明大の歴史とともに歩んだ半世纪
安さとボリュームで人気だった「やきにくライス」
明大関係者に爱され続けた「アミ」
明大生や関係者に长年爱されてきたパブレストラン「アミ」(千代田区神田小川町)が10月10日、约半世纪の歴史に幕を闭じた。看板の「やきにくライス」など、安くてボリュームのあるメニューで客の心と胃袋を満たしてきた名店。闭店决定后は、常连の学生や教职员のみならず、青春の碑との别れを惜しむ多くの校友らも押しかけた。
「アミ」は昭和34年4月、プロシャンソン歌手の寄立薫さん(88歳)が、纯喫茶としてオープン。「お客さんにも、一绪にシャンソンを楽しんでほしい」との思いから、フランス语で「友达」を表す言叶を店名に付した。木造2阶建てだった当时、1阶には白いグランドピアノが置かれ、寄立さんが実际にステージでシャンソンを歌っていたという。
东京オリンピック(昭和39年)前后の时期から、店内でウイスキーなどのお酒も提供するようになり、平成元年には现在のビルに店舗を建て替えた。昼夜を问わず、店は明大生や関係者らの御用达としてにぎわいを见せていたが、オーナーの寄立さんが体调を崩し入院したことや、给排水设备などの老朽化、さらには人手不足に物価高腾などが重なり、闭店という苦渋の决断に至った。
学生时代のアルバイトに始まり、寄立さんと二人叁脚でずっと店を切り盛りしてきた社长代理の男性(78歳)は「オーナーにも相谈し、『残念だが潮时だ』ということになった」と话し、「闭店を知り、全国から久々に再会するお客さんが大势访ねてきてくれた。长年にわたり通ってくれたお客さんたちが、オーナーとともに雰囲気をつくってくれた店だった」と、しみじみ振り返った。
「アミ」は昭和34年4月、プロシャンソン歌手の寄立薫さん(88歳)が、纯喫茶としてオープン。「お客さんにも、一绪にシャンソンを楽しんでほしい」との思いから、フランス语で「友达」を表す言叶を店名に付した。木造2阶建てだった当时、1阶には白いグランドピアノが置かれ、寄立さんが実际にステージでシャンソンを歌っていたという。
东京オリンピック(昭和39年)前后の时期から、店内でウイスキーなどのお酒も提供するようになり、平成元年には现在のビルに店舗を建て替えた。昼夜を问わず、店は明大生や関係者らの御用达としてにぎわいを见せていたが、オーナーの寄立さんが体调を崩し入院したことや、给排水设备などの老朽化、さらには人手不足に物価高腾などが重なり、闭店という苦渋の决断に至った。
学生时代のアルバイトに始まり、寄立さんと二人叁脚でずっと店を切り盛りしてきた社长代理の男性(78歳)は「オーナーにも相谈し、『残念だが潮时だ』ということになった」と话し、「闭店を知り、全国から久々に再会するお客さんが大势访ねてきてくれた。长年にわたり通ってくれたお客さんたちが、オーナーとともに雰囲気をつくってくれた店だった」と、しみじみ振り返った。
「アミ」に50年通い続けた古屋野素材教授(情报コミュニケーション学部)
予备校生だった19歳の秋に友人に教えてもらってから、丸50年も通い続けた。明大の教员になってからは、昼食、夕食、夜学の授业后の饮み会と、1日で3回通ったことも。ゼミや学会の会合で3Fの个室を利用することも多く、アミはまさに応接间。僕の体のかなりの部分はアミの酒と食事でできているようなもの。ここに代わる店はない。これからどうするか、途方にくれている。