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教养教育

幅広い教养や的确な判断力を身につけよう!

教养とはなにか

 大学とは学问をするところです。学问あるいは学问のしかたを学ぶという点では、専门科目も教养科目も违いはありません。
 むしろ教养科目のほうが、弁护士になるとか资格をとるといった特定の目的にしばられていないだけ、纯粋に学问を学问として学ぶことができるでしょう。学ぶことの楽しさも、纯粋に学问をすることのうちにこそあります。じつを言うと、「教养」とは、学问を学ぶことと同义なのです。その意味で、専门科目も、広い意味での「教养科目」の一部だと言ってもよいでしょう。大学の法学部とは、おもに法律の勉强をとおして、ほかならぬ学问をするところなのであって、けっして第一义的に、弁护士やその他の资格をとるためのところではありません。

どの科目も学问に通じている

 人间や社会や世界について学ぶには、さまざまな通路があります。ちょうど富士山に登るのに富士吉田口や御殿场口があるように。専门科目も教养科目も、それぞれそうした通路の一つです。教养科目に即していえば、おそらくみなさんが大学ではじめて学ぶ哲学や社会思想史などの総合教养科目群や、情报に関する情报科目群、また、高校でもすでにいくらかは学んで知っている日本语科目群や外国语科目群や保健体育科目群がそうした通路です。高校で学んできたからといってばかにしてはいけません。高校ですでに学んだのは、ただ大学に入るのに必要なミニマムにすぎません。つまり、これだけはわかっていてね、という部分です。大学で学ぶのは、何度もくりかえしますが、学问です。学问には天井(マキシマム)はありません。つまり、これでよいということはない。正解はないし、答えを求める问いすらも、わかっているわけではありません。学问とは、じつは、答えをみつけることではなくて问いをみつけることなのです。それ自体は茫漠としている现実を切り分け、道筋を见いだしていくための突破口が「问い」なのです。

大学でなにを学ぶか

 言うまでもありませんが、大学で教える先生がたはみな一人前の学者です。つまり、たえず問いを模索している人たちです。みなさんに学んでほしいのは、かれらが教えてくれる内容そのものではありません。かれらがどんな問いをたて、それが可能な問いであるかどうかをほとんど手探りで日々模索していること、それをぜひ見てほしい。みなさん自身が、そうした学問の世界に一歩でも踏み入ったときはじめて、みなさんは大学の一員、つまり、「学問するひと student」となるのです。そこには先生も学生もありません。