン大统领当选后のシラク内阁) |
1976-1979年 | 保健?社会保障担当大臣(ジスカール=デルスタン大统领、バール内阁) |
1979-1993年 | 欧州议会议员 |
1979-1982年 | 欧州议会议长 |
1982-1984年 | 欧州议会法律委员会委员长 |
1993-1995年 | 社会问题?保健?都市问题担当国务大臣(社会党のミッテラン大统领とRPRのバラデュール首相の保革共存政権) |
1997-1998年 | 同化政策高等审议会委员长 |
1998-2007年 | 宪法评议会评议员 |
2000-2007年 | ショア记念财団初代総裁(现名誉総裁) |
2003-2009年 | 国际司法裁判所の人道に反する犯罪の被害者补偿基金理事 |
2007年 | 自伝Une vie(Stock社)を出版 |
2010年 | アカデミー?フランセーズ会员に就任(2008年选出) |
2011年 | 明治大学名誉博士学位が授与される |
名誉博士学位
1975年のプリンストン大学を始め、各国の名誉博士学位を多数授与される。日本では明治大学が初めて。
受赏歴
- オナシス财団赏(1980)
- シャルルマーニュ赏(1981)
- エレオノール&フランクリン?ルーズベルト赏(1984)
- トルーマン平和赏(エルサレム1991)
- ブナイ?ブリット赏金メダル(ワシントン、1993)
- ストレーゼマン协会赏金メダル(マイセン、1993)
- WHOみんなの健康赏金メダル(1997)
- プリンス?オフ?アストウリアス赏およびロラン?ペリエ大世纪赏(2005)
- スコプス赏(パリ、2007)
- シャルル5世赏(スペイン、2008)
- 独仏新闻记者赏(パリ、2009)
- ハインリッヒ?ハイネ赏(デュッセルドルフ、2010)
- シンティ?ローマ欧州民権赏(ベルリン、2010)