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「志と梦と」

情报コミュニケーション学部長 須田 努

入学ガイダンスでは、情报コミュニケーション学部の新入生に、「志を掲げましょう。医者?弁護士になりたい、という了見もありますが、これらは職業でしかないのです。それに偏重すると、躓いた時に修復できなくなったり、よこしまな不正が起こってしまいます。世界から貧困をなくしたい、といった大きな思いです。それが志です。職業はそれを具現化したものなのです」と語ってきました。「自分はどうであったのか」をコロナ禍の中で問い直しました。「なぜ、日本史研究に没頭しているのか」ということです。歴史学という学問は、インフレを是正したり、「三体人危機」から地球を守る(笑)といったことに直接寄与するものではありません。一方、現代を相対化するとか、現実性や立場性が必要である、といった理念が重要となります。しかし、この理念を外すと、「なぜ」の答えは「楽しいから」というしごくシンプルなものでした。

大学入学の顷、歴史を研究するとは思ってもいませんでした。中高校生の时、ハードロックにはまり、ギタリストになりたいと思いました。しかし、ギターは上达しません。これを諦め、登山に集中し、将来は考古学を研究する冒険家になり、その経験を映像と本として世に出したい、という梦に移行しました。植村直己さんに憧れ、山岳部と考古学が日本一有名であった明治大学に进学しました。しかし、2年生になる春にその梦は崩れました。ここまでは、よこしまさが胜っていたように思います。骏河台に移った时、渡辺隆喜先生の「明治维新史」を受讲し、歴史学に出会いました。日本近世史に魅力を感じ、高校教员の傍ら木村础先生に私淑し、研究を始めました。そして书いた论文を生意気な后辈が読み「须田さん、感动しましたよ」と言ってくれました。まあ世辞半分です。今考えると、これが研究に没头するきっかけでした。その后、高校教员を辞し、民众史?民众思想史を専门とする早稲田大学の深谷克己先生のゼミ(大学院)に进学しました。ここから、歴史学徒の途に分け入りました。叁〇歳の春ですから大遅咲きです。

このように问い直した、私の志を直截に表现すると「人を感动させたい」ということでした。これは一贯していたようです。ただし、その具体像は①ギタリスト②冒険家③歴史学徒と変迁しましたが、もっとも楽しかった③が向いていた、ということです。私事が过ぎました。

志から生まれる现実は崩れてゆくものです。残念ながら。しかし同时に新しい梦が生まれてくると思います。近年、初心に戻り(笑)、ハードロック、ギターの练习を復活させました。よこしまな10代の顷よりもうまくなっているような気がします(大笑)。
(情报コミュニケーション学部教授)