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故?松本瀧蔵氏(硬式野球部OB)が野球殿堂入り

——英语力を生かし、戦后の野球復兴などに贡献

松本氏の长男?満郎氏(右から2番目) 松本瀧蔵氏(野球殿堂博物馆提供)

平成28年の野球殿堂入り记者発表が1月18日、公益财団法人野球殿堂博物馆(东京都文京区)で行われ、戦后の野球復兴に贡献した体育会硬式野球部OBの故?松本瀧蔵氏(1901~58)が选出された。明治大学関係者の殿堂入りは21人目。松本氏を含め今回选出された5人を加えて、殿堂入りはこれで192人となった。

松本氏は1929年、硬式野球部の世界一周远征にマネージャーとして参加。卒业后は本学で助教授や教授として教坛に立ち、1946年には本学理事に就任した。また戦后初の众议院议员选挙に立候补し、以后5回にわたり当选。外务政务次官や官房副长官を歴任した。1947~58年には日本体育协会理事、1955~58年には社会人野球协会副会长を务めている。

幼少期に家族でアメリカに渡った松本氏は戦后、その英语力を生かして、选抜高校野球大会の復活や球场の接収解除など野球復兴のため、GHQ(连合国军最高司令官総司令部)などとの多くの交渉に携わった。さらに陆上や水泳、アメリカンフットボールなどの振兴にも尽力し、アメフトにおいても殿堂入りを果たしている。野球とアメフトの“ダブル殿堂入り”は史上初。

多くの报道関係者らが集まった记者発表では、本学校友の熊﨑胜彦同博物馆理事长(日本プロ野球组织コミッショナー、1965年法卒)が、同じく校友で松本氏の长男?満郎氏(1956年法卒)に殿堂入り通知书を授与。満郎氏は「父は野球とは切っても切れない人生を送った。殿堂入りは大変喜ばしい」とあいさつし、来宾の内藤雅之全日本野球协会専务理事は祝辞で「(松本氏は)日本の野球界における国际交流の先駆者だった」などと松本氏をたたえた。

松本氏以外に今回野球殿堂入りを果たしたのは、斎藤雅树氏(読売巨人军二军监督)、工藤公康氏(福冈ソフトバンクホークス监督)など4人。

野球殿堂

日本の野球の発展に大きく贡献した人の功绩を永久にたたえ、顕彰するため1959年に创设。竞技者表彰と特别表彰がある(松本氏は特别表彰)。殿堂入りすると、表彰レリーフ(ブロンズ製胸像额)が野球殿堂博物馆内の殿堂ホールに饰られる。野球発祥の地である米国では、1939年に野球殿堂が创设されている。