学生に力强いメッセージを発する菅原市长
第3回写真展「私たちは忘れない—今、明大生にできること」の様子
震灾復兴支援センターは5月29日、宮城県気仙沼市の菅原茂市長を招き、東日本大震災復興支援連続講演会「海と生きる気仙沼~復興の現状と大学?学生に期待すること」を和泉図书馆ホールで開催。学生ら約90人が熱心に聴講した。
この讲演会は、震灾の「风化」を课题と位置づけ、明大が震灾復兴に関する协定を缔结している岩手県大船渡市、宫城県気仙沼市、福岛県新地町の復兴状况や、学生の支援活动の様子を伝える第3回写真展「私たちは忘れない—今、明大生にできること」の连动企画として実施されたもの。
菅原市长は気仙沼市出身で、东京の大学を卒业后、会社勤务を経て2010年に市长に初当选。「それまでガバナンス経験はなく、民间人として市长になり、その10カ月后に震灾に遭った」と当时を振り返り、津波による被害や地盘沉下などの被灾状况を説明した。
また、自治体やNGO?NPOが运営するボランティア団体、そして学生など少なくとも5万人以上のボランティアの协力によって、復兴への一歩を踏み出すことができたことに「本当に感谢の念が尽きない」とし、これから目指すべき復兴の在り方については「海の恵みとともに繁栄した気仙沼の歴史を大事にし、その地域が抱えていた课题を解决するための復兴でなければならない」と住宅の再建はもちろん、水产の再生にも取り组む决意を表明した。
続けて今后の课题として、2040年に现在の约58%の人口减が见込まれている気仙沼市の现状を取り上げ、「気仙沼を出て知识と技术?技能を学んできた若者が、戻ってこられる环境づくりに力を入れている」とし、新たな产业を生み出すため、外部讲师を招いた経営者层の勉强会や灾害公営住宅の戦略的活用、交流人口?长期滞在者拡大のための施策など、Uターンを促进するための取り组みを绍介。
さらに、被灾地が抱える课题は、今后日本が直面する课题の缩図であるとし、「若い皆さんには、ぜひ気仙沼の状况を自分の目で见てほしい。日本の课题解决のヒントがきっとある」と力强いメッセージを送り、学生の活跃に期待を込めた。
讲演终了后には、「国の対応が遅いと感じることはないか」など多数の质问が飞び交い、予定时间を大きく超えて意见交换がなされた。菅原市长は、さまざまな要因が重なり合っている復兴状况を丁寧に説明した上で、「地元のために、我々も毎日戦っています」と、将来を见据えて悬命に取り组んでいる様子を伝えた。讲演を闻いた学生は「使命感、责任感が伝わる中にも、市长がとても朗らかにお话しされていたのが印象的だった」と充実した様子だった。
この讲演会は、震灾の「风化」を课题と位置づけ、明大が震灾復兴に関する协定を缔结している岩手県大船渡市、宫城県気仙沼市、福岛県新地町の復兴状况や、学生の支援活动の様子を伝える第3回写真展「私たちは忘れない—今、明大生にできること」の连动企画として実施されたもの。
菅原市长は気仙沼市出身で、东京の大学を卒业后、会社勤务を経て2010年に市长に初当选。「それまでガバナンス経験はなく、民间人として市长になり、その10カ月后に震灾に遭った」と当时を振り返り、津波による被害や地盘沉下などの被灾状况を説明した。
また、自治体やNGO?NPOが运営するボランティア団体、そして学生など少なくとも5万人以上のボランティアの协力によって、復兴への一歩を踏み出すことができたことに「本当に感谢の念が尽きない」とし、これから目指すべき復兴の在り方については「海の恵みとともに繁栄した気仙沼の歴史を大事にし、その地域が抱えていた课题を解决するための復兴でなければならない」と住宅の再建はもちろん、水产の再生にも取り组む决意を表明した。
続けて今后の课题として、2040年に现在の约58%の人口减が见込まれている気仙沼市の现状を取り上げ、「気仙沼を出て知识と技术?技能を学んできた若者が、戻ってこられる环境づくりに力を入れている」とし、新たな产业を生み出すため、外部讲师を招いた経営者层の勉强会や灾害公営住宅の戦略的活用、交流人口?长期滞在者拡大のための施策など、Uターンを促进するための取り组みを绍介。
さらに、被灾地が抱える课题は、今后日本が直面する课题の缩図であるとし、「若い皆さんには、ぜひ気仙沼の状况を自分の目で见てほしい。日本の课题解决のヒントがきっとある」と力强いメッセージを送り、学生の活跃に期待を込めた。
讲演终了后には、「国の対応が遅いと感じることはないか」など多数の质问が飞び交い、予定时间を大きく超えて意见交换がなされた。菅原市长は、さまざまな要因が重なり合っている復兴状况を丁寧に説明した上で、「地元のために、我々も毎日戦っています」と、将来を见据えて悬命に取り组んでいる様子を伝えた。讲演を闻いた学生は「使命感、责任感が伝わる中にも、市长がとても朗らかにお话しされていたのが印象的だった」と充実した様子だった。