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経営学部

フィールドスタディC(京都:佐々木先生)実施报告

2017年07月07日
明治大学

(株)島津製作所本社?三条工場 訪問(株)島津製作所本社?三条工場 訪問

オムロン京都太陽(株)  にてオムロン京都太陽(株) にて

(株)川島織物セルコン 訪問(株)川島織物セルコン 訪問

(株)岛津製作所 创业记念馆にて(株)岛津製作所 创业记念馆にて

京都公司を访问して(参加学生による共同执笔)

初日の6月15日(木)には,(株)岛津製作所の本社?叁条工场を访问した。ここでは、大学の授业で学んだトヨタ生产方式の「ジャスト?イン?タイム」や「かんばん」を採用する作业工程を実际に见ることができ,この生产方式の强みを理解することができた。访问する以前は,岛津製作所は研究所や大学,医疗机関向けの分析机器,计测机器を手がけているため,限られた用途向けの製品を职人のような技术者が何日もかけて製品化していると漠然と考えていた。しかし,製品の日产量目标などもリアルタイムで确认することができるなど,今话题のスマート工场化されており,生产効率が极めて高い生产が行われているのは惊きであった。
2日目の午前中は,オムロン京都太阳(株)を访问した。オムロン京都太阳は社会福祉法人太阳の家とオムロン(株)が1985年に共同出资して作られた会社である。太阳の家创设者の中村裕(ゆたか)氏は,スポーツによるリハビリ方法を模索していたが,300社に要请をしたが断り続けられ,1971年にオムロン创业者の立石一真と出会った。オムロンには「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」という社宪があり,ソーシャルニーズの尊重,絶えざるチャレンジ,人间性の创造の3点を価値観としている。中村氏の要请は,オムロンの社宪,価値観にも沿っているとして引き受けたという。オムロン京都太阳は,民间公司と社会福祉法人が一体运営する全国でも珍しい「京都モデル」となっており,障がい者が入居する社员寮も併设されている。现在ではソケット,センサ,电源を中心に约1500种の多品种少量生产を実施しており,生产现场では障がい者100%雇用が行われている。製品は他の一般工场で作られたものと同质にするために様々な配虑がなされている。例えば健常者なら一人で组み立てを行うものを流れ作业で行うほか,専用の治具?补助器の导入,バリアフリー化の彻底,そして适材适所の人材配置などである。工场见学前の最初の公司绍介时に盲目の方が绍介されていたが,そこでは京都太阳に入社することで世界観が一変したというその方自身の経験を缀った歌が绍介されていた。オムロン京都太阳では,障がい者雇用ノウハウと取り组みを,広く社会に提供し浸透させることを使命としており,今后も障がい者雇用がさらに进む必要性を感じた。
2日目の午后は,(株)川岛织物セルコンを访问した。创业は1843年と実に170年余りもの歴史を持つ老舗公司である。川岛の叁本线の帯は,知る人ぞ知るロングセラーの高品质品であり,着物を着る女性に高い评価を得ている。帯を代表とする身装?美术工芸事业部では,この他にも,歌舞伎座やわが明治大学の骏河台のアカデミーコモンでも使われている缎帐(どんちょう),祇园祭などの祭で用いられている祭礼幕,関取の化粧まわしなど,缀织(つづれおり)の手法で熟练した人の手によって织り出される贵重なものを手がけている。製造现场で见た作业では,その一つ一つが精密で,そうした作业を完璧に成しえてしまう熟练者に大変な感铭を受けた。同社のもう一つの大きな事业であるインテリア部门の仕事としては,カーテンやカーペットなどの室内製品,事务用の椅子,公共空间の内装もあり,见学によって初めてその幅の広さを知った。自动车や新干线の座席のシートも製造していて,それらが映画観や剧场などの座席に用いられているというのは,とても兴味深いものであった。歴史コーナーでは,伊藤若仲,神坂雪花などの川岛织物が夸る専属の芸术家の作品や歴史を学ぶことができた。最后に,「春郊鹰狩~断机の戒め」という未完成に终わった作品の説明を受けた。この作品は皇室の御命令により制作されたものであったが,第一次大戦中の染料不足下で品质にわずかな疑问が生じた际に,この作品は不完全なものであり,世に出すことは许されないと考えた当时の川岛家当主夫人が破り裂いたたものである。これを歴史的教训としている意识が,工场现场を见ても,実际の製品を见ても,その品质の良さに现れているように思われる。
最终日には,岛津製作所创业记念馆を访问した。ここでは初代や二代目の岛津源蔵が製作した初期の研究机器や,学校で理科を教えるための理化学机械が多数展示されていた。「実験ラボ」という科学や物理について手に触れて実験することもでき,小中学校の理科の実験を思い出すことができた。岛津製作所の本社?叁条工场と创业记念馆の両方を见学することで,创业者である初代?二代目岛津源蔵は,ともに科学技术によって「科学立国」を目指すという志(こころざし)を持っていて,その理念は现在の岛津製作所にも受け継がれており,その姿势が,高い研究开発水準とそれを製品化する优れた力,高い生产技术による効率生产などに繋がっていることもわかった。
今回のフィールドスタディで京都を访れ,京都には独自の强みや特徴を持つ公司が多いように思われた。住友财阀など巨大な财阀があり,财阀公司とその系列公司,银行が大きな力を持っていた大阪と比べると,京都にはそのような公司がなかったことで独自の発展を遂げたとも言えると思われる。さらに大阪,神戸などは海に面していたことで住友金属工业や神戸製钢所,川崎重工业など重厚长大产业が発展したが,内陆地都市であり,平地が少ない京都では,そのような风土に合った軽薄短小な产业が盛んとなった。仏具製造の岛津製作所,清水焼から発展した京セラや村田製作所,西阵织の川岛织物セルコンや村田机械など,伝统产业を现代に合致した产业に転化させたことも特徴的だと思う。周辺の都市と异なる特徴を持つ京都において,岛津製作所はその协力工场と共に発展してきた様子から「京都产业の父」とも呼ばれる。同社は,二代目岛津源蔵が日本で初めて铅电池を製造したことで电池事业部を持ち,その事业を日本电池(现-ジーエス?ユアサコーポレーション)として分离したり,その日本电池からさらに日本输送机(现-ニチユ叁菱フォークリフト),大日本涂料が设立されたりと,京都产业の生态系を形作っているように感じた。今后も新闻やニュースなどで岛津製作所や他の京都公司の情报に注视していきたい。

佐々木 聡 専任教授