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Master of Public Policy, MPP

公共政策のプロフェッショナルを育成するガバナンス研究科

【田中秀明専任教授】新型コロナ感染症を契机に改めて日本の社会保障と政府のガバナンスを考える

本コラムは明治大学公共政策大学院に所属する田中秀明専任教授が執筆しております。 笔者:田中秀明教授

感染者の数、感染により亡くなられた方の数が日々増えています。そうした方々へのお见舞いとお悔やみを申し上げるとともに、一刻も早い事态の収束を祈っています。

现状において我々ができることは、とにかく外出を控え、感染の拡大を抑えることです。当面は、そのための対策、そして医疗崩壊の抑止や雇用?生活保障などが求められていますが、なぜこのように事态が悪化したのか、必要な対策が后手に回っているのか、その背景を考え、学ぶことも必要です。本稿では、感染症対策そのものというより、笔者の専门である公共政策、医疗などの社会保障、政府のガバナンスといった视点に绞って、考えたいと思います。

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医疗におけるフリーアクセスと副作用

医疗制度についてしばしば指摘されることは、アクセス、费用、质の3つにトレードオフの関係があることです。多くの国は、アクセスを制限して、费用と质のバランスを図ろうとしています。例えば、国営医疗サービスを基本とする英国では、紧急の病気やけがを除けば、通常の风邪で病院に行くことはできません。まずは登録された「かかりつけ医」に诊てもらう必要があります。

皆さんご承知のように、日本は违います。公的な医疗保険に加入している限り、一部に制约はあるものの、基本的には、全国どこの病院?诊疗所にも行くことができます。患者本人から见れば、これはありがたい制度ですが、その结果、病院はいつも混雑しています。风邪で多くの人が病院に押し寄せれば、紧急の治疗を要する人たちが困ります。経済协力开発机构(翱贰颁顿)の医疗统计(2015年)を见ると、日本における医者1人当たり年间の诊疗回数は5,385回で、翱贰颁顿诸国の中、韩国に次いで第2番目であり、翱贰颁顿平均の2,295回の2.3倍になっています。日本のお医者がいかに忙しいかがわかります。

この1つの理由は、フリーアクセスが认められていることです。もちろん、アクセスを制限すると、医疗を受けられない人が出てくる问题があります。医疗保険の未加入者が多いアメリカがその代表例です。

医疗において、アクセスの保障は重要ですが、问题はその方法にあります。今回の新型コロナウイルス感染症に関して诸外国の対応を报道などで闻くと、英国やオーストラリアなどでは、自分が感染の疑いがあると、病院に行くのではなく、まずはかかりつけ医に相谈します。専门用语ですが、かかりつけ医が「ゲートキーパー」になるのです。

他方、日本では、风邪などでよく访问する近所の诊疗所はあっても、ゲートキーパーの役割を果たす、かかりつけ医は、政府が普及させようとしているものの、まだまだ未発达です。重篤な状态であれば、もちろん、ただちに病院で治疗する必要がありますが、新型コロナウイルスの軽症者がまずはかかりつけ医に相谈する仕组みになっていたら、もう少し事态は违うかもしれません。

アクセスは医疗の需要面の问题ですが、供给面にも问题があります。日本の医疗の特徴の1つは、私立中心の医疗机関と开业の自由です。医师免许があれば、基本的には、全国どこでも开业することが可能であり、诊疗科目も自由に标榜できます。その结果、医者の地域间の偏在、诊疗科目の间の偏在が问题になっています。产科や小児科の医者は足りない状况です。

颁罢や惭搁滨といった高额な医疗设备も自由に导入できます。翱贰颁顿の统计では、人口当たりのこうした机器の台数は、米国を抜いてトップです(人口百万人当りの日本の惭搁滨は51.7台、翱贰颁顿平均は15.9台)。医疗资源の中でも、现在、病院のベッド数には上限が设定され、増やすことはできません。ただ、日本の人口当たりのベッド数は、先进诸国トップになっています(人口1000人当り13.2、翱贰颁顿平均は4.7)。日本のベッドの総数は多いのに、なぜ感染症に対応できるベッドは足りないのでしょうか。

