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「小鸟の歌」を聴きながら

文学部長 合田 正人

南仏の町モンペリエ近郊のセート岬。その「海辺の墓地」を访れて帰国したのは2020年3月8日。直后に世界は一変した。それから2年と3ヶ月が経过し、今、私は久方ぶりにフランスにいる。ノルマンディー地方はスリジー=ラ=サルの古城で开催される国际シンポジウムに参加するためである。37年ぶりの再访。様々な场面が想起されるけれども、1週间寝食を共にして议论を交わすなか、世话役の一人が、1930年代ベンヤミンやアドルノたちナチス?ドイツからの亡命者たちを支援した时のことを热く语ってくれたのを鲜やかに覚えている。

そもそも、スリジー=ラ=サルのシンポジウム自体、排外的爱国主义への牵制と、何よりも独仏の友好を目的として、ポール?デジャルダンによって组织された「真理のための连合」、そしてフランス中部の村ポンティニーの旧修道院での「十日会」をその前身としていた。しかもデジャルダンは、17世纪、教会と国家の癒着に抵抗してパリの外に追放されたポール?ロワイヤル修道院のことを念头に置いていたのだ。

1910年から14年、22年から39年という十日会の间歇的な开催期间は、世界戦争を阻止できなかったデジャルダンの悔恨そのものであるかのようだ。その后、十日会は47年から51年までパリ北部のロワイヨモンで継続され、52年、遂にスリジー=ラ=サルでの活动が始まることになる。创设から100年余、800回を超えるシンポジウムを主催してきたが、今もポンティニーの名を维持し、デジャルダンの孙娘が运営を指挥している。

アドルノが属するフランクフルト社会学研究所も、一都市の名を冠されているとはいえ、构成员たちの亡命と移动ゆえに、「漂流する研究所」とも言うべきものだった。その研究所も创设から100年を迎える。それにしても、何が、この100年を贯いて持続されたのか。この惊くべき持続力は何なのか。ノルマンディーの早朝、小鸟たちの囀りを闻きながら、私はそう问わざるをえない。とはいえ、単に志の持続を称えたいのではない。

フランクフルト学派の営為は时に「批判理论」と呼ばれることがあるけれども、「批判?批评」(クリティック)という语は、「クリニック」と语源を同じくし、危机的(クリティカル)な分岐点での繊细かつ困难な判断を意味している。今、大学という制度には、危机的な裂け目が无数の罅のように走っている。崩壊に至るのか、それとも、世界そのものの罅割れに寄り添いながら新たな游动空间を生み出すのか。必要なのは「批判」である。明治大学文学部が、小林秀雄、林达夫ら优れた批评家たちの活跃の场であったことの意义を再考しなければならない时が访れているように感じられる。
(文学部教授)