「感謝を胸に続く挑戦」レスリング部 太田 匠海
文?写真/井手 満菜(国日2)
太田が竞技を始めたのは小学1年生の时だ。「マット运动がうまくなる」と闻いたことからレスリングに出会い、2歳年上の兄と共に地元の道场の门戸をたたいた。レスリングに生かすために中学では道场に通いながら柔道部に入部し、高校は叁重県屈指の强豪校?いなべ総合学园高校に进学。1年生ながらにJOCジュニアオリンピック(カデットの部)で準优胜に辉き、幸先のいいスタートを切った。しかし「监督の强い期待に応えられなかった」。度重なるけがとルーキーとしてのプレッシャーに苦悩し、挫折を味わう。そんな太田の転换点となったのは「考え方が変わったこと」。结果が出るまでがむしゃらに取り组んでいた练习スタイルを変え、技がうまくいかない原因や、监督の助言の意図、けがとの向き合い方を考えてレスリングをするようになった。けがの影响で结果を残すことはできなかったものの、挫折を乗り越えた経験は太田のレスリング人生の粮となった。
大学は中学生の时に部の公式练习に参加して以来、憧れていた明大に进学。2年次は自分のプレースタイルに悩むも、左詰めを意识しながらの差しと相手が攻めたときのカウンターを武器に、3年次の関东大学1部リーグ戦では早大、神大相手にチーム内で唯一胜利を収めるなど健闘を见せた。
竞技を始めて16年、胸には常に両亲への感谢がある。「高校时代は特に减量时の食生活や送り迎え、メンタル面でのサポートなどすごく助けてもらった」。いつも会场に応援に駆け付けてくれる両亲に胜利した姿を。両亲の存在は彼がレスリングを続ける原动力となっている。迎えるラストイヤー、太田は阶级を65キロ级から70キロ级に変更するという大きな决断を下した。「何よりもまずは体づくりから」。何事も妥协しない、ストイックな紫紺の戦士はどこまでも挑戦し続ける。
(おおた?たくみ 営3 いなべ総合 167肠尘?65㎏)
大学は中学生の时に部の公式练习に参加して以来、憧れていた明大に进学。2年次は自分のプレースタイルに悩むも、左詰めを意识しながらの差しと相手が攻めたときのカウンターを武器に、3年次の関东大学1部リーグ戦では早大、神大相手にチーム内で唯一胜利を収めるなど健闘を见せた。
竞技を始めて16年、胸には常に両亲への感谢がある。「高校时代は特に减量时の食生活や送り迎え、メンタル面でのサポートなどすごく助けてもらった」。いつも会场に応援に駆け付けてくれる両亲に胜利した姿を。両亲の存在は彼がレスリングを続ける原动力となっている。迎えるラストイヤー、太田は阶级を65キロ级から70キロ级に変更するという大きな决断を下した。「何よりもまずは体づくりから」。何事も妥协しない、ストイックな紫紺の戦士はどこまでも挑戦し続ける。
(おおた?たくみ 営3 いなべ総合 167肠尘?65㎏)