「人はそれと知らずに哲学している」といいます。「哲学しないことも哲学することである」という人もいます。みなさんも物心ついて以来、自分とは谁なのか、他人とは谁なのか、生きるとは、死ぬとはどういうことかとしばしば自问し、夜空を眺めては宇宙の果てはどうなっているのか、宇宙はどうできたのかを考え、人と交际しては喜びや悲しみや憎しみや羡望を覚え、动物や植物と接して生命の何たるかに思いを驰せ、様々な光景や音响に感动と不快を感じてきたことでしょう。私たちは思考するのをやめることができません。けれども、思考しなければならないことを未だ思考していないのかもしれません。悲惨极まりない出来事も胸跃るような出来事も、小さな事象も大きな事象も、みなさんにサインを送っています。それに応答し、未だ踏みしだかれていない小道を见出すことは决して容易ではありません。多様な言语を学び、古今东西の名着を読み、思考の机构を见つめ直し、感性を磨き、情念の感度を维持し、悩みの悪循环を愉楽とフモール(丑耻尘辞谤)に変换する术を身につけねばなりません。来たれ哲学新専攻へ。共にそのような场所を筑こうではありませんか。