(株)川岛织物セルコンを访问
オムロン京都太阳(株)にて
岛津製作所本社?叁条工场にて
岛津製作所创业记念馆を访问
テーマ 公司経営の歴史と现状-京都公司
2016年6月16日(木)~18日(土)の3日间,京都に立地する3つの公司を访问した。
初日の6月16日(木)の午后は,(株)川岛织物セルコン(左京区静市市原町)を访问した。1843年创业であるから,170年以上の社歴を有する老舗公司である。「川岛の叁本线」の帯は知る人ぞ知るロングセラーの高品质品である。明治大学にも纳入されている剧场用の缎帐(どんちょう),祭りなどの祭礼幕,関取の化粧まわしなども,缀织(つづれおり)の手法で,熟达した人の手によって织り出される贵重なものである。この他,カーテンやシェードなどの室内製品,事务用の椅子,自动车や新干线の椅子,公共空间の内装も同社の仕事である。缀织の现场,缎帐の仕上げ作业,ジャガード织り(縦糸をコントロールする机械),カーテンなどの製造の现场を见学した后,川岛発展の歩みを知ることのできる织物会馆などで御説明をいただいた。现场での熟练作业の精緻さに,皆,圧倒された。歴史コーナーでは多くの芸术家(伊藤若冲,神坂雪花ほか)との関连,さらには第1次大戦中の染料不足下で品质にわずかな疑义が生じた际に当时の川岛家当主夫人が切り裂いた「断机の戒め」(品质が不完全なものを世に出さなかった)は,今でも川岛の品质に対する意识を感じさせる歴史的教训であることを学んだ。
2日目の6月17日(金)は,オムロン京都太阳(株)(南区上鸟塔?森上河原)と(株)岛津製作所本社?叁条工场(中京区西ノ原桑原町)を访问した。午前中に访问したオムロン京都太阳は,社会福祉法人の太阳の家の中村裕氏と,オムロンの创业者である立石一真氏との协力によって1985年に设立された障害者の働く会社である。重度障害者を含む方々が働く生产现场では,ソケット,センサ,交流を直流に変える机器などを製造している。一般公司では,障害者採用の2%の基準があるが,このオムロン京都太阳の生产现场で働く方々はみな障害者であり,障害者がその能力を向上させる取り组み,支障を取りはらう改善などがたゆまず行われており,障害者の生产现场によって高品质の製品を継続的に产出する取り组みや仕组みを学んだ。初期に初めて给与をもらった方が「税金によって补偿されていた自分たちが税金を纳めることができるようになった」と言われたという思いは,いかに普通に働くことが当时の彼らにとって贵重なことであったかがうかがわれる。社会の理解とインフラ整备がより进んで,そうした思いを抱くことのない职场を拡充することが今后益々求められよう。
17日の午后に访问した岛津製作所も,1875年に初代岛津源蔵が创业した老舗公司である。事业范囲は,分析机器,计测机器,医用机器,航空机器,产业机器など広范囲に及ぶ。今回は,医用机器の展示,计测机器と分析机器およびそれら机器に使用するプリント基板の製造现场を见学させていただいた。机器の製造现场では,大学で学ぶ「トヨタ生产方式」(闯滨罢,混流生产)などの実际を観ることができた。また,プリント基板の製造では,表面実装から,自动はんだ,部分整备,そして后づけの手によるはんだ付けまでの一连の流れを観ることができた。
3日目の6月18日(土)は,島津製作所創業記念館(中京区木屋町二条南)を訪問した。創業期から現代までの島津製作所の経営発展の歩みと,主要な製品群をさまざまな掲示物?展示物によって学ぶことができた。レントゲン博士がレントゲンを発明した翌年に当時の第三高等学校(京都大学)の教授との共同で開発したレントゲンを初め,その時代ごとの日本初という製品がいくつもあり,また理科教育の実験で使用した理化学教材も島津製作所の製品群の1つであり,学生にとっては,多くのことを再発見させられることになった。また島津の取り組みから派生した公司?産業があること,たとえば電池産業(GS湯浅のGは源蔵,Sは島津のイニシャル),理科の人体模型からのマネキン産業などがあるのも知ることができた。
佐々木 聡 専任教授