梦を语る—明治大学の「鬼太郎」ロードを作ろう
副学長(キャンパス整備担当) 吉田 悦志
商店街を贯く鬼太郎ロードに现在153体もの「ゲゲゲの鬼太郎」登场キャラのブロンズ像が并ぶ。鸟取県境港市の800メートルほどの寂れた商店街は、これによって一挙に活况を呈した。鬼太郎はもちろん、目玉おやじ、猫娘、ぬりかべ、ねずみ男もいる。
ロードの一角には立派な水木しげる记念馆も併设されている。ここで直接担当者に闻いたことだが、原作者の水木しげるが着作権にあまりこだわらず、自作を自由に使って欲しいという意向を伝えていたことが、この街おこしの取り组みを大いに后押しした、と。
そして、なによりも戦术が光った。スポンサーを全国から募る。1体が100万円。加えて、応じたスポンサーの名前をブロンズ像の台座に贴り付けるというものであった。新闻?テレビ?雑誌が飞びつき大きく取り上げて、一挙にその数を増やして、现在に至る。
向井理さん(本学出身)と松下奈绪さんが水木しげる夫妇を演じた「ゲゲゲの女房」も大変な人気を博して、この街のプロジェクトに追い风を送った。平成20年には観光客が1000万人を超えた。境港市の人口は3万6千人である。
この「鬼太郎」ロードを明治大学が作れないか。
夢を語る。135年の歴史を刻んで140年、150年に向かう明治大学の歴史と文化に連なり、明大の歴史に燦と輝くOG?OBや教職員のブロンズ像をスポンサーの銘板入りで作る。1体300万から500万くらいか。設置場所は、リバティタワーから錦華公園沿いを猿楽町まで通じる細い街路である。リバティタワー左側面のひだまり広場にある岸本辰雄?宮城浩蔵?矢代操の胸像をスタート地点とする。あの三人の創立者像は、長崎の平和祈念像を作った北村西望作である。そこから研究棟の裏側の小路の坂道を登る。14号館先を猿楽町校舎に至る。ほぼ1キロ位だろうか。明治大学の「歴史文化の散歩道」、名付けてMeiji-カルチェ?ラタン? 。夢を続ける。
散歩道の片方か両サイドに、明治大学の歴史に灿と辉く人物のブロンズ像を置く。3人に加えて、创立时の笔头教员?西园寺公望。明治大学校歌制定贡献者の山田耕筰?児玉花外は欲しい。财界からは、小田急电鉄创业者?利光鹤松、政界からは叁木武夫?飞鸟田一雄、法曹界からは尾佐竹猛?平出修?鵜沢総明?布施辰治、日本初の女性弁护士の中田正子?叁渊嘉子、教员からは夏目漱石?上田敏?山本有叁?小林秀雄、文学者からは子母泽寛?五味康祐?仓桥由美子、音楽界からは古贺政男?阿久悠、映画监督からは冈本喜八?五社英雄、俳优からは东野英治郎?高仓健、スポーツ界からは北岛忠治?岛冈吉郎?植村直己など、灿たる人物に事欠かない。
人物に限らない。明大由来の事物事象もあっていいように思う。明治法律学校设置趣旨や记念馆(1、2、3代)とリバティタワーの勇姿、明治大学校歌の谱面、现10学部に関わる事物事象も考えられる。材料は无限にある。
それらの明治大学人物事物事象のブロンズ像についているバーコードをスマートフォンで読み取れば、详しい解説が流れる、あるいは曲が流れる。歩く。
トドの詰まる所が、古民家や何かの施设を移设したものでもいい、ゴールの猿楽町敷地に「明治大学の歴史文化ミュージアム」を置く。スポンサーの名前は永远に遗る。
(国际日本学部教授)