コンフォート?ゾーンからの离脱をめざして
副学長(国際交流担当) 大六野 耕作
ここ10年ほどの本学の「国际化」には目を见张るものがある。文部科学省実施の国际化推进事业の採択状况だけをみても、2010年度のいわゆる「グローバル30」を皮切りに、12年度の「グローバル人材」、「大学间连携」、「世界展开力」(础厂贰础狈)、13年度の「世界展开力」(贰鲍诸国)、そして14年度の「スーパーグローバル大学」など、文科省実施のほとんどの大学国际化事业に採択されてきている。また、本年度、新たに採択された「世界展开力」(颁惭尝痴诸国)は、国公私立大学52校の中から8校(私立は本学を含め2校のみ)が採択されるという激戦を胜ち残っての採択であった。これを见ても、本学における国际化が一定の评価を得ていることはまず间违いない。
これは、留学生?派遣学生数にも表れている。2015年度の明治大学への留学生数は正規?交換留学生等を含め1,700人余り。海外の大学への留学やインターンシップ参加者数は1,305人で、09年の373人から実に3.5倍に増加している。数の増加だけではない。たとえば、Times Higher Educationの世界ランキング10位に入るカリフォルニア大学バークレー校の夏期集中講義(Summer Sessions)には、毎年15人から30人(日本の大学の中では最多)が参加し、参加者の約80%はGPA(0から4のスケール)の平均で3.0を超えており、バークレーの責任者からも「他国の学生に比べても成績はよい」との評価も得ている。さらには、本学の学士号と海外の学士号あるいは修士号を同時に修得するダブルディグリーやデュアルディグリーに挑戦する学生も出てきている。本学の学生の潜在力は極めて高いというのが、現実なのである。
ただ、课题がないわけではない。たとえば、サマーセッションズに参加した学生は、帰国后、勉强に対する姿势が一変する。彼らが异口同音に口にするのは、「なぜ、明治はもっと组织的に学生を教育しないのですか。これでは、世界では戦えません」と。バークレーのように世界各国から优秀な学生が集まり、英语を共通の言语として竞い合う环境に置かれたわけだから、事実上、大学への入学がゴールになっている日本の大学の环境との落差にショックを受けるのも当然といえば当然である。问题は、明治大学の中で学生の潜在的能力を引き出すところまでには至っていないという点だ。しかも、この状态を放置したままでも、大学に伝统があり就职が强ければ、国内では一定の评価を得ることができる、あるいは、得ることができるという幻想を持っている点なのである。
こうした「心地よい环境(コンフォート?ゾーン)」に、これからもわれわれは安住していけるだろうか。学部长时代からアジアを含む世界各国の大学の现状を肌で感じ、海外の大学との连携を図ってきた身からすると、こうした幻想を持つことはほとんど不可能に近い。日本の学术や技术の水準が劣っているというわけではない。むしろ、日本は近代化の过程で西欧の进んだ知识や技术を短期间に吸収し、これをローカライズして、すべてを日本语で教授できた数少ない国の一つであり、その当时の、“グローバル化”に见事に対応した経験を持つ国である。
そうであればこそ、现在の「心地よい」コンフォート?ゾーンからいま一度抜け出して、现代の知的グローバル化状况に対応しうる教育の创造に挑戦すべきではないか。前例主义を捨て、新たなアイディアを、身をもって実践しようとする教职员を支援し评価する大学文化を作ることが、いま、本学には何よりも求められている。いまそこにある危机を认识しながら、「リスクを取ろうとしないのが、いまの最大のリスク」ではないだろうか。
(政治経済学部教授)