田中 幸一(1974年商学部卒業)
はじめに、このたびの东日本大震灾において被灾された皆様に心よりお见舞い申し上げます。创立130周年を迎えられた母校から「未来サポーター募金」のご案内を顶いた昨年、ちょうど小生も38年间勤务した会社を大过なく勤め上げることができ、退职金を顶きました。
その中から些少ですが「未来サポーター募金?奨学金サポート资金」に応募をさせて顶きました。11月初旬、骏河台に耸える「リバティタワー」を访れ、募金室の方に募金要领をお闻きし邮便局に振り込みをしました。
小生は长野県中野市から上京して、昭和45年に明治大学の特待生(现:特别给费奨学生)として入学をさせて顶き、毎年の授业料を免除して顶きました。田舎のサラリーマン家庭から东京の私立大学への进学は厳しい环境の中で、この待遇は非常に助かりました。お阴様で4年间は勉学にも励むことができ就职课のお世话もあって大きな会社に就职もできました。それ故に何とか母校に寄付をしようと思っていましたが、在职中はなかなか难しく退职金を貰った今思い切って寄付をさせて顶いた次第です。在学中の「学恩」と「给费生として顶いたご恩」には到底报いることにはなりませんが些少ながらの気持ちです。
「明治で学びたい」という多くの学生の志に「绊を伝え、未来に向けて」少しでもお役に立てれば幸甚に存じます。
はじめに、このたびの东日本大震灾において被灾された皆様に心よりお见舞い申し上げます。创立130周年を迎えられた母校から「未来サポーター募金」のご案内を顶いた昨年、ちょうど小生も38年间勤务した会社を大过なく勤め上げることができ、退职金を顶きました。
その中から些少ですが「未来サポーター募金?奨学金サポート资金」に応募をさせて顶きました。11月初旬、骏河台に耸える「リバティタワー」を访れ、募金室の方に募金要领をお闻きし邮便局に振り込みをしました。
小生は长野県中野市から上京して、昭和45年に明治大学の特待生(现:特别给费奨学生)として入学をさせて顶き、毎年の授业料を免除して顶きました。田舎のサラリーマン家庭から东京の私立大学への进学は厳しい环境の中で、この待遇は非常に助かりました。お阴様で4年间は勉学にも励むことができ就职课のお世话もあって大きな会社に就职もできました。それ故に何とか母校に寄付をしようと思っていましたが、在职中はなかなか难しく退职金を貰った今思い切って寄付をさせて顶いた次第です。在学中の「学恩」と「给费生として顶いたご恩」には到底报いることにはなりませんが些少ながらの気持ちです。
「明治で学びたい」という多くの学生の志に「绊を伝え、未来に向けて」少しでもお役に立てれば幸甚に存じます。