宫城県南叁陆町での活动を通して
2017年06月27日
明治大学 震灾復兴支援センター
ミサンガ作りを习っている様子
サークルが整备した公园に设置された鲤のぼり
文学部の学生が、宫城県南叁陆町で震灾復兴支援ボランティア活动を行ったことについて、寄稿がありましたのでご绍介いたします。
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初日はまず震灾の遗构见学をした。防灾庁舎、高野会馆や旧野蒜駅を访问した。周囲が盛り土で囲まれているので、远くからは分かりにくかった。防灾庁舎はペンキで新しく涂装されていた。高野会馆は震灾当时のままで保存されていた。旧野蒜駅は工事のため立ち入り禁止となっていた。復兴が进む中で、震灾遗构の保存のあり方について考えさせられた。
その后、地元の人からミサンガの作り方を教えてもらった。东京に帰ったら自分たちが教えなければならないということを念头に、教えてもらった。震灾后、南叁陆にどのようにミサンガ作りが伝わったかを知ることができた。ボランティアとして他所からやってきた人が、ミサンガの作り方を现地被灾者に教え、復兴の轮を繋げるチャリティーとして、その后、それを现地の人が贩売するようになったそうだ。
夕食は南叁陆ホテル観洋というホテルの近くにある海鲜料理屋に行った。地元の味覚を堪能することができた。夕食后は宿泊先の管理者である人から、南叁陆で学习支援をする人々についての话を闻いた。目には见えない復兴というものがあるということを知った。
2日目は、被灾地のフィールドワーク、通称「きずなクエスト」をした。自身の足で被灾地の観光スポットや、復兴后の町并みを巡り、色々なことを学んだ。廃校など、もともとあった建物を利用して新しくお店を开いているところが多いことを知った。他には海と山が隣接する南叁陆特有の地形にも惊かされた。ただ、復兴の度合いは地域によって様々で、未舗装の道路や未开通の桥なども所々にあった。
地元の人をインタビューする机会もあり、方言について学ぶこともできた。きずなクエストが终わり、その后は鱼市场キッチンという地元の主妇の方々が中心に経営している南叁陆の海鲜を使った缶詰工场に行った。大手公司と连携しながら生产をしているということも闻いた。资金がなくては活动することができないという现状を知ることができた。
そこでは、ほかにホヤという海产物についての话も闻いた。韩国に今までは输出をしてきたが、震灾后は韩国に输出できなくなったため、国内で消费する必要があるということを闻いた。そのため、商店街には様々なホヤを使ったお土产や料理を出す店があった。国内での知名度が低いホヤをいかにして売るかという地元の人々の努力を伺うことができた。夕食后は地元の人とスポーツをした。ソフトラクロスというスポーツで、あまりなじみはなかったが、教えてくれる人がいて、段々と惯れることができた。
3日目は「南叁陆ハマーレ歌津」という歌津地区にある新しい商店街に行った。そこで私は地元の特产をいくつか购入し、无料で配布していたわかめ汁をいただいた。各地から集まった人や地元の人がたくさんいて、とてもにぎわっていた。その后は女川町に移动し、女川駅前の商店街に行った。「あたらしいスタートが世界一生まれる町へ」というコンセプトをもとに、復兴を进めてきたことを闻いた。确かに南叁陆と比べると女川の方が復兴しているような感じがした。だが外部からやってきた人が経営している店が多く、地元感があまり感じられなかったことは残念だった。
その后は、きずな滨苍迟别谤苍补迟颈辞苍补濒(明治大学公认?东北復兴応援サークル)が整备した公园の鲤のぼりの饰りつけを撤去した后、南叁陆を后にした。
地震大国日本という自覚を持ちながら、被灾地のことを自分とは関係ないものとみなすのではなく、もっと亲身に考えていきたいと被灾地での3日间を通して思った。
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初日はまず震灾の遗构见学をした。防灾庁舎、高野会馆や旧野蒜駅を访问した。周囲が盛り土で囲まれているので、远くからは分かりにくかった。防灾庁舎はペンキで新しく涂装されていた。高野会馆は震灾当时のままで保存されていた。旧野蒜駅は工事のため立ち入り禁止となっていた。復兴が进む中で、震灾遗构の保存のあり方について考えさせられた。
その后、地元の人からミサンガの作り方を教えてもらった。东京に帰ったら自分たちが教えなければならないということを念头に、教えてもらった。震灾后、南叁陆にどのようにミサンガ作りが伝わったかを知ることができた。ボランティアとして他所からやってきた人が、ミサンガの作り方を现地被灾者に教え、復兴の轮を繋げるチャリティーとして、その后、それを现地の人が贩売するようになったそうだ。
夕食は南叁陆ホテル観洋というホテルの近くにある海鲜料理屋に行った。地元の味覚を堪能することができた。夕食后は宿泊先の管理者である人から、南叁陆で学习支援をする人々についての话を闻いた。目には见えない復兴というものがあるということを知った。
2日目は、被灾地のフィールドワーク、通称「きずなクエスト」をした。自身の足で被灾地の観光スポットや、復兴后の町并みを巡り、色々なことを学んだ。廃校など、もともとあった建物を利用して新しくお店を开いているところが多いことを知った。他には海と山が隣接する南叁陆特有の地形にも惊かされた。ただ、復兴の度合いは地域によって様々で、未舗装の道路や未开通の桥なども所々にあった。
地元の人をインタビューする机会もあり、方言について学ぶこともできた。きずなクエストが终わり、その后は鱼市场キッチンという地元の主妇の方々が中心に経営している南叁陆の海鲜を使った缶詰工场に行った。大手公司と连携しながら生产をしているということも闻いた。资金がなくては活动することができないという现状を知ることができた。
そこでは、ほかにホヤという海产物についての话も闻いた。韩国に今までは输出をしてきたが、震灾后は韩国に输出できなくなったため、国内で消费する必要があるということを闻いた。そのため、商店街には様々なホヤを使ったお土产や料理を出す店があった。国内での知名度が低いホヤをいかにして売るかという地元の人々の努力を伺うことができた。夕食后は地元の人とスポーツをした。ソフトラクロスというスポーツで、あまりなじみはなかったが、教えてくれる人がいて、段々と惯れることができた。
3日目は「南叁陆ハマーレ歌津」という歌津地区にある新しい商店街に行った。そこで私は地元の特产をいくつか购入し、无料で配布していたわかめ汁をいただいた。各地から集まった人や地元の人がたくさんいて、とてもにぎわっていた。その后は女川町に移动し、女川駅前の商店街に行った。「あたらしいスタートが世界一生まれる町へ」というコンセプトをもとに、復兴を进めてきたことを闻いた。确かに南叁陆と比べると女川の方が復兴しているような感じがした。だが外部からやってきた人が経営している店が多く、地元感があまり感じられなかったことは残念だった。
その后は、きずな滨苍迟别谤苍补迟颈辞苍补濒(明治大学公认?东北復兴応援サークル)が整备した公园の鲤のぼりの饰りつけを撤去した后、南叁陆を后にした。
地震大国日本という自覚を持ちながら、被灾地のことを自分とは関係ないものとみなすのではなく、もっと亲身に考えていきたいと被灾地での3日间を通して思った。
文学部1年 林智之