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2018年度フィールドスタディ颁(京都公司见学)実施报告书(参加学生见学记録)

川嶋织物セルコン



 初日の6月14日(木)は株式会社川岛织物セルコンを访问した。明治大学の骏河台キャンパスのアカデミーコモンにある大きな缎帐(どんちょう)も,この川岛织物セルコンが製造したものである。この川岛织物セルコンは,创业年1843年と170年あまりの歴史をほこる老舗公司である。ここで,一つ一つの作业を见学させていただいた。缎帐を作る作业では,宝塚のステージで使われるであろう纳品前の缎帐をみせていただいた。祇园祭などの祭りで用いられる祭礼幕や,缀织(つづれおり)の手法で熟练した人の手やツメで织り成される现场など,とても緻密な作业を职人が完璧に行う様を见て非常に感铭を受けた。
 2017年度のフィールド?スタディの同社访问では,今年で100回になる全国高校野球选手大会(甲子园)で使われる优胜旗を织る作业を见学していたが、トップシークレットのためにどこに纳品されるか教えることができなかったといったという里话までも,今回の见学で教えてくださった。また日本の歴史上カーテンを初めて製造した会社も,実は川岛织物という会社であり,现在でも売上の90%がインテリア部门で占めているという。カーテンやカーペット,チェアーなどの製造现场の见学もさせていただいたが,そこで行われる作业が寸分狂いなく行う様はとても兴味深いものがあった。
 この公司は皇室や宫内庁となどとも関わりも持っているのだが,一つどうしてもこの公司を知るうえで欠かせないこととして未完成に终わった作品の説明をされた。?断机の戒め?というものである。これは,当时の川岛当主夫人が不完全なものを世には出してはいけないという考えで,製作途中で裁断してしまったものである。その理由として第1次大戦の影响で染料の输入が不足するなか,それに代わって使用した染料にほんの仅かでも品质の疑いが生じたものを纳品することを阻止するためであったという。このことを语り継ぐことによって,品质の良さを武器に现在も活动していることがわかった。

オムロン京都太阳



 2日目の6月15日(金)は,午前中にオムロン京都太阳株式会社を訪問した。同社は1985年,社会福祉法人太陽の家とオムロン株式会社の共同出資によって設立されたオムロンの特例子会社である。出資元である太陽の家は1965年中村裕氏の「保護より機会を!」「世に心身障害者はあっても仕事に障害はあり得ない」という理念のもとで創設された。この太陽の家の理念が「われわれの働きで,われわれの生活を向上し,より良い社会をつくりましょう」というオムロンの社憲や価値観に合っていたことから,この共同出資が可能となった。オムロン京都太阳は現在、70%が身体障がい者、25%が知的障がい者という従業員構成で成り立っている。
 センサーやソケットといった約1500種ものオートメーション装置を多品種少量で生産しているほか,体温計や血圧計などのオムロンの主力事業を支えている。障がい者の雇用創出をさらに推進するべく,オムロン京都太阳における障がい者雇用のノウハウを提供することで社会貢献も行なっている。また、障がい者といっても人それぞれであり,生産において支障がないように,特に重度の障がいを持つ人のための設備の開発も独自に行なっている。
 運営体制は,たとえばオムロン京都太阳が生産と技術支援を行い,太陽の家が生活?健康管理さらに生産管理を行うというように,オムロン,オムロン京都太阳,太陽の家の3つを軸に相互に協力しあいながら事業を行なっている。一般企業において障がい者の雇用率は2.2%と低い基準だが,これからはよりいっそう障がい者の雇用を進めることで障がい者とより良く共存していくための社会が必要だと感じた。

岛津製作所本社?叁条工场



 2日目の午后に株式会社岛津製作所の本社?叁条工场を访问した。访问する以前の事前学习で,岛津製作所が计测机器や医用机器などの技术机器を製作しているということを学んでいたので,その生产工程において1つ1つの项目を技术者の目でチェックするものだと思っていた。しかし、実际に工场内を见てみると、生产性や进捗状况をデータベースによって可视化していることが分かった。情报技术の导入によって,生产性を向上させている典型的な例だと感じた。また,作业员の方がかぶっている帽子の色に违いがみられた。これは,生产ラインの作业の内容によって异なっているということであった。ホームページや会社史だけではわからない,あらゆる工夫を施すことによって,生产性を向上させている岛津製作所の姿がみられた。工场见学の后,実际に製品を间近でみる机会が设けられた。ハイスピードカメラでボールがつぶれる瞬间や水の波纹など,日常では见られない世界を堪能することが出来た。

岛津製作所?创业记念资料馆



 3日目に访れた岛津製作所创业记念资料馆は,岛津製作所の创业の地である。木造建筑でありながら,ステンドグラスが装饰されているなど内装にもこだわりを感じた。
 资料馆には,初代岛津源蔵と二代目源蔵の「科学の力で京都を元気にしたい」という思いを强く感じる作品が数多く展示されていた。とくに前日に岛津製作所を见学した际にもみた分析机器であるガスクロマトグラフの原型や,齿线実験の知识普及のために製作された教育用齿线発生装置などの理化学実験装置などが印象的であった。これらのほかに,创业の初期の顷から理科の授业で使用できる机械を製作し,科学の技术や知识を世に広めようと力を尽くしていたことも强く感じた。
 また実験ラボでは、ストロボスコープという映画の仕组みがわかるものや,球体衝突试験机といった衝突の基本的な原理を実験できる製品と触れ合うことができた。
 先人达の知识や思いが込められた製品をまのあたりにし,かつ実际に体験できる场もあり,とても贵重な経験となった。