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论坛 浦安今昔ものがたり 監事(元浦安鉄鋼団地理事長) 関根 宏一

去る10月6日、明治大学全国校友大会が千叶県で开催され、その前夜祭が浦安市のホテルでにぎやかに行われた。

浦安市は、いまや东京ディズニーリゾートのある街として知られているが、50数年前は、人口1万5千人足らずの、海苔と贝を主业とする小さな渔师町であった。

その后、千叶県による埋め立てが行われ、当时の街の3倍にも及ぶ新しい土地が诞生した。この土地に东京ディズニーランドが开园し、あまり知られていないが「浦安鉄钢団地」の组合が隣接地域を购入した。今でもこの2つが浦安市の财政の2本柱となっている。

実は私も、亲父の会社を受け継ぎ、この鉄钢団地の中に本社と工场を构えている。鉄钢団地が计画されたのは1963年(昭和38年)である。败戦の伤跡がようやく癒え、翌年には东京オリンピックを控え、日本経済は高度経済成长の道のりを确実に歩み始めていた顷である。主役が鉄钢であった。

3阶建て程度のビルさえ珍しかった都内に5阶以上のビルが建设され、车が飞ぶように売れだした。家庭では冷蔵库、洗濯机を使い始めた。いずれも“鉄製品”である。製鉄メーカーは生产规模を拡大し、かつ製品が大型化した。高层ビル用のH形钢とか自动车、家电用の鉄板がコイル状で生产されるようになった。これらの鉄製品は、私どものような钢材贩売业者が、工场でユーザーの要望に応じた形に切断して贩売していく。鱼市场でマグロを一本仕入れて小分けして売っていくのと同じである。

そうした工场のために膨大な土地が必要であった。それまでの钢材贩売业者は都内の水运の良い八丁堀、神田、本所周辺に固まっていたが、各社の面积はせいぜい30坪から50坪程度。これでは製品の大型化を进めるメーカーの受け皿にはならない。そこで、ちょうど私の亲父と同年代の人たちが、都内の同业200社に呼び掛け、浦安の埋め立て地に「鉄钢団地」という新天地を造成するために立ち上がったのである。ここでは500坪から3000坪の土地を各社が取得した。この顷、私は明治大学を卒业して、修行のために同业メーカーに入社したばかりの青二才だったが、鉄钢団地づくりに奔走する先辈方の苦労を、亲父を通して见闻きしている。

いま、鉄钢団地の面积は约110万㎡。东京ディズニーランドと东京ディズニーシーを合わせた面积とほぼ同じである。ここに约200の工场、仓库が林立し、5000人の人たちが働いている。现在、日本一の鉄钢流通基地として评価されている。

浦安はディズニーリゾートという「梦の国」だけでなく、汗と地道な努力で日本経済を支えているエリアがあることを知っていただきたく本稿を记してみた。