国际化时代の大学にとって「学生」とは何か
国际日本学部長 横田 雅弘
大学の国际化が促した教育の商品化と市场化を见ると、高等教育に独特な経営戦略が必要であることを実感させられる。しかも、教育に関わるステークホルダーは多様で、なかでも学生は3つの颜を持つ兴味深い存在である。
第一に、大学は教育という「商品」の生产者?贩売者であり、学生はその顾客である。教育をひとつの「商品」とする捉え方は、1979年に英国のサッチャー首相が始めたフルコスト政策(必要経费の全额を留学生が払う)に明瞭に见られる。英国の大学教育は高い授业料にもかかわらず入学を希望してもらえるだけの商品価値を持たねばならないとして、质やサービスを向上させ、世界で200カ所近い拠点を配するブリティッシュカウンシルを中心に広报とマーケティング活动を展开している。その后、豪州などの英连邦诸国も、途上国の学生に教育机会を与えるといった援助の理念から、経済的なメリットを狙う戦略へと大きく転换した。圧倒的な留学生受入れ国である米国の授业料も、経済発展着しい中国やインドなどの急速な留学ニーズの高まりを背景に高腾し、日本円にして年间300~400万近い额に达している。生活费も含めれば、学部卒业までに2000万円近くかかるという恐ろしい额である。その一方で、欧州ではドイツやオランダをはじめ授业料が无料または极めて安い国も珍しくない。同じ先进国の大学が提供する无料の「商品」と400万円の「商品」が竞争するような市场は他に类を见ないであろう。
ところが、别の见方をすれば、大学は学生を育成する机関である。学生こそ大学が生产した「商品」であり、社会や公司がこの育成された人材を受け入れる顾客とも考えられる。これが学生の第二の颜である。シンガポールでは、政府が多额の奨学金を提供して世界中から优秀な留学生(金の卵)を呼び寄せ、大学がこれを育てて公司に送り出し、彼らが有益な生产活动を行うことで支払った奨学金よりも大きなメリットを国が享受する図式を想定している。育成された学生の质がどれだけよいかが问われるのである。
学生の持つ第叁の颜は、大学の构成员という颜である。日本の大学は、尝ての学生运动の「苦い」経験からか、あるいは単に4年间しか在籍しない者と见ているからか、学生を大学の构成员とは考えていない节がある。しかし笔者は、学生はれっきとした大学の构成员であると考える。学生は大学の一员として、大学を代表して大会やその他の行事に参加する。大学院生ともなれば、大学の研究に参加し、実験室を动かしていく。近年のピア?ラーニングという考え方では、学生もまた教育に参加する一员なのである。
このように、学生は従来の一般的な市场の构成要素という概念では掴みきれない多面的な役割を担っている。従来の経営理论?手法とは异なる新たな手法が必要であろう。大学は、国际化を目指す际にも、この学生の3つの颜をしっかりと认识して経営を进める必要がある。日本の大学が国际化の动きの中で学生をあらためて捉え直し、彼らと共に、彼らが何を望み、それにどう応えるかを真挚に検讨し、教育に生かすべきではなかろうか。
(国际日本学部教授)