最近、政府は、医疗资源の効率的な活用を目指して、地域医疗计画の策定など、地域における医疗の充実に取り组んでいます。正しい方向ですが、都道府県など地方自治体に强制力が乏しいため、病院の再编、多様な医疗机関の连携など、现実にはなかなか进んでいません。

若干の医疗の问题を绍介しましたが、これらは决して新しいものではありません(年金や医疗など社会保障全般の问题については、『财政と民主主义』(日本経済新闻出版社、2017年)を参照。笔者が一部を担当)。何十年も前から指摘されてきましたが、抜本的な解决は先送りされてきました。今回のような危机的な状况になると、问题はより顕在化します。今はとにかく感染した患者を治疗することが急がれますが、これを契机に、我々は、改めて医疗のあり方を考える必要があります。国民全员が医疗という1つの船に乗っています。その船が沉んだら、国民全员が困ります。どうしたらその船を守ることができるでしょうか。

遅れる电子政府?公共サービスの滨罢化

新型コロナウイルス感染症対策として、人々の外出自粛が求められたことから、多くの业种で事业や雇用の継続が困难になり、生活の保障が问题になっています。そこで、政府は、去る4月7日、「新型コロナウイルス感染紧急経済対策」を决定しました。その中で议论の的になったのは、30万円を配赋する「生活支援临时给付金」(仮称)です。焦点は、失业せずに困っていない人にも配赋するのはバラマキで不公平ではないか、所得制限を付けると配赋に时间がかかるため国民一律に配赋すべきではないか、というものです。结局、与党からの强い反対意见がだされ、所得が减少した世帯への30万给付ではなく、国民一律に10万円给付という形になりました。

こうした給付金は過去にも例があります。2009年、リーマンショックを受けて、国民一律に定額給付金(1人12,000円、65歳以上及び18歳以下の者については20,000円)が配布されました。その効果は、内閣府の分析では、「定額給付金によって、受給月に受給額の 8%に相当する消費増加効果がみられた。他の月の分も合わせた累積では、受給額の 25%に相当する消費増加効果がみられた」(「定額給付金は家計消費にどのような影響を及ぼしたか」2012年4月)でした。つまり、給付金が消費に使われたのは限定的なのです。もちろん、前回と今回では諸条件が異なるので、単純な比較はできないものの、配賦された給付金全てが使われるわけではなく、そうすると経済へのインパクトも小さくなるわけです。

笔者は、给付金は、基本的には所得制限を付けるべきだと考えています(最初は全国民に配赋し、后日、高所得者には课税を通じて事実上给付金を返してもらうといった対応も考えられます)。问题は手続きに时间がかかることです。マイナンバー?カードを活用して、対象者の所得を把握し、银行口座に迅速に给付金を振り込むのです。诸外国では、そのような対応が実际に讲じられており、数日で生活资金や事业资金が个人の手元に届いています。

そうした仕组みは今回の给付金の配赋には间に合いませんが、电子政府の推进、公共サービスの滨罢化、マイナンバー?カードの活用などは、何年も前から提唱されてきました。しかし、とうてい便利になったとは思えません。

お隣韓国は、昔は日本より遅れていましたが、電子政府という点では、今や日本をはるかに凌いでいます。韓国人の知り合いに案内してもらい、韓国の電子政府の実際の状況を見学したことがあります。韓国も様々な手当類には、基本的に所得制限があります。例えば、子どもが生まれて、出生届けを提出すると、自分のポータルに、所得に基づき受給できる各種手当やサービスのメニューで載ります。個人は、クリックするだけで受給できます。その他、住民票、納税証明書など各種証明書もいちいち役所に行く必要などなく、自宅のプリンターで印刷することができます。引っ越し際にも、転入先で届を出すだけで、ほぼ全ての手続きが自動的に完了します。  

日本では、手当に所得制限があると、役所の窓口に行って、所得が低いことを申告しなければなりません。申请主义だからです。韩国はそうではなく、いわゆる「プッシュ型」の社会保障制度なのです。

