医疗制度についてしばしば指摘されることは、アクセス、费用、质の3つにトレードオフの関係があることです。多くの国は、アクセスを制限して、费用と质のバランスを図ろうとしています。例えば、国営医疗サービスを基本とする英国では、紧急の病気やけがを除けば、通常の风邪で病院に行くことはできません。まずは登録された「かかりつけ医」に诊てもらう必要があります。
皆さんご承知のように、日本は违います。公的な医疗保険に加入している限り、一部に制约はあるものの、基本的には、全国どこの病院?诊疗所にも行くことができます。患者本人から见れば、これはありがたい制度ですが、その结果、病院はいつも混雑しています。风邪で多くの人が病院に押し寄せれば、紧急の治疗を要する人たちが困ります。経済协力开発机构(翱贰颁顿)の医疗统计(2015年)を见ると、日本における医者1人当たり年间の诊疗回数は5,385回で、翱贰颁顿诸国の中、韩国に次いで第2番目であり、翱贰颁顿平均の2,295回の2.3倍になっています。日本のお医者がいかに忙しいかがわかります。
この1つの理由は、フリーアクセスが认められていることです。もちろん、アクセスを制限すると、医疗を受けられない人が出てくる问题があります。医疗保険の未加入者が多いアメリカがその代表例です。
医疗において、アクセスの保障は重要ですが、问题はその方法にあります。今回の新型コロナウイルス感染症に関して诸外国の対応を报道などで闻くと、英国やオーストラリアなどでは、自分が感染の疑いがあると、病院に行くのではなく、まずはかかりつけ医に相谈します。専门用语ですが、かかりつけ医が「ゲートキーパー」になるのです。
他方、日本では、风邪などでよく访问する近所の诊疗所はあっても、ゲートキーパーの役割を果たす、かかりつけ医は、政府が普及させようとしているものの、まだまだ未発达です。重篤な状态であれば、もちろん、ただちに病院で治疗する必要がありますが、新型コロナウイルスの軽症者がまずはかかりつけ医に相谈する仕组みになっていたら、もう少し事态は违うかもしれません。
アクセスは医疗の需要面の问题ですが、供给面にも问题があります。日本の医疗の特徴の1つは、私立中心の医疗机関と开业の自由です。医师免许があれば、基本的には、全国どこでも开业することが可能であり、诊疗科目も自由に标榜できます。その结果、医者の地域间の偏在、诊疗科目の间の偏在が问题になっています。产科や小児科の医者は足りない状况です。
颁罢や惭搁滨といった高额な医疗设备も自由に导入できます。翱贰颁顿の统计では、人口当たりのこうした机器の台数は、米国を抜いてトップです(人口百万人当りの日本の惭搁滨は51.7台、翱贰颁顿平均は15.9台)。医疗资源の中でも、现在、病院のベッド数には上限が设定され、増やすことはできません。ただ、日本の人口当たりのベッド数は、先进诸国トップになっています(人口1000人当り13.2、翱贰颁顿平均は4.7)。日本のベッドの総数は多いのに、なぜ感染症に対応できるベッドは足りないのでしょうか。
最近、政府は、医疗资源の効率的な活用を目指して、地域医疗计画の策定など、地域における医疗の充実に取り组んでいます。正しい方向ですが、都道府県など地方自治体に强制力が乏しいため、病院の再编、多様な医疗机関の连携など、现実にはなかなか进んでいません。
若干の医疗の问题を绍介しましたが、これらは决して新しいものではありません(年金や医疗など社会保障全般の问题については、『财政と民主主义』(日本経済新闻出版社、2017年)を参照。笔者が一部を担当)。何十年も前から指摘されてきましたが、抜本的な解决は先送りされてきました。今回のような危机的な状况になると、问题はより顕在化します。今はとにかく感染した患者を治疗することが急がれますが、これを契机に、我々は、改めて医疗のあり方を考える必要があります。国民全员が医疗という1つの船に乗っています。その船が沉んだら、国民全员が困ります。どうしたらその船を守ることができるでしょうか。