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「グローバルの中のASEAN」

理事 岩田 守弘

「グローバル」ということがいわれ出して久しい。2019年には和泉に国际混住寮「明治大学グローバル?ヴィレッジ」がオープンした。大学の将来を展望した时、グローバル化が大きな柱の一つであることは论をまたない。そうした时代の変化に即応し、2013年タイ?バンコクに地域の拠点として「明治大学アセアンセンター」を开设している。他大学でも海外拠点は少なくないが、地理的、経済的、歴史的つながりから、ASEANを重视する姿势は正鵠を射たものといえよう。同时に、忘れてはならないことが一つだけある。曰く「外国(人)との交流では、お互いの歴史や文化への理解が信頼関係构筑の要諦である」と。このことはASEANにこそ当てはまるのではなかろうか。

学生诸君にすれば一くくりに见えるかもしれない国々。现に対日感情は、ほとんどの国で90%以上の人が良いと答えているという调査结果がある。しかし、それぞれ言语、宗教をはじめ、わが国との関係など、现代史の観点から见ても、まさしくまちまちである。现地への留学はもちろん、今后一层増えるであろう留学生の受け入れに际し、そうした歴史や国情を十分に理解した上での対応が求められる。

まず、典型的な例としてフィリピンを见てみる。今でこそ大変亲密な関係にあるが、戦后30年あまりの间、“超”がつく反日国であった。ルソン岛をはじめ各地で、宗主国アメリカと日本の激烈な戦闘に巻き込まれ、民间人だけでも100万人以上といわれる犠牲者が出た。わが国のそれが80万人あまりであったのと比べ、その惨祸の大きさがわかる。では、どうしてそれが好転したのか。一つには、戦后の长きにわたる、主に経済面を中心とした赔偿やODAを通じた偿いが大きな要因であろう。一方、知る人こそ少ないが、50万人に达する日本军戦没者の遗骨収集に、それに倍する遗族が访れた际の姿に、现地の人々も同じ悲しみを共有することを知り、また、往年の日本人らしさに触れるうちに“憎悪の念”も徐々に氷解していったという见方もある。これに対しタイは、戦争中若干微妙な関係になったのと、戦后の急速な経済进出への反発が一时期あったくらいで、おおむね友好的な関係が続いている。

事程左様に、国ごとに异なる経纬があり、ファクターも多様である。そのことを踏まえた上で、本学がASEAN地域との架け桥の一端を担う存在となり、新しい时代に、新しい世代による、新しいより良い関係の构筑に贡献することを期待するものである。「いでや东亜の一角に」の校歌をいただく本学である。「ASEANといえば明治大学!」といわれる日が远くないことを固く信じている。