植村の良き相谈相手?理解者だった汤川氏
「なぜ、极地なのか」を问うたパネルディスカッション
明治大学が世界に夸る冒険家?植村直己(1964年农卒)の精神や功绩を后世に伝える「2015日本冒険フォーラム」が11月22日、兵库県豊冈市との共催により骏河台キャンパス?アカデミーホールで开催された。植村の故郷である豊冈市が4年に一度开催するもので、2011年に続き2回目。今回は「植村直己が追い続けた世界—なぜ、极地なのか」をテーマに、基调讲演やパネルディスカッションなどが行われ、会场は植村ファンや各地から集まった冒険者ら约1000人で埋まった。
基调讲演では、「今あらためて植村直己を语る」と题して、文艺春秋の编集者として长年、植村の良き相谈相手であり理解者だった文芸评论家?エッセイストの汤川豊氏が登坛。南极への冒険计画について初めて相谈を受けた时のエピソードとして「乗ったこともない犬ゾリで3000キロを単独行するという途方もない梦だったが、呆れながらも妙に心动かされてしまった」と语り、「极地における生き方をエスキモーに学ぶなど、坚実な计画と刚毅な梦が同居しているのが植村直己だった」と振り返った。
基调讲演では、「今あらためて植村直己を语る」と题して、文艺春秋の编集者として长年、植村の良き相谈相手であり理解者だった文芸评论家?エッセイストの汤川豊氏が登坛。南极への冒険计画について初めて相谈を受けた时のエピソードとして「乗ったこともない犬ゾリで3000キロを単独行するという途方もない梦だったが、呆れながらも妙に心动かされてしまった」と语り、「极地における生き方をエスキモーに学ぶなど、坚実な计画と刚毅な梦が同居しているのが植村直己だった」と振り返った。
さらに、植村の冒険の特徴として「単独行」と「先住民から学ぶ」ことを挙げ、「独りで行动することは人间の原点であり、先住民に少しでも近づこうとする姿势は“自然と共に生きる”ということ」と解説。「今日の全人类の课题となっている“共生”を40年以上も前から実践していた点で、时代の先駆者だった」と改めて称賛した。
パネルディスカッションには、最前线で活跃する冒険家やジャーナリストがパネリストとして登坛。ゲストに、女优でNPO法人日本トレッキング协会理事の市毛良枝氏を迎え、コーディネーターの江本嘉伸氏(地平线会议代表世话人)のもと、「北极?南极こんなに违う」をテーマに议论を深めた。
世界で初めて両极単独徒歩横断に成功した大场満郎氏は、极地に向かう际に植村からアドバイスも受けるなどパネリストの中で唯一、植村と亲交があり、「旅の行く先々で、植村さんの名前を出すと现地の人が亲切にしてくれた」と、“世界のウエムラ”と呼ばれる所以を语った。
他にも、日本南极地域観测队(越冬队)に2度参加した岩野祥子氏、日本人初の単独无补给での北极点徒歩到达に挑戦中の荻田泰永氏、両极やヒマラヤなどの取材歴がある环境ジャーナリスト?武田刚氏がそれぞれ、极地の自然环境、生活実态など未知の世界を绍介。市毛氏も“なぜ极地なのか”の问いに、「豊かな自然は一人の人间として生きることの意味を考えさせてくれる。人间が原点に戻る场所なのではないか」と分析した。
最后に、中贝宗治豊冈市长が「冒険に心惹かれるのは、命が限られていることと繋がっている。その命を大切にし、4年に一度は皆さんと考えたい」と次回开催を约束した。
パネルディスカッションには、最前线で活跃する冒険家やジャーナリストがパネリストとして登坛。ゲストに、女优でNPO法人日本トレッキング协会理事の市毛良枝氏を迎え、コーディネーターの江本嘉伸氏(地平线会议代表世话人)のもと、「北极?南极こんなに违う」をテーマに议论を深めた。
世界で初めて両极単独徒歩横断に成功した大场満郎氏は、极地に向かう际に植村からアドバイスも受けるなどパネリストの中で唯一、植村と亲交があり、「旅の行く先々で、植村さんの名前を出すと现地の人が亲切にしてくれた」と、“世界のウエムラ”と呼ばれる所以を语った。
他にも、日本南极地域観测队(越冬队)に2度参加した岩野祥子氏、日本人初の単独无补给での北极点徒歩到达に挑戦中の荻田泰永氏、両极やヒマラヤなどの取材歴がある环境ジャーナリスト?武田刚氏がそれぞれ、极地の自然环境、生活実态など未知の世界を绍介。市毛氏も“なぜ极地なのか”の问いに、「豊かな自然は一人の人间として生きることの意味を考えさせてくれる。人间が原点に戻る场所なのではないか」と分析した。
最后に、中贝宗治豊冈市长が「冒険に心惹かれるのは、命が限られていることと繋がっている。その命を大切にし、4年に一度は皆さんと考えたい」と次回开催を约束した。