日本と韩国は、なぜこのように违いがあるのでしょうか(详しくは、田中秀明?廉宗淳「行政デジタル改革は国民中心に、韩国に学ぶ利便性の向上」『週刊エコノミスト』(2019年6月4日)を参照してください)。日本は、省庁縦割りで、また関係者が电子化に反対します。韩国も最初はそうだったと闻いていますが、政治のリーダーシップがそれを解决しました。日本では、住民票のシステムは自治体ごとにばらばらですが、韩国では国が全てを统合しました。

2009年の际に现金给付が议论になり、その后电子政府の取组みも进められてきましたが、10年たったけれども、便利になっていないのが日本です。

政府のガバナンスとは

国?地方の政府、民间公司などで事件や不祥事が起こると、しばしばガバナンスの欠如が指摘されます。皆さんも、この研究科の名称に始まり、いろいろなところでガバナンスという言叶を闻くと思いますが、そもそも「ガバナンス」とは何でしょうか。

日本语では、一般に、「统治」とか「统治のプロセス」と訳されています。辞书的には、ラテン语?ギリシャ语の「舵をとる」に由来します。言い换えると、动きをコントロールして一定の方向に导くという意味であり、政府、すなわちガバメントもその代表です。

笔者は、ガバナンス研究科において、「ガバナンス研究」という授业科目を担当しています。そこでは、ガバナンスを「问题を解决すること」と定义し、そのための理论と方法论?问题解决策を论じています。それでは、问题を解决するためには、何が一番重要でしょうか。

それは、何が问题なのか、その问题はどのような理由で生じているかを分析することです。例えば、子どもの贫困が问题であるとしましょう。贫困とは何で、どのように贫困なのか、それがどのようにどの程度问题なのかを考えます。次に、贫困をもたらしている原因を考えます。亲の状态、教育、人々の平等感、関係する社会保障など、理由はいろいろ考えられますが、何が一番大きな原因でしょうか。もちろん、これは简単な问题ではありません。だからこそ、子どもの贫困は直ぐにはなくならないのです。

政策を考えるに当たり、问题やその原因を考えることは当たり前ではないかと思うかもしれません。しかし、现実には、そう简単ではありません。原因を推测できても、ほんとうかわからないときもあります。

あらゆる政策には、様々な利害関係者がいて、彼らの利害を调整することは容易ではありません。今回の新型コロナ感染症対策を巡っても、现金给付や休业保障に関して、賛成?反対と様々な意见が出されており、现実には合意形成は难しいのです。そこで、国にせよ、地方にせよ、政策担当者は、本来あるべき政策や対策を提示するというより、関係者が合意できそうな政策を提案しようとします。しかし、そうした政策では问题解决は难しいでしょう。

政策は、最终的には、国民が选挙で选んだ政治家が决めるというのが、民主主义のルールです。しかし、その前に、データや事実に基づく科学的な分析や検讨、そして异なる意见を调整するための合意形成が必要です。笔者は、现在の日本の政策过程において最も欠けているのが科学的な分析や検讨だと思っています。最近では、「エビデンスに基づく政策形成」の重要性が指摘されていますが、それが多くの分野で现実に実施されているとは思えません。ここでは繰り返しませんが、いくつかの新型コロナ感染症対策についても、エビデンスが问われています。

日本では问题の科学的な分析が疎かになっていると申し上げましたが、例外もあります。それは、东日本大震灾の后に、特别の法律に基づき国会に设置された「东京电力福岛原子力発电所事故调査委员会」(2011年12月発足)です。调査委员会は、専门家によって构成され、様々な调査と分析を行い、事故が拡大した要因の1つとして、政府内の原発関连组织の问题を指摘しました。

今般の新型コロナ感染症が収束した后に、同様の科学的な分析が必要です。感染症の侵入を防ぐことはできなかったしても、なぜ拡大したのか、医疗施设での院内感染はなぜ生じたのか、职を失った人たちへの雇用や生活面での保障になぜ时间がかかったのかなど、冷静な分析が必要です。重要なことは犯人探しではなく、事実を明らかにして、将来に活かすことです。それが、我々にとって必要なガバナンスではないでしょうか。