韩国から本学に留学、法学部で助教をしていた金惠京(キム?ヘギョン)さんに、『涙と花札—韩流と日流のあいだで』という着作がある。
その中に「韩国では早庆より明治の方がメジャー」という趣旨の一节があるが、ソウルで3年暮らしたことがある私も知らなかった。
そういえば、1936年ベルリン五轮でマラソン金メダリストの孙基禎(ソン?ギジョン)さんは明治卒业。ある在日実业家から「孙さんは板桥の下宿から大学まで走って通っていた」と闻いたことがある。
韩国の人は、植民地时代のことを表だって话したがらないが、まだ実业界、言论界に明治卒业生がおられるようだ。
変わって中国。リバティタワーからちょっと下ったところに汉阳楼という中华料理店がある。创业は古く、日本に留学して明治に通っていた周恩来氏がよく颜を见せたという。
周氏が好んだ狮子头(肉団子のスープ)を、遅まきながら味わってみたが、日中国交回復で沸いた学生时代は近くにいながらつゆ知らなかった。
大学のグローバル化が叫ばれる昨今、过去の歴史を知ることは、とりわけアジアでは大事である。
その中に「韩国では早庆より明治の方がメジャー」という趣旨の一节があるが、ソウルで3年暮らしたことがある私も知らなかった。
そういえば、1936年ベルリン五轮でマラソン金メダリストの孙基禎(ソン?ギジョン)さんは明治卒业。ある在日実业家から「孙さんは板桥の下宿から大学まで走って通っていた」と闻いたことがある。
韩国の人は、植民地时代のことを表だって话したがらないが、まだ実业界、言论界に明治卒业生がおられるようだ。
変わって中国。リバティタワーからちょっと下ったところに汉阳楼という中华料理店がある。创业は古く、日本に留学して明治に通っていた周恩来氏がよく颜を见せたという。
周氏が好んだ狮子头(肉団子のスープ)を、遅まきながら味わってみたが、日中国交回復で沸いた学生时代は近くにいながらつゆ知らなかった。
大学のグローバル化が叫ばれる昨今、过去の歴史を知ることは、とりわけアジアでは大事である。