~福岛県沿岸の町「新地町」の取り组みと首都圏のわたしたちができること~
「东北お遍路プロジェクト」理事の村上氏
明大生による活动报告も
震灾復兴支援センターは东京YWCAとの共催で6月14日、东日本大震灾の风化を防ぐフォーラム「福岛県沿岸の町『新地町』の取り组みと首都圏のわたしたちができること」を骏河台キャンパス?リバティホールで开催。地元関係者の讲演や、明大生らの活动报告などが行われた。
新地町は、福岛県最北部の太平洋岸に位置し宫城県と隣接。东日本大震灾では沿岸部のみならず、JR常磐线新地駅周辺の市街地まで津波の被害を受けた。明治大学は2012年1月、復兴支援に関する协定を新地町との间に缔结している。
この日のフォーラムには、学生ら約200人が来場。開会に先立ち、情报コミュニケーション学部?川島ゼミナール制作のドキュメンタリー映像「学生がとらえた新地町」が会場に流された。
开会のあいさつに続き、「东北お遍路プロジェクト」理事の村上美保子氏が「震灾を思い出すスイッチを入れる」をテーマに讲演。新地町の旅馆「朝日馆」の女将である村上氏は、震灾当日の生々しい被灾の様子や仮设住宅での生活ぶりについて述べた后、东北を巡礼する人々を国内外から呼び込み、被灾地の活性化を図る「东北お遍路(こころのみち)プロジェクト」を绍介。「観光でも物见游山でも何でもいい。多くの人に东北に来てもらい、お金を落としてもらうことが、復兴への一番の近道だ」と热っぽく语った。
続いて、新地町でボランティアなどに従事した明大生らが活动报告。ドキュメンタリー映像の制作に携わった室井拓也さん(情コミ4)と浦壁周平さん(情コミ3)は、“报道格差”によって被灾地の中では知名度が低い新地町の现状を知ってもらおうと、ドキュメンタリーの制作に至った経纬を説明。その上で、「被灾地ではまだまだ震灾と向き合っている人たちがいる。それをこれからも伝えていきたい」と今后の意気込みを语った。
休憩をはさんで、新地町の前復兴推进课长?鴇田芳文氏が「新地町はいま」と题して讲演。鴇田氏は、従来の集落がまとまった形で集団移転を図る復兴事业や、生活再建に向けて何度も恳谈会やアンケートを実施して被灾者と合意形成を进めてきたことなど、现时点での成果や今后の课题について説明した。
その后のディスカッションに続き、最后に会场全员で「やっぱり新地がいいね」と復兴に向けて発声、気持ちを一つにした。
新地町は、福岛県最北部の太平洋岸に位置し宫城県と隣接。东日本大震灾では沿岸部のみならず、JR常磐线新地駅周辺の市街地まで津波の被害を受けた。明治大学は2012年1月、復兴支援に関する协定を新地町との间に缔结している。
この日のフォーラムには、学生ら約200人が来場。開会に先立ち、情报コミュニケーション学部?川島ゼミナール制作のドキュメンタリー映像「学生がとらえた新地町」が会場に流された。
开会のあいさつに続き、「东北お遍路プロジェクト」理事の村上美保子氏が「震灾を思い出すスイッチを入れる」をテーマに讲演。新地町の旅馆「朝日馆」の女将である村上氏は、震灾当日の生々しい被灾の様子や仮设住宅での生活ぶりについて述べた后、东北を巡礼する人々を国内外から呼び込み、被灾地の活性化を図る「东北お遍路(こころのみち)プロジェクト」を绍介。「観光でも物见游山でも何でもいい。多くの人に东北に来てもらい、お金を落としてもらうことが、復兴への一番の近道だ」と热っぽく语った。
続いて、新地町でボランティアなどに従事した明大生らが活动报告。ドキュメンタリー映像の制作に携わった室井拓也さん(情コミ4)と浦壁周平さん(情コミ3)は、“报道格差”によって被灾地の中では知名度が低い新地町の现状を知ってもらおうと、ドキュメンタリーの制作に至った経纬を説明。その上で、「被灾地ではまだまだ震灾と向き合っている人たちがいる。それをこれからも伝えていきたい」と今后の意気込みを语った。
休憩をはさんで、新地町の前復兴推进课长?鴇田芳文氏が「新地町はいま」と题して讲演。鴇田氏は、従来の集落がまとまった形で集団移転を図る復兴事业や、生活再建に向けて何度も恳谈会やアンケートを実施して被灾者と合意形成を进めてきたことなど、现时点での成果や今后の课题について説明した。
その后のディスカッションに続き、最后に会场全员で「やっぱり新地がいいね」と復兴に向けて発声、気持ちを一つにした。