一泉 知由(1975年 商学部卒)
私は、1975年に商学部を卒业し、东京海上火灾保険(当时)に入社、33年3ヶ月勤务后、2008年7月に依愿退职し、日本ゼネラルフードという给食事业の会社に転职しました。现在、1万人の従业员が、公司、病院、老人施设、学校などに毎日约35万食の食事を提供する会社の副社长をしています。
私を今の会社に强烈に诱ってくれた西脇司(にしわきつかさ)社长(明治大学校友会爱知県支部长)は、明治大学付属明治高等学校の同级生です。15歳から大学を卒业するまで、共に学び、游んだ仲间と、卒业して33年后に、同じ会社で働くことになるとは、とても不思议な縁を感じています。
実は、大学2年生の秋のゼミの入室面接で、私の父亲(一泉知永)が商学部の教授(専门は金融论)だったこと、また、一泉(いちいずみ)という珍しい名前が灾いして、希望した全ての先生から入室を断られ、やむを得ず一泉ゼミに入り、何と父亲が指导教授でした。
私は副ゼミ长で、ゼミ长は、本年5月に 明治大学の理事长になった柳谷孝(やなぎやたかし)さんで、彼は、野村证券の副社长?副会长を务め、2年半前から弊社の顾问を お愿いしています。
因みに、父亲は11年前に亡くなり、ゼミの第1期生は、今年80歳になりましたが、毎年1月の第2土曜日にOBが集まり、父亲の墓参り(明治大学和泉校舎をのぞむ筑地本愿寺和田堀庙所)の后、OBの身内が経営する居酒屋で恳亲会を実施しています。
私が明治大学を卒业し41年が経ち、64歳になる现在もモーレツに働くことができるのも、明治大学での学び、明治大学で知己を得た友人のお阴様であると、心から感谢しています。
この度、少しでも明治大学にご恩返しが出来ればと考え、『未来サポーター募金(奨学サポート资金)』に寄付させて顶きました。
明治大学の今后益々のご繁栄と、明治大学で学ぶ学生の皆さんのご活跃を心よりお祈りしております。
私を今の会社に强烈に诱ってくれた西脇司(にしわきつかさ)社长(明治大学校友会爱知県支部长)は、明治大学付属明治高等学校の同级生です。15歳から大学を卒业するまで、共に学び、游んだ仲间と、卒业して33年后に、同じ会社で働くことになるとは、とても不思议な縁を感じています。
実は、大学2年生の秋のゼミの入室面接で、私の父亲(一泉知永)が商学部の教授(専门は金融论)だったこと、また、一泉(いちいずみ)という珍しい名前が灾いして、希望した全ての先生から入室を断られ、やむを得ず一泉ゼミに入り、何と父亲が指导教授でした。
私は副ゼミ长で、ゼミ长は、本年5月に 明治大学の理事长になった柳谷孝(やなぎやたかし)さんで、彼は、野村证券の副社长?副会长を务め、2年半前から弊社の顾问を お愿いしています。
因みに、父亲は11年前に亡くなり、ゼミの第1期生は、今年80歳になりましたが、毎年1月の第2土曜日にOBが集まり、父亲の墓参り(明治大学和泉校舎をのぞむ筑地本愿寺和田堀庙所)の后、OBの身内が経営する居酒屋で恳亲会を実施しています。
私が明治大学を卒业し41年が経ち、64歳になる现在もモーレツに働くことができるのも、明治大学での学び、明治大学で知己を得た友人のお阴様であると、心から感谢しています。
この度、少しでも明治大学にご恩返しが出来ればと考え、『未来サポーター募金(奨学サポート资金)』に寄付させて顶きました。
明治大学の今后益々のご繁栄と、明治大学で学ぶ学生の皆さんのご活跃を心よりお祈りしております。