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法律学のパイオニア

わが国有数の「法」の学舎として、多くの優れた法曹を輩出してきた明治大学法学部。 2004年12月には、故布施辰治弁護士に、韓国政府から「建国勲章」(日本人初)が 授与されるなど、建学の精神は、今も脈々と受け継がれています。

创立者たち

明治大学の歴史は、法学部の歴史でもある。法学部の前身である明治法律学校が创立されたのは、1881(明治14)年1月。开校届けによれば、创立者は岸本辰雄?宫城浩蔵?矢代操の3人で、いずれも司法省法学校の卒业生(第一期生)である。司法省法学校とは、东京大学法学部の前身である大学南校に対抗して、司法省内に设立されたエリート法律家の养成学校であり、司法卿江藤新平のイニシアティヴのもと、わが国最初の本格的なフランス法教育が行われた机関として知られている。着名な御雇い法律顾问ボアソナードは、この学校の教坛に立ち、全国から选りすぐられた俊秀の指导にあたった。创立者の3人は、ボアソナードの直弟子に他ならない。

创立の背景

司法省法学校の第一期生は1876(明治9)年7月に同校を卒业することとなり、岸本と宫城はフランスに留学、矢代は讲法学舎(大井宪太郎ほか设立)という代言人(弁护士の前身)养成学校の运営に携わった。岸本はパリ大学、宫城はリヨン大学で法学士号を取得して、1880年2月と6月に相次いで帰国したのち、明治政府の法制官僚として诸立法事业などに参画する傍ら、矢代の依頼をうけて讲法学舎の讲师をつとめた。岸本らは、司法省法学校卒业式の际に、恩师ボアソナードが语った「法学の普及こそが诸君の天职であり、使命である」という言叶を忘れず、法学教育に携わる希望を持ち続けていたわけである。おりしも讲法学舎が経営方针の対立から内部分裂したため、创立者の3人は、同年10月に帰国した西园寺公望とも相谈して、同学舎の生徒の一部を引き継ぐ形で、明治法律学校を创立したのである。

创立の精神

西园寺が起草したと言われる明治法律学校の「设立ノ趣旨」では、法律学の目的は「権利自由」の确立にこそあり、「健讼ノ具」(滥诉の手段)であってはならない旨が格调高く謳われている。このような建学の精神に共鸣して、磯部四郎?井上正一?熊野敏叁?高木豊叁?光妙寺叁郎など、司法省法学校出身者やフランス帰国者らが続々と明治法律学校の讲师に参集した。明治法律学校では、东京大学法学部を凌驾する最先端のフランス法学が、全国から集まった「権利自由」「独立自治」の気概に燃える学生たちに教授され、自由民権运动(主に自由党系)を支える多くの活动家が生まれた。

法曹の辈出

尾佐竹 猛 尾佐竹 猛(おさたけ?たけき)  1899(明治32)年、明治大学の前身である明治法律学校卒業。大審院判事(現在の最高裁判所に相当)等を歴任するなど法曹界で活躍する傍ら、明治維新史の研究者としても著名であり、明治大学法学部教授や初代専門部文科(文学部の前身)長を務め、母校?明治大学で教鞭も執った

明治法律学校は、创立以来、现在で言う司法试験に、私立法律学校中で一?二を争う合格者を辈出し続けた。代言人试験(明治26年から弁护士试験)では、全合格者の约40%を、司法官试験(判事は明治18年から、検事は明治24年から)でも40?50%を占めた。明治20年代にはいると、大津事件后のフランス法学派大审院判検事の排斥や法典论争による旧民法典の施行延期といった政治的逆风にも校势は衰えることなく、明治法律学校出身法曹は、明治大正期の法曹界において、东京帝国大学に次ぐ势力を形成したのである。大审院判事で歴史家として名高い尾佐竹猛(明治32年卒业)、社会派人権派弁护士として知られる山崎今朝弥(明治34年卒业)布施辰治(明治35年卒业)や明星派の歌人でもあった平出修(明治36年卒业)など、多士済々の法曹が生まれている。

女性法曹の育成

中田 正子 中田 正子(なかた?まさこ)   1911(明治44)年東京小石川生まれ。我妻栄の講義に法律への興味を持ち、明治大学女子部に入学。その後女性でただ一人筆記試験に合格。翌38年には女性で初の合格者3人のうちのひとりとなる。1969年には女性としてはじめての鳥取弁護士会長も勤めた。

女性法曹の育成にいち早く取り组んだのも明治大学であった。1929(昭和4)年に女子部(旧女子短期大学の前身)が创设され、ここからわが国初の女性弁护士が诞生した。今日活跃している女性法曹の重镇のなかには明治大学の出身者がかなりの部分を占めている。法学部は、女性の社会的地位の向上と活动领域の拡大に大きく贡献してきたのである。
【参考】叁渊嘉子(みぶちよしこ)—狈贬碍の连続テレビ小説(朝ドラ)の主人公のモデルとなった女子部出身の裁判官—

歴代法学部长一覧

明治大学名誉教授(法学部)一覧

「名誉教授」とは、本大学に専任教授として一定期间在职した者で、教育上及び学术上、顕着な功绩があり、人格が高洁で高い识见を有した者に対し、本大学を退职后に赠りしているものです。