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「数寄屋桥キャンパス」のようす
数寄屋桥に面した约4000坪の広大な屋敷地南面は外濠川が流れていました。北侧の通りに面して黒い板塀が张り巡らされ、板塀に沿って数栋の长屋建物がありました。これはかつて岛原藩家臣が住んでいた长屋でした。明治法律学校が屋敷を借用してからは、学生の寄宿舎として使用したと推定されています。敷地の北西侧に大きな门があり、そこから邸内に入ります。通学生は屋敷の玄関で履物を脱ぎ、室内履きの草履に履き替えます。玄関脇の壁には学生一人ひとりの氏名が书いてある木札がかかっていました。玄関を抜けると、畳敷きの広间があり、さらに奥に进むとかつて大名の居室だったスペースに到着します。
正确な场所は不明ですが、そのうちの「奥书院」にあたる横长の広间を教场に见立てたようです。畳敷きの広间を上げて素板にし、さらに素板の上に学生の座る腰掛けを置き、高さ1尺(约30センチメートル)、幅6尺(约1.8メートル)程度の讲师用教坛と、同じく讲师用に1脚の椅子をしつらえ教场としました。こうして明治法律学校は简素ながら最初の教场を持つことができました。
书院造りの屋敷南面には池がありました。池には冬になると氷が张り、东北出身の学生は授业の合间に息抜きとしてスケートを楽しむこともあったといいます。
参考文献
明治大学史资料センター编『明治大学の歴史』2